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ハッタリで渡る人生は、楽しいギャンブルである。 [私の精神論]

 ひとつの事柄の中に、真実はいくつあるのでしょう?

 どうも、いらっしゃいまし。
 シンガポールスリングなんて、いかがですか?

 お茶ではなくお酒を登場させるあたり、ちょっと酔ってます、猫たぬき。
 本日は、静岡のライブバー、フリーキーショウにてデートです♪
 相手は言わずと知れた、K氏。
 なんのこたぁない、水曜いきまshowの見学および舞台の下見なのでした……。
 当然ふたりきりではなく、もうひとりの役者と、なぜか偶然あまる氏が彼女を連れて現れたりして。何だ、みかん遊演団の飲み会か? という雰囲気。薄暗がりのカウンターで隣同士飲んでいても、妖しさはまるでなく、私がK氏に酔ってからんでいるとしか周囲には映らないだろうと思ふ。
 う~ん(--) 「デート」はまだまだ遠いなぁ……。
 さて、本日のお題。どうせいつも前フリ関係ないんだから、皆既日食の話でしょ?……と、思いましたか? いえいえ、誰もが書くようなことを書くのはつまんない。あえて、日食はスルーして。(ただの天邪鬼?)本日のお題、「口にすることで、初めて気付くこと」です。

 話せばわかる……とは犬養毅の言葉ですが。
 世の中には、話してわからない人もいれば、話すことすら拒否する人もいたりして、ホントいろんな人間がいます。人生、割と長いこと生きてきてるつもりですが、K氏のような人とは初めて出逢ったかも。
 K氏と私の間に共通の言語が存在しない、というのは「違和感のある出逢い 水と油の良い(?)関係」で書いたけれど、本当に「会話」するのに苦労する。
 こちらが言いたいこと、あちらが言いたいこと、まるでかみ合わないから、「いや、それはそういう意味じゃなくて」とか「言葉は単語ではなく文脈で読み取るように」とか、いちいち講釈が入る。
 ……大学の講義じゃないんだから。
 何せ、会話が暗号のようなのでね。
 あまりに抽象的な答えばかり続くので、謎かけよろしく「……して、その心は?」と問いたくなる。
 いくつもいくつも質問を重ねて、相手の回答も何だかよくわからなくて。全身全霊をかけて解りたいと思ってるのに、理解出来ないのが悔しくて。対立しようにも、会話が合致しないと意見を言おうにも言えない。
 これはもう、性格の違いとか、頭の構造が違うとか、そんな次元の問題じゃないような気がする。そう、人間ではないような。未知なる生物を観察しているようにも感じる。
 私は宇宙人の存在を信じているし、もうすでに地球上にいると思っている。(缶コーヒーのCMの、トミー・リー・ジョーンズではないけれど)
 もしかして、K氏もそのひとりなのではあるまいか? と疑ってしまう。(飛躍しすぎ?)
 こんなに難解なひとなのに。
 それでも、知りたいと思ってしまうのは何故だろう?

 明確に理解していることがひとつだけ、ある。
 K氏は、やはり紛れもなく「私の書いたものを、私が思う通りに表現してくれるひと」だということ。

 やっとこさ台本の第一稿があがり、稽古が始まったのだけど。
 K氏には、説明がいらない。
 ときどき、ほんの一瞬、鳥肌が立つ。
 「何で、こんなに私がイメージする通りにホンを読むんだ?!」
 以前、あまる氏が、「ホントですかぁ~?」と懐疑的に言ったが、それを覆すだけじゃない。
 今回の台本は、セリフのイメージがフィリップ・マーロウで(自分の妄想満載でキャラ設定してます)あんまり日本人が言わないような気障な台詞回しや、通常書き言葉でしか使わないセリフも書いている。ゆえに、前の役とは違って台本も覚えにくいし、演じにくいはずなのに。(役の設定が、普通の精神状態ではなく、演じることで何とか精神を支えてるというものなので)
 K氏は、稽古になると、さらっと出来てしまう。
 何でなんだ?
 私と感性が似てる? ……いや、それはないだろう。
 性格が似てる? ……ありえない。
 唯一、台本を通して会話出来る、ということか?
 ん? 台本を通してしか、会話出来ないということか?
 何て意思疎通の困難な関係なんだろう。

 それでも。
 猫たぬき、負けない!!(←この暑苦しい熱意が地表温度を上げている気がしないでもない)
 どんなにうっとうしいと思われても、メンドクサイと思われても、私は会話を仕掛けていく。
 相手を知るためには、相手から情報を得るしか手段がない。
 質問を変えて、言葉を変えて、相手から引き出せるだけの言葉を引き出して。
 何度もしつこく繰り返していると、ときどき、ほんの一瞬、会話が繋がるときがある。
 そういうときって、すごく嬉しい。
 推理小説の話だったり、好みのキャラクターの話だったり。国語の解釈の仕方だったり。
 もちろん、話が繋がっても、すべてが解りあえるというわけでもない。
 「そうそう!!」と同意したかと思えば、「考えが浅い!!」とけなされることもあるし、「それは違う」という見解の相違もあったりする。別に私の考えすべてに賛同されたいわけじゃないから、見解の相違は大いに結構。
 それが、「会話」というものさ。

 さて。ここからが、今日の本題なのですが。(今から???)
 すっかり夜が明けて、もう午前六時をまわっているので、とりあえず寝ます。酔いも醒めてきた頃なので。
 おやすみなさい……。

 昨日の続きを書きます。
 今回、長くなりますね。皆さん、ついてきてくれてますか?(昨夜脱落したヤツが言うな)

 私は、台本を書き終えたあと、紙にプリントアウトして自分の声を出して読んでみる。
 会話が繋がってないというのは意図的だとしても、気持ちが繋がってないのは困る。で、これは声に出して読んでみるとよくわかる。自分で生み出したキャラクターでありながら、「恭介は、この瞬間こういう気持ちなんだ」と改めてわかることもある。
 今回の台本は、自分が妄想上で作り出した膨大なシーンやセリフを、約半分から三分の一に削って出来ている。(話に関係のないシーンも無駄に妄想してるので……)そのため、台本だけで他の人に伝わるかどうか、っていうのは微妙なところなのが問題。追加説明しなくても解る台本が書きたいといつも思っているのだけど。(筆力不足やね)
 「口にすることで、初めて気付くこと」、
 台本のセリフもそうだし、日常生活で発する言葉も同じではないだろうか。

 昨日のK氏との会話の中で、私が言った言葉。

 「私はウソとハッタリで生きている」

 これって、自分の人生だなぁと、口に出して言ってから初めて思った。
 あ、これには若干、解釈が必要ですな。言葉だけで捉えたら、私ってトンデモナイ人間だと思われてしまう。(いや、今でも充分トンデモナイ人間ですけどね……)
 
 「ウソ」……というのは、これは人につくウソではなくて。
 自分をだますという「ウソ」である。
 通常、「自分にだけはウソをつけない」というが、それは事実でも、自分にウソをつき、「だます」ことは出来るのである。(これもまた謎かけのようだが)

 自分の性格は、自分が一番よく知っている。(はず)
 だったら、自分のマイナス要素をプラス要素に変える「ウソ」を自分につく。
 例えば、私は弱い人間で、人見知りで、どちらかというと引っ込み思案な人間である。(それこそがウソだ!!と言われるかもしれませんが)
 そんな自分をだまし、対外的に強く見せたり、物怖じせずに人に積極的に話しかけたり、足が震えていようとも、手に汗をビッショリかいていようとも、それを隠して強気にニッコリ笑ってみる。
 すると、その「ウソの自分」が、「本当の自分」に思えてくる。
 決して演じているわけでなく、ウソだけど、ウソじゃない。なりたい自分をイメージして、そのイメージを追いかけて自分をけしかける。「ウソ」というより、「マインドコントロール」というか、「暗示にかける」というか。これはもうウソではなく、ハッタリと同義語だと思うのだが、どうだろう?
 
 「ハッタリ」。
 時として、人生にはハッタリが必要だと思っている。
 やりたくないことは絶対にやらないけれど、やりたいことは、たとえハッタリかましてでも、自分の手元に引き寄せたい。
 難解なものや自分の能力以上のものを提示された場合、「無理です」と言ってしまえば、そこで話は終わってしまう。「出来そうにないけど、やってみたい」と思うものは、自信ありげに「出来ます!!」と言ってみよう。
 やったことないのに?
 どうやって?
 どうするの?
 そんな疑問はこの際、どっかに置いといて。
 今、この瞬間を掴まないと、どんどんやりたいことは逃げてしまうから。
 ハッタリでも何でもいいから、「出来ます!!」「やります!!」と言うべきだ。
 チャンスも、ひとも、すべて偶然に巡ってくるのではなく、必然に出逢うのだとしても、今という機会を逃してスルーしてしまったら、二度と出逢えないかもしれない。それは、もったいなさ過ぎる。
 そんなことして大丈夫? と思われるかもしれないけれど、「出来る」と本能が勝算を訴えるから、口を突いて「出来ます!!」と言えるのだ。つまりは、「出来る」と言った瞬間、本当は、もうすでに半分出来ている。あとの半分は、やる気である。
 以前K氏が、「やると言ったことはやりますよ」と言ったことがあるが、それも同じ理屈なのかな。
 もちろん、彼の場合は、きちんと裏付けされた自信であり、ハッタリじゃないと思うけれど。
 自信を持つためには、その自信を裏付けするための陰なる「努力」が必要であり、ハッタリには「度胸」が必要なのである。(……努力しないイイワケか?)

 ウソでも本当になるように、ハッタリも、やる気しだいで本物になる。
 最近、競馬ネタを書いてないけれど、良血馬だけがダービー馬になる権利があるわけじゃない。
 ゲート前でのチャンスは各馬みな平等。ゲートが開いてからの二分ちょっと、ゴール板を駆け抜けるまで、どの馬が勝つか誰にもわからない。
 やる気と運次第で、何が起こるかわからない。
 先が読めないからおもしろい。
 口に出して初めて、自分の人生って結構ギャンブルだなぁ……と気付いてしまった夜でした。

 そういえば、書いてて気付いた。
 去年の今日。
 2008年7月23日は、フリーキーショウ「水曜いきまshow」で、劇団午後の自転の役者さんたちと一緒に、「グラス一杯の夢」を演った日でした。

 「楽しかったこと、辛かったこと、忘れられない思い出が全部、このカクテルの中に溶けている。時が経てば、すべてが懐かしく、いとおしく思える日が、きっと来る……」 
 ……とは、主役の那津子のセリフですが。

 昨日の次に今日がある。今日を一生懸命生きて、明日が来る。思い出というのは、その毎日の積み重ねですな。
 みんな覚えてるかなぁ?
 あれから一年……。
 それ以後、頻繁に連絡を取ってる人、疎遠になった人、いろいろいるけれど。
 今年もまた、いろんな人と出逢えた。去年から今日までの時間の中に、たくさんの思い出がある。一日一日を大事にしていくことは、心地良い思い出を増やすことでもある。
 そしてまた、一年経って「水曜いきまshow」で演劇が出来る幸せ。
 出逢いって、人と人との繋がりって、本当に不思議なものですね^^;
 

 冒頭の言葉。

 「ひとつの事柄の中に、真実はいくつあるのでしょう?」

 これもK氏との会話の中で出てきた言葉。
 私とK氏では、意見を異にしたが、まだ双方納得のいく結論は出ていない。
 さて。これからゆっくり考えてみよう。


 それではお茶にいたしましょう。
 酒を飲んだ次の日は、なぜか熱い日本茶が旨く感じる。(私だけだろうか?)
 新茶(まだ残ってた)をいただきましょう。
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪


2009-07-23 18:05  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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