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想いを、「どうやって」伝えるのか? [演劇の話]

 アナタは、今年の桜を誰と一緒に眺めましたか?

 どうも、いらっしゃいまし。
 桜の香りのする紅茶を一杯、いかがですか?

 「静岡在住、舞台好きの皆さまへ♪ No.2」で告知しました、 4月15日(水)と、17日(金)は予定通り、「春なのに……2009」に飛び入り参加。
 静岡市鷹匠にある伽藍博物堂演劇実験室で、正式参加の二劇団の方と共に、みかん遊演団による、リレー寸劇「まちあいしつ」の舞台公演がありました。 


 「まちあいしつ」は、まだ雪解けの残る、寒い田舎町。駅の待合室。待合室ある腰高窓から外に見える一本の桜の木。けど、まだ桜は咲いてない。この桜をモチーフに展開していくお話です。
 春を感じるアイテムは、人によってさまざまで。春を感じる色もさまざま。
 でも、「ピンク」や、「薄紅色」を思い浮かべる人は、やはり「春=桜」のイメージが強いのかもしれません。
 桜も、満開に咲いてからが花見なのか、咲く前の蕾からずっと楽しみにしているのか、それも人それぞれ。散り際の桜吹雪が一番好きという人もいらっしゃるはず。
 大切なひとと一緒に見る桜は、目に映る以上に美しく見えるのでは。それはきっと、「桜」だけではなく、大切なひとと一緒に居るという「時間」をも、愛しいと感じているからかもしれません。
 さて。今日は長いです。かなーり長いです。覚悟して読まれたし(笑) 毎度毎度のことですが。
 私は、舞台の公演半月前くらいから突然食欲がなくなり、自分が舞台に上がるわけでもない裏方なのに、異常なほど高揚感が増し、前日になると、高揚感の反動なのか突然落ち込み、舞台が終わると同時にグッタリする……という性質でして。
 公演後は、たいていボーっと過ごしている。(いつものことじゃないか、というツッコミはナシよ)
 食欲、というか味覚(公演前はかなり味覚が鈍い)が戻ってくると同時に平常の生活に戻る、というわけで。今回も、そろそろ戻ってきたかな、と思うくらいには回復してきたので、舞台初日を迎えるまでのドタバタを書いてみることにします。
 今回は、本当に短い期間で公演に突入してしまったので、「舞台を作る」というよりも、「駆け抜けてしまった」感がぬぐえない。去年の、水曜いきまshowの公演とは、少し違った感じがしました。

 まずは、あまる氏とワタクシの出逢いからお話してみましょう。(そこから?)
 今回組ませていただいた「みかん遊演団」の座長、あまる氏は、プロの大道芸人で、お呼びがかかれば日本全国、いや、大道芸のためなら、海外まで出掛けてしまうパワフルなお方。
 私とあまる氏が初めて逢ったのは、伽藍博物堂に観劇に行ったとき。
 「脚本書いてるんで、今度書かせくださいよ~」「あ、じゃあ書いてくださいよ~」と、まるで居酒屋でのノリみたいな感じで、知り合いましたとさ(笑)
 普通なら、こういうのって「社交辞令」なんでしょうけどね。
 「今度飲みに行きましょう」「ええ、ぜひ行きましょう」みたいな。お互い実現させるつもりもないけど、断固として断る理由もないし、と、その場はとりあえず相手に合わせておく、みたいな。
 しかし、人との出逢いは偶然ではなく必然と、常々思っている私。
 私の辞書に「社交辞令」の文字がないように、あまる氏の辞書にもなかったようで(笑) 
 二日後にお逢いしたときに、「15分程度の寸劇で、どんどん人が入れ替わるリレー形式でお話を作ってください。登場人物は全部で7人」というご注文をいただきました。テーマは?と尋ねると、「そうね、春っぽいイメージ。フレッシュさというか。新入生とか、新社会人とか」
 う~ん。何てあやふやなイメージなんだろう……。
 しかし、テーマを詰めて話し合う暇もなく、風のように、あまる氏は、タイへと大道芸の修行に旅立ったのでした……。
 あ、そうだ。タイだったら、マンゴスチンを買ってきてって頼むべきだった……☆
 ……何て、のんきなことを考えてる暇もなく。
 依頼を受けたのが、2月28日。(伽藍博物堂での、「あまるラボvo.10」上演日)
 あまる氏の帰国は約半月後。
 つまり、それが私の脚本の締切り日というわけで。

 書き始めると早いのだけど、それまでが結構長いワタシ。
 他のシナリオライターが、どうやって脚本を書くのかは知らないけれど、私の場合はまずイメージ。シナリオ全体をイメージすることから始める。
 発想が貧困なワタクシは、「春=桜」(←ベタな発想)、「フレッシュ=新社会人」(←スーツのCMか?)、「人が集まるところ=駅=待合室」(←どこまでもベタ……)でお話を作ることにしました。
 登場人物7人を考えて、あとはイメージ。どこまでもイメージする……。

 何でも同じだと思うけど。
 モノに、名前を付けた瞬間、愛着が生まれる。
 お人形を買ってもらって、ハナコと名付けた瞬間、人形は「モノ」ではなくなり、「ハナコ」になる。そこから、愛情が生まれる。
 登場人物の名前を決め、性格を決め、幼少から今の年齢まで生きてきた人生を背負わせる。すると、彼や彼女がいとおしくなり、どんどんセリフが生まれてくる。
 二次元の世界の人間が、私の中でどんどん三次元に膨らんでいく。
 この作業が、シナリオを書く上で一番楽しい。
 自分の中で生まれた登場人物たちが、頭の中で、想像の中で、生き生きと動き回る。
 このときはまだパソコンの前に座らない。
 ソファに座って、頭の中で妄想を繰り返している。時折、主人公のセリフが口を突いて出てきたり、身振り手振りで感情を表現していたりする自分に気付く。殿は私のそんな姿を見慣れてるけど、もし他人が見たら、かな~りアブナイ人に映るのでしょうな。なんたって、いきなりパンっと扇子を開くマネをしながら、「春は出逢いの季節!!」と言い出したり、フッと鼻で笑いながら、「キミに心配されるいわれはない」と嫌味に言い出したりするのだから……。これをひとり外でやってたら、確実に職質されちゃうね、きっと。
 さて。話がラストまでイメージ出来たら、やっとパソコンの前に座る。
 登場人物の履歴書を作るときに、だいたいのプロットは書いてあるので、それを細かく分けてシナリオにしていく。
 ここからの作業が、私には辛い……。
 自分のイメージしているものを、そのまま書ける筆力がないことを思い知らされる。
 書いていて、「違う」ことだけはわかるけど、それが「どう違う」のか「何が違う」のか、どこをどうすれば思ったような表現で書けるのかがわからない。
 自分の中であふれそうになるくらいの想いを、告白の言葉にした瞬間、それがどこにでもあるありふれた「単語」でしかないことに気付くのと同じで、想いを伝えるために、その想いを言葉に、文字にするということの、何とも難しく空しい作業なんだろう。
 私のシナリオは、「わかりやす過ぎる」、「言葉で言い過ぎる(説明し過ぎる)」、「リアリティが薄い(突飛なセリフがある)」というのが悪いクセ。自分でもわかってるんだ……でも。
 私は、「伝えたい何か」を書きたいと思ってる。
 本当は、それを「言葉」にしてしまうより、芝居という中で「感じさせる」ことが大事だとわかっているけれど。
 たったヒトコト、このセリフが言いたいがために、セリフから話を作ることもある。
 伝えきれない筆力の未熟さは、自分で嫌になるほどわかっている。……それでも。
 登場人物の口から、セリフで伝えたい。シナリオを書くものからのメッセージとして。
 そのメッセージを、「言う(書く)」ことでしか表現出来なくて、観客の心に「響かせる(感じさせる)」ことが出来ない未熟さ、もどかしさ。
 何を書いても、舞台を通して観てみても、自分の未熟さが恥ずかしくなる。

 今回飛び入り参加させていただいた「春なのに……2009」の主催者である、伽藍博物堂の役者T氏は、私とは真逆で、「感じる」芝居を作るのに長けている人だ。
 彼はいつも私に、芝居を通して大切なことを教えてくれる。
 「答えは、観る人それぞれの心の中にある」、と。
 脚本家から。演出家から。役者から。観客に、答えを押し付けてはならない、と。
 やわらかく、心の中を温かい春風が吹きぬけるような、そんな優しい空気感の中で展開していく物語。それが、T氏の作る芝居の世界。
 彼の人柄そのもののような芝居に、賛同し、魅了され、伽藍博物堂へ人が集まる。

 書くものには、、やはり人柄が出るということなのか?
 私の書くものは性格通り、尖ってるのかなぁ……。(ちょっとヘコミますわ……)

 さてさて。
 シナリオ第一稿は完成しました。
 そして。あまる氏も、無事にタイから帰国され、初めての企画会議。
 よく考えると、このときはまだ、「みかん遊演団」の人たち全員の名前すらハッキリ覚えてなかったんだよね。
 一度、伽藍博物堂で上演するあまる氏の一人芝居「あまるラボvo.10」と、みかん遊演団の無言劇「シンデレ・ラブ」のゲネプロを見せてもらったことがある。それを稽古場の隅からこっそり覗き見して、役者それぞれの性格を盗み見る。まぁもちろん、二時間程度見ただけで、明確に人の性格なんてわかるもんじゃないけれど。
 大道芸人のあまる氏が、今回「みかん遊演団」のみんなに演劇を通して勉強させたかったことは、「自分以外の他人になる」ということ。大道芸というのは、ジャグリングやパントマイム、言わば「技術を見せる」ものであって、あまり他人の気持ちになって舞台に立つ、ということはない。
 「みかん遊演団」は、「何らかのカタチで自分を表現すること」を目的として、あまる氏が立ち上げたものらしい。
 それが、大道芸なのか、パントマイムなのか、ジャグリングなのか、それは人それぞれ。その中でもうひとつ新たなステージ、演劇で勝負してみたい、ということなのだろうか。
 そのために私が書いたのが、リレー寸劇「まちあいしつ」。
 人がどんどん入れ替わり、舞台上にいるのは、常にふたり。(イレギュラーで、三人の場合もある)
 舞台上の二人の会話で、展開していく。話に脈絡も重みもない、ツッコミどころ満載の会話劇。
 ジャンル的には、シチュエーションコメディ、と言っていいのかな? コメディでもないけど。
 3月18日に、初めて「みかん遊演団」の稽古に参加させていただいて、脚本配布。
 これで、「春なのに……2009」に飛び入り参加するべきか、否か?という話し合い。役を決めて、それぞれに決意表明(?)をしてもらう。
 で。
 とりあえず、がんばって参加する方向で考えが固まったのですが……。
 18日に、私は「みかん遊演団」の方たちとほぼ初対面。
 次の稽古日が29日。そして、4月1日、8日、14日。
 「春なのに……2009」で、出演する日が15日、17日。
 ……んん?
 稽古日が、たったの4回???
 しかも、しかもですよ?
 座長のあまる氏は、4月6日から、今度は韓国へ大道芸出張する予定があるっていうんだから!!
 主宰者不在で、どーしろって言うのー?!
 そりゃね。15分~20分の演劇に登場人物が7人。セリフ的には、2分程度だから難なく覚えられるでしょ。でも、演劇ってそんな簡単なものじゃない。去年水曜いきまshowで組んだ人たちは、アマチュアとはいえ立派な役者。「役になる」ために、何度も何度も読みあわせをして、セリフを解釈して、稽古を重ねて本番に挑んだものです。一人芝居じゃない、相手とのセリフの掛け合いがあるのだから、間とか、息とか、そういう空気を、役の気持ちを、稽古で掴んでいかなくては、芝居にならない。観に来てくださったお客様に、芝居の楽しさをお渡し出来ない。(……と、役者でもないクセに偉そうなこと言ってますが、ほとんど役者さんからの受け売りです。関わった役者さんはみんな私に、その人の考える芝居とは何か?を教えてくれるから)
 今回は脚本だけでなく、演出も手伝わせてもらえるということなので、毎回稽古に参加しました。
 3月29日と、4月1日。
 セリフをほぼ完璧に入れてくる人と、そこそこ入っている人、まったく入ってない人。
 動きや目線は指示出来ても、その人が「役になってる」かどうかまではわからない。

 私は、いつも稽古中は役名で彼らを呼ぶ。
 それは、「役になりきってください」ということ。
 これは芝居を作るということに携わり始めてからやっていた。
 私は常に、舞台の外。舞台の上に上がることはない。
 だから。
 脚本も、演出も、舞台の幕があがれば、何の手助けにもならない。
 セリフをトチっても、アクシデントがあっても、役者みずからが何とかせねばならない。
 だから、「役になってください」と言う。
 舞台の上、上手から登場して、下手に退場するまでの間、自分であって、自分じゃない。
 そうでなきゃ、セリフを忘れたら、動きを忘れたら、素の自分をさらけ出してしまいかねない。

 光子なら、どうする?
 貴之なら、どうする?
 久仁彦なら、どうする?
 美姫なら、どうする? 
 倫太郎なら、どうする? 
 雅治なら、どうする? 
 ゆりなら、どうする?
 この場合、どう切り抜ける?

 「役になる」ということは、そういうことだと思ってる。
 自分以外の誰か。
 もうひとつの人生を、舞台上で生きる。
 私は、紙の上で生み出すだけだけど、その人生を生きるってどういう気持ちなんだろう?
 演出を勉強中の身でありながら、こんなことをいうのは恥ずかしいけれど、私はまだ、演技というものがどういうものか? よくわからない。
 役者じゃなく、観客目線だからなのか、「上手い演技」と「魅力ある演技」は違うように思う。
 上手い・下手は、わかるけど、魅力は説明出来ない。
 それこそが、感じるものだからだろうか?

 脚本の第一稿から、どんどん書き直して第四稿(決定稿)になったとき、あまる氏は予定通り、韓国へと旅立っていった。
 留守を引き受けた私は、「みかん遊演団の保護者」(←T氏が命名)と、なる。
 ほとんど初対面の私が保護者……どうなるんだろう? という不安だけがよぎった。

 しかし。
 一旦、やると決めたら、やらねばならない。
 というか、私は「やる」と言った瞬間に、本当はもうすでに半分出来ていると思ってる。
 本当に出来るか出来ないかは、あとの半分にかかっている。その半分が、自分の努力であったり、やる気であったり、根性だったりするのだけどね。
 「やる」と言っておいて、後から「やっぱり無理です」というのは、努力が足らないのだと思ってる。
 自分の言ったことは、貫かなきゃね。どんなことをしても。自分を嫌いにならないために。

 あまる氏不在の一週間は、稽古うんぬんではなく、人間関係において痛感した週でもあった。
 世代の違い? ジェネレーションギャップ? 自分にとって「常識」であることが、相手にとっては「常識」でないことの不思議さ。世代を超えた人との会話のあり方。その人の人格、性格、気持ちのボタンの掛け違い。
 たったヒトコトが命取りになったりして、相手に気持ちを開いてもらえなかったりする。
 ほとんど初対面の人たちとのコミュニケーションって、どうやって取るんだろう?
 もし宇宙人が目の前に現れた場合、相手は例の声で「ワレワレハ、ウチュウジンダ」って、本当に言ってくれるんだろうか?(……どうしてもひとボケしたくなるのは関西人のサガだろうか?)

 「みかん遊演団」の中で、私が一方的に激しく興味を持ったK氏を相談相手に、毎日のメールのやり取りが増えていく。カメラマンのTちゃんも力を貸してくれる。その甲斐あってか、何とか、どうにかこうにか、みんなとコミュニケーションが取れるようになって。
 稽古不足を補うため、我が家に集まって稽古したり、お茶飲んだり、ラジバンダリ。(←古い?)

 私は、稽古以上に、お茶を飲む時間って大切だと思ってる。
 これが「お酒」じゃダメなんだな。まず、「お茶」でないと。
 よく「酔ってるから本音が言える」と言うけれど、じゃあアルコールの力を借りなきゃ本音が言えないのかい? アンタが素面で言ってることは全部ウソなのかい? と意地悪くツッコミたくなる。
 素面で本音を語り合える仲であるからこそ、酔ったときにまた違った角度からの本音が聞けるのではないだろうか?
 お茶を飲むということは、何も特別なことじゃない。
 相手と一緒に呼吸するということ。
 同じ空間を共有するということ。
 お茶の好み、お茶の注文の仕方、飲み方、すべてのことが、その人の性格に由来する。
 知りたい。その人を掴みたい。
 そのために、お茶を飲む時間を作るのだ。
 ……ま、当然、稽古もしなきゃいけないのだけど。

 あまる氏が無事、韓国から帰国して、二日間で最後の猛特訓。
 私がお茶会なんてヌルイことをしていたから、全体としてまとまってなかったんだな、きっと。
 もっと稽古したかった。
 あと一日あれば。
 これって、誰もが思うことだと思う。
 けど。
 一緒なんだな、あと一日あろうが、一年あろうが。
 完璧な舞台なんて、絶対出来ない。
 欲しいのは、この役を演りきるという「緊張感」と、商業演劇なのだという「責任感」。
 観に来てくださったすべてのお客さまに、「何かを伝えたい」という気持ち。

 伝えたかったことは、お客さまの誰かひとりにでも伝わったんだろうか?
 本当に伝えたいこと。
 いや、「伝えたい」って思うこと自体が、もしかしたら傲慢なのかもしれない。
 「想い」って……。
 どう表現すればいいんだろう?
 これってやっぱり、T氏が言うとおり、「言葉」じゃないかもしれない。
 ひとりひとりが、何かを感じてくれること。
 この芝居を観に来て良かったと思ってくれること。
 芝居が終わった後も、あの登場人物はあれからどうなったのかな? と残る思い……。
 誰かの心に響くもの。
 それは、言葉にも、セリフにも出来ない、もっと神聖なものかもしれない。


 それではお茶にいたしましょう。
 今日は長~い文章でお疲れでしょう?(笑)
 疲れたときには、甘いものを。
 桜の香る紅茶もいいですが、イチゴのロシアン・ティーはいかがでしょう?
 春の名残、お安くなったイチゴでコンフィチュールを作りましょう。
 生のイチゴと、イチゴの重さ半量の砂糖でゆっくりと煮詰めます。
 ジャムよりゆるい、生のイチゴよりやわらかくて甘い、コンフィチュールが出来上がります。
 これを熱い紅茶に溶かせば、甘い甘いロシアン・ティーに。
 ソーダに溶かせば、ストロベリー・ソーダ。
 ミルクと一緒に、いちごミルク。
 ヨーグルトにかけても、アイスクリームにトッピングしても結構。
 トーストしたパンにバターを塗って、その上にのせれば、お手製のジャムトーストに。
 生イチゴが嫌いな私も、このコンフィチュールのジャムトーストが大好きなのです♪



2009-04-26 00:48  nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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COLE

結論は書いてありませんがきっといい舞台だったのでしょうね 文面に満足げな顔が見え隠れしています
by COLE (2009-04-26 06:19) 

猫たぬき

こんにちは、COLEさん(^^)ノ nice!ありがとうございます♪
実はまだ続きがあるんです(笑)
あまりにも長くなるから、脚本を書くきっかけと舞台の幕があがるまでのことしか書けなくて、「まちあいしつ」の話の内容は後日……と思っていたのですが(^^;
文面から気持ちを読まれてしまいますね、COLEさんには(笑)
悩んだり、筆力の未熟さを悔やんだり、そういうことはいつもですが、やはり自分の書いた二次元の世界が、役者さんによって三次元の世界になる、というのは嬉しいんです。
次は自分だけの満足で終わらず、すべてのお客さまに何か伝えられる、感じていただける、ご満足いたたける脚本を書くこと、舞台を作ることを目指したいです。……言うは易く行なうは難し、ですが(^^;
by 猫たぬき (2009-04-26 13:45) 

猫たぬき

さーちゃんさん、初めまして(^^)ノ
nice!ありがとうございます♪
by 猫たぬき (2009-06-03 04:00) 

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