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私は私のままで、あなたは、あなたのままでいい。 [愛の話]

 最近、「箸の持ち方が悪い」と指摘されました。

 どうも、いらっしゃいまし。
 爽やかな香味のミントティーなどいかがですか?

 12月に入って初めての更新です。
 師走は、まさに風のような速さで駆け抜けていきます。
 11月25日のフリーキーショウでの演劇「雨」が終わったあとも、フリーキーでみかん遊演団の公演、12月からは隔週金曜日に静岡の商業施設ぺガサートでパントマイム劇「五分間の奇跡」、12月23日は、しずおか大道芸のまちをつくる会(通称しまる会)による「クリスマス大道芸」を、清水のエスパルスドリームプラザにて。
 なんやかんやと忙しく、2009年が慌しく過ぎていきます。

 今年は、「出逢いの年」でした。
 去年もそうでしたが、今年は去年以上に「出逢い」がたくさんありました。
 冒頭の「箸の持ち方が悪い」と指摘してくれたのは、たびたびブログに登場するK氏なのですが、彼との出逢いも今年の3月、早いもので知り合ってから9ヶ月が経とうとしている。
 9ヶ月と言えば、小さく宿った生命が、ヒトの姿をして現世に生まれ出てくるまでに成長するくらいの歳月ですよ。(今年5月に結婚した義弟の子供が、来年2月に生まれます)だけど、K氏と私の関係は知り合った当初よりも遠くなっている気がする。
 やはり、K氏と私の関係は「水と油の関係」なのだろうか?
 
 「解んないから、お互い手を差し伸べるんだ」

 というセリフ。
 アニメか映画のセリフの一節らしいですが、みかん遊演団のカメラマン&パントマイム博士のTちゃんが教えてくれた。
 確かに、解らないから解りたいと思う。「解り合いたい」から、そのために「手を差し伸べる」んだ。
 それが「お互い」であるから、関係は成立する。
 片方が手を差し伸べても、片方がその手を振り払ったら、関係は成立しない。
 「出逢い」によって、「知り合い」にはなれても、「友人」になれるには資格がいるのかもしれない。
 フィーリング、感性、趣味、価値観、さまざまなもので選別して、友人になれる人、なれない人に分けられる。
 私は、今年出逢った何人の人に「友人」だと感じてもらえているのだろうか?

 さて。
 最近は、舞台や大道芸の告知ばかりで、コラムを書くことが少なくなりました。
 今年最後の更新になるかもしれないので、今日は久しぶりにお題をもうけたコラムを一本書きたいと思います。お題「コトバと、人間の関係性について」です。

 「関係性」って何だかお堅い言葉だけど、人は、いつでも何らかの「関係」を人と築いている。
 親子関係、友人関係、恋人関係、夫婦関係、仕事(仲間)関係……。
 その関係性を築くのに基本となるのは、やっぱり「言葉」だと思っている。
 私はずっと昔から「本音で話さなければ、人と人なんて解り合えない!!」と思ってる人間なのですが、この「本音」というのは、果たして何なのか? というのが、最近わからなくなってきました。
 辞書で調べると、『本音』とは「真実の感情、欲求。本心から出た言葉」……と、実に曖昧な説明なんですけど。じゃあ、「真実の感情って何?」「本心って何?」ってツッコミたくなるわけですな。で、『本心』を調べると、「本当の心(まんまやん!!) 偽りや飾りのない言葉」……となっている。で、ついでに『真実』を調べると(シツコイ?)、「嘘偽りのないこと。本当のこと」……何だか、辞書って堂々巡りだなぁ(笑)

 私の考える「本音」は、「偽りや飾りのない生の言葉」と、解釈してる。
 私は自他とも認める「感覚の人間」なので、感情が常に暴走している気がする。
 空気を読めない? 空気を読まない? 人とのコミュニケーションが取りづらいし、言ってはならないことを言って人を怒らせたり不愉快にさせることがしばしばある。
 あまる氏曰く、私は「トドメを刺す」言葉を発しているらしい。
 いわゆる「本音」=「偽りや飾りのない生の言葉」というのは、実は、諸刃の剣のようなもの。
 私の場合、「コトバ」は、「言の葉」ではなく、「言の刃」なのである。

 しかも、この「言ってはならないコトバ」というのは、人それぞれ違うもので、Aさんには何でもないことでも、Bさんにはそれを言った瞬間に烈火のごとく怒られる……ということもある。
 以前、芝居関連で知り合ったYちゃんに「Yちゃんってカワイイね」と言ったら嫌われた。別にお世辞を言ったわけでなく、彼女の表情や仕草が可愛くて、見ていてつい口から出たのだが、容姿を褒められるのは嫌なのだそうだ。それからの彼女は、私に対して口数が極端に少なくなってしまった。
 「口は災いの元」と言うが、これもそうなのか??? 人の心の中って本当に複雑怪奇。

 「本音」も、人によってかなり解釈に違いがある。
 殿と会話の中で、「ホンネとは何か?」という話題になった。
 私が、「本音=偽りや飾りのない生の言葉」と解釈するのとは違い、殿は、「本音=自分にもわからない心の中のこと」と解釈するそうだ。(辞書の意味とはかなり違うけど)
 でも、こう解釈する人は多いみたいで、芝居関連で知り合った人たちにも、「何が本音かなんて、そんなのわからないもんじゃない?」と言われたことがあった。
 つまり、こう解釈する人は、私のことを「本音をしゃべっているのではなく、今考えたことをしゃべっているだけだ」ということになる。
 しかし、議論したりすれば、その人間の「人生の中で培った考え」というのもがおのずと出る。それは、「今考えたこと」ではなく、生きてきた過程を経て思う自分の意見じゃないのだろうか?
 自分の人生の中で経験してきたこと、実感したこと、考えたこと。それが意見の基本にあるのなら、それはその人の「本音」だと思うのだ。そして、その本音をキレイな言葉で飾った瞬間、それは「生の言葉」ではなくなる。自分の言いたいことがぼける。伝えたいことが伝わらない。本音でないのなら、その程度のものなら、何も無理やり言葉にして発する必要はないんじゃないか? とすら思ってしまう。
 キツイ言葉は、確かに人を傷付けることもある。
 でも、言う方はおそらく傷付けてやろうというイジワルな気持ちで言ってるわけじゃない。
 「厳しさ」と「優しさ」は、表裏一体。
 愛情の反対は、憎悪ではなくて無感情、無関心。
 相手に対して、何の関心もなくなることこそが、愛情の終わり。
 関心のない人に、人は労力を使わない。苦言を呈さない。何も、好き好んで人に嫌われる必要はない。苦言を呈するのは、相手のためを思ってのことだ。
 ……と、私は思っているので、K氏から「箸の持ち方が悪い」と指摘されてからずっと、箸を手に取るたびに何となく意識して直すように努めている。あまのじゃくなくせに、こういうところは素直だったりする。(…って自分で言うな)
 私のことを知っている人に、どんな言葉を言われても、私は傷付かない。傷付かないようにしている。むしろ、嬉しくさえ感じる。(お断りしておくがMではない)

 過去記事の「目からウロコが落ちた、心温まるセリフとは?」で登場する私の師匠は、仕事を離れると穏やかな人なのだけど、仕事に関しては本当に厳しい人だった。
 女だからといって決して甘やかしてはくれないし、罵声も怒声も当たり前にあった。
 でもそれは、師匠は、私を一人前に仕込もうと思ってくれていたからだ、と信じている。
 厳しく厳しく叩きのめすほど厳しくして、それでも立ち向かってくる根性を試されていたのだと思う。時間と労力を使う以上、すぐに根を上げる人間を一人前にする価値がないと考えたのかもしれない。
 涙ぐみそうになると「帰れ!!」と怒鳴られ、慌てて唇をかみ締めた。「わかりません」なんて言葉を使おうものなら、烈火のごとく怒られる。その日にわからなかったことは、次の日までに何が何でも調べて行った。
 それが「本当にやりたいこと」ならば、「わかって当たり前」「やって当たり前」の世界である。
 厳しさにへこたれることもある。心が折れそうなこともある。でも、それは自分が「望んでやっていること」の代償だ。「何かを本気で手に入れたいと望むなら、努力しなくちゃならない」のである。
 もちろん、これは「義務」じゃない。誰かに「やらされている」わけじゃない。
 人生の決定権は自分自身が持っているのだから、厳しさについていけないなら、嫌になったなら、辞めればいい。誰も引き止めはしない。
 師匠は、決して「厳しさ」のあとに「優しさ」は付け加えない。
 「厳しさ」の中に「優しさ」を見つけるのは、厳しく言われた当人なのだ、と今まで私は思っていた。

 師匠は、私の憧れのひとだ。
 「自分」というものの核がブレないひと。
 「俺は俺だ、文句があるならついてくるな」と背中で語るひと。
 そういう揺るぎない信念を持ったひと。
 厳しい口調は、そのままカタチを変えた「優しさ」である。
 瞳の奥の真剣な眼差しから、私はそれを感じた。
 揺るぎない信念は、一昼夜で身につくものじゃない。師匠の長い人生をかけて培ってきたものだ。
 どんな怒声も罵声も、私を傷付けない。
 だとすると、私が「言の刃」で人を傷付けるのは、師匠のような人生修行が足りないからか? 師匠のように、相手を観察してコトバを使い分けることをすべきなのか?

 でも。
 師匠は師匠であって、私は、師匠と同じにはなれない。
 私は、私にしかなれない。
 もちろん、あなたは、あなたにしかなれない。
 誰もが、「自分」でしかありえないのだ。
 師匠の真似をしても、師匠にはなれない。
 私は、私自身のコトバで人と付き合っていかなくちゃならない。

 それが、すべて感覚で生きてる私にとって難しいことこの上ない。
 すべての人に好かれるものも、嫌われるものも、この世にはないと思うから。
 五感で感じるものすべて、人それぞれ好みがある。
 香水を「いい匂い」と感じるか「臭い」と感じるかは、その人の嗅覚次第。
 ワインを「美味い」と感じるか、「不味い」と感じるかは、その人の味覚次第。
 芝居も映画もドラマも、「面白い」と感じるか、「くだらない」と感じるかは、その人の感性次第。
 人はどんな言葉で傷付くのか? それは、その人が生きてきた人生次第である。
 感覚とは説明出来ないもので、自分と同じ感性を持ってる人のことはある程度わかっても、違う感性の人のことはわからない。幼なじみならいざ知らず、知り合ったばかりの人間のそれを想像するのは、推理小説の謎を解くよりも難しい。人の心は、優れた探偵にだって100%正確には読めないのだから。

 世間の人、特に日本人は、「自分がどう思う」ことよりも、「周りはどう思うか?」とか「周りからどう見えるか?」ということの方が大事だったりするけれど、ストレス溜めてまで、周りに合わせても周りから感謝されるわけじゃない。「いい人」とは思われるかもしれないけど、ただそれだけ。
 私にとって、世間はどうでもいい。
 私は私の言葉で話したいし、相手の言葉を聞きたい。
 本音を聞きたい。
 キツイ言葉でもかまわない。
 それが、あなたの生の言葉なら。
 私は私のままで、あなたは、あなたのままでいい。
 究極に言えば、本音をさらけ出しあって、傷つけあって、それでもまだなお解り合いたいから、お互いが手を伸ばす……人とは、そんな関係を築きたいと思ってる。
 それが「人と付き合う」ことじゃないのか、と。
 お互いがエネルギーを出せば出すほどに、惹かれあう。近づける。解り合える。
 好きだから知りたい。
 知りたいから聞く。
 解って欲しいから、話す。
 それが「生きた関係」ではないのか、と。
 エネルギーの出し惜しみをして、傷付けないように……とおそるおそる手を伸ばして、相手の顔色を窺いながら触れることじゃないはずだ。
 偽りの優しさが欲しいのなら、いくらだって提供出来る。でもそんな関係は長続きしない。いや、もしかしたら「関係」とすら呼べないかもしれない。単なる「ごっこ」に過ぎない。「ごっこ」なんて何の意味もない。社交辞令や優しさごっこからは、何も響かない、沁みてこない。心が温かくならない。
 自分が傷付けられたくないから、相手も傷付けない。初めから失敗をおそれて付き合う関係なんて、ウソくさい。たとえ傷付けたとしても、傷付いたとしても、お互いが解り合えたら、関係は必ず再生出来るはず。そのまま壊れてしまうなら、それだけの関係だったということだ。

 それが、「生きる」ってことでしょう?

 私は。
 人生の中で、嫌なことも苦しいこともたくさんあったけれど、それをひっくるめて、今まで生きてきた人生を愛してるから、愛そうとしてるから、この性格も愛してる。
 コトバが、「言の刃」な自分も、ひっくるめて愛してる。
 未熟な自分も、コドモな自分も、何もかも。私は私なりに、一生懸命自分の人生を生きてきた。私が私を愛してあげなくちゃ、心の行き場所がなくなるもの。
 でも。
 だからこそ。
 コトバを、「言の刃」から、「言の葉」にするのも、私次第。
 十人中、十人に好かれたいと思わないけど。
 自分の「本音」や「素」で付き合って、それでも「好き」と思ってくれる人が少し居ればいいと今でも思ってるし、今さら、「協調性」や「社会性」がどうの、人の顔色窺って空気を読む気にはなれない。
 ただ、「相手は私と同じじゃない」ということを忘れないようにしよう。
 誰がどんな言葉で、何に傷付くのかわからない。
 わからないけど、想像してみる。
 世の中には、心が強い人も弱い人もいろいろいるってこと。傷付けないために、おそるおそる話すわけじゃないけれど、むやみやたらに人を傷つけないために。

 ほんの少しだけやわらかく、しなやかに、コトバを使える人になる。
 深呼吸して、穏やかにコトバを話せる人になる。
 コトバ以外の感情を探ってみる。
 これ、来年の目標にしようと思ってたけど、そんな悠長なことを言ってたら100年かかったってなれない。
 「なりたい」じゃなく、「なる」んだから。
 今日から。いや、今から実行しよう。
 『私は、私らしく。でも、ほんの少しだけ、やわらかく』
 ね?

 ……K氏に、お箸の持ち方だけじゃなく、コトバの極意も教わった方がいいでしょうか?


 それではお茶にいたしましょう。
 昨日はみかん忘年会で、お好み焼きを何枚もひっくり返して焼きながら、朝まで日本酒の瓶を抱えてチビチビと飲んでおりました。(……どんな忘年会?)
 なので本日は迎え酒、いえ、ハーブをブレンドした紅茶をいただきましょう。
 ポットの中に紅茶の葉と共にミントを加えて、ミントティーを。
 ミントは、ペパーミント、スペアミント、アップルミント……お好みのものを。
 ミントの清涼感が、頭をスッキリさせてくれます。
 ではまた次回、お逢いしましょう……♪


2009-12-27 22:19  nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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COLE

年末に猫たぬき節を読ませてもらい、なにかスッキリした気分になりました。そろそろくるかなって思っていると更新されているんですねえ。不思議なものです。年明け、カミさんの両親とともに日本平まで一泊旅行です。
by COLE (2009-12-31 17:16) 

猫たぬき

明けましておめでとうございます、COLEさん^^;
COLEさんと波長が合うのでしょうか? 
何となく書きたいなーっと思って更新すると、COLEさんからコメントが入ってます(笑)
年明けに日本平ですか!! めちゃくちゃ近いところにいるのに~!!
この正月は私も、西へ東へ、移動してます^^;

今年も、「ぶっちゃけ辛口猫たぬき節」を貫きたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
2009年最後のnice!ありがとうございました♪
by 猫たぬき (2010-01-01 01:25) 

猫たぬき

初めまして、さやかさん、nice!ありがとうございます^^;
by 猫たぬき (2010-02-14 22:34) 

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