ワタシは、歌に「恋」をする。 [音楽の話]
自分の年齢を、足と心臓で感じるようになりました……。
どうも、いらっしゃいまし。
桃の香りのする紅茶をいかがでしょうか?
最近、バスに乗る機会が多く、バス停までのんきにテクテクと歩いておりました。
何気なく後ろを見たら、乗る予定のバスが接近中!! 何で?! もしかして時刻表を見誤ったか?!
さて。
こんなとき、アナタならどうするでしょうか?
諦めるか? 走るか?
私はもちろん……バスに勝負を挑みましたさ!! ガンバレ負けるな猫たぬき!!(←自分にエール)
当然、バスは排気ガスの勢い凄まじく、非情にも私の横を通り過ぎ……た、と思ったら、バス停で止まった。 ん? 人が降りるのか?と思っていたら、何と、私を待っててくれたのでした。
いや~、田舎のバスは優しいね♪
……しかし。
年齢のみならず日頃の運動不足がたたり、椅子に倒れ込むように座ったはいいが、心臓のドキドキはバス停を三つ通り過ぎるまで治まらなかった……。当然太ももからひざにかけては、「どんだけおもろいねん!!」と思わずツッコミたくなるくらいの大笑い状態ですし。
今日は「教訓。無謀な挑戦を挑むのはヤメましょう」というお話。……ではもちろんありません(笑)
音楽のお話。お題、「インスピレーションは、理屈を超える」です。
……う~ん、いつもながら前フリとはまったく関係ありませんな。
私は昔から、屁理屈大好き左脳人間だと思ってた。しかしどうやらインスピレーション右脳人間の要素がかなりあるらしい。でもそう考えると、ボキャブラリーが貧困で、「好き」とか「嫌い」とか単純なことしか言わないあたり、かなりうなづける気がする。でも、屁理屈をいっぱいコネまくるところが、半分左脳人間が入ってると思われる。一体、どんな性格なんだ???
今日のお題は、音楽のお話ではなく、私の「執念のお話」かもしれません……。(ホラーかい?)
自分に音楽的才能が小指の爪のカケラもないことに気付いたのは、おそらく小学生のとき。
タテブエと呼ばれるものが、全然吹けなかったんですな。
ドレミファソラシドを吹くのさえ、おぼつかない。(ドにまで小指が届かないって、どんだけ不器用なんだろう……?)
歌はヘタだし、楽器はまるでダメ。
ピアノを弾ける人なんて、尊敬を通り越して偉人に見えてしまうよ。だって、右手と左手が同時に、まったく違う動きが出来るんだもの!!(……これで驚くのは、おそらくワタシだけだと思いますが)
なので、私の音楽は、「聴く」のみ。
しかも、「好きな音楽」しか聴きたくない、というワガママ。
そして。
好きになる音楽は、だいたいみっつのパターンがある。
ひとつ目。
「メロディーが好きなもの」
クラシックや洋楽に多くて、聴いた瞬間、「あ、これ好き」と思うメロディ。
至って、単純明快なもの。
ふたつ目。
「歌詞が好きなもの」
邦楽で、ジックリ歌詞を聴きたくなるもの。
私は、音楽を聞き流すことは出来ないタイプなので、何かをしながら聴いてても、自然にハミングしたり歌いだしたりして、やってること自体がおろそかになってしまう本末転倒タイプ。音楽はシッカリと「聴きたい」の。
なので、歌詞もジックリと読みこむ。
フレーズ、文字と文字の行間、この単語を使った意味……。
歌詞をジックリ聴きこむ、読み込むことは、モノを書く上でも勉強になる。
私は、歌一曲って、ひとつのドラマだし、歌詞は立派な脚本だと思っている。
一番、二番……と続けて聴いているうちに、一本のお芝居を観た気分になったり、小説を読んだ気分になる。
メロディも記憶に残るけど、歌詞の方がもっと深く記憶に残るような気がする。
そして、みっつ目。
「インスピレーション」
メロディが好き、歌詞が好き、という理屈抜きで好きになるもの。
自分の耳にするっと入っちゃうような。
体の中の細胞と違和感がないような。
例えば、毎日朝から晩まで、その一曲が流れ続けていても全然嫌にならない、そんな曲。
一瞬で人に惚れ込んでしまう「ひと目惚れ」のように、一瞬で聴き惚れてしまう「ひと聴惚れ」のような(そんな日本語が存在するか疑問ですが)、そんな曲。
そういう曲って、人生の中でそう何度も出逢うものじゃない。
しかし。
最近、出逢ってしまったんですな。そんな、「恋する一曲」に。
出逢いは、CM。
静岡限定で(おそらく)流れているフェリーのCM。
しかし、この一曲にたどり着くまで、要した期間はおよそ5ヶ月弱。(長っ!!)
もともとテレビをあまり真剣に見ることはなく(水曜どうでしょう以外は)、ドラマも見ないし、当然のことながらCMも見ない。
だけど、このCM曲が流れてきたとき、すっと耳に心地よく馴染む。そんな気がしたんですね。
「何だ?! 今のCMって?」
とテレビを振り返っても、時すでに遅し。すでに画面のCMは他のものに変わっている。
ほんの一瞬。
ほんのワンフレーズ。
それが、耳に心地よく残る。
こういう一瞬って、聴き逃せない。
体の中の五感以外の何か、第六感がうずくのだ。
うん。やっぱ恋ってこんな感じ?(笑)
何となく海の画面だったような……?
船が映っていたような……?
海……海と言えば、船。船と言えば……フェリー?(何だか、暗号を解いてる気分になってきた)
と、ここまでは順調だったんですが、私はなぜかそのとき、「フェリーと言えば、新日本海フェリー」しか思い浮かばなかったんですね。(何でや?!)
で。
浅はかな私は、パソコンで「新日本海フェリー」を調べました。
が、出てくるのはフェリーの知識の数々。
いやいやいや……。こんな知識を知りたいのではなくて。
ラチがあかないので、次にCMを見るチャンスを待ちました。
しかし、CMっていうのは決められた番組と違って、いつ放送するかなんてわからないから、「見よう!!」と思って簡単に見られるもんじゃなかったんですな。
何度か歌は聴けども画面を見逃したりして、数ヶ月が経ち(どれだけ見逃してんだ?!)、そして!! ついに見ました!! フェリーの名前、「駿河湾フェリー」!!
そういえば、静岡限定のCMだと考えたら「新日本海フェリー」のわけがないわな……。
さっそくパソコンで、「駿河湾フェリー」で検索。
そしたら、出てきたんです。このCM曲を歌ってらっしゃるひとのお名前が。
「静岡の歌うたい」と称して音楽活動をしてらっしゃる、シゲル・シュバイツァー氏。(http://gerugarland.blog38.fc2.com/blog-category-6.html)。
このブログへたどり着いたときの、私の感動がご理解いただけるでしょうか?
遠距離恋愛の恋人と、久しぶりに逢えたような?
……いえいえ、そんな生易しいもんじゃござんせんぜ。
声はすれど、姿は見えず。
フェリーのCMまでたどり着いてるのに、その先がわからない。
まるで、姿の見えない妖精に恋してるような。行く先の見えない霞の中を彷徨っている感じ。
CMを聴き逃すたびに悔し涙にくれるあたり、探し当てるたびにすれ違い、なかなか逢うことの出来ない「母を訪ねて三千里」のマルコのような心境になっていたものです……。(例えが古い?)
「やっと出逢えた」
そんな気がしたのですよ、ホントに。
試聴でその曲を聴いた瞬間の喜びを、一体どう表現すればお伝えすることが出来るだろうか?
さて。
問題はここからです。
ブログを読む限り、何だかパソコンからダウンロード出来るらしいのですが、頭の中身が超旧式、アナログの私には、何のことやらサッパリわからない。
それに、やっぱりダウンロードなんてヤダ!! ちゃんとCDが欲しい!!
……と、どこまでもワガママな私は、シュバイツァーさんに、CDを手に入れる方法を教えていただくために、メールを出しました。
すると、自主制作CDで、ライブ会場にしか売っていないというお返事をいただいたのです。
ライブ……私の人生の中では聞き慣れない言葉。
音楽は静かにジックリ聴くものである、という持論を持つ私には縁のないハナシ……と思っていましたが、生まれて初めて決意しましたよ。
虎穴に入らずんば、虎子を得ず。
誰だって初めてのことには臆病なはずだわっ。
でも勇気を出して、その先の一歩を踏み出すことが大事なの。
そもそも芝居小屋にだって、閉所暗所恐怖症を克服して観に行けるようになったじゃないの!!
そうよ!! 勇気を出すのよ、猫たぬき!!
……という、心の中のベタでくだらない葛藤はこの程度にして(笑)
とりあえず、「音楽ライブへ行く」決心をしたわけですね。
でも、どうにもこうにも、私にはライブ運がないみたい……。
2月12日に行われた「ハンサムの宴」(←タイトルがええですなぁ)は、年末に亡くなった祖母の四十九日で、田舎に帰っていた。
月イチの割合でライブ活動をなさっているということだけど、次は3月の末。
ひと月以上も先なのね。
でも、仕方ない。ここはじっと我慢で耐え忍んだのですが……。
しかしっ!!
ここで、またしてもライブに行けなくなる事情が!!
暦の上で、1ヶ月は30日もあるのに、どうして大事な日って重なるんだろう?
いつになったらあの歌が聴けるんだ?! もうこれ以上待てないわっ!!
普段は、のほほーんと暮らしてるくせに、「こう」と思ったら何人たりとも止められない熱意を発揮する猫たぬき。(←注・その「熱意」をぜひ有意義に使いませう)
勢いあまってシュバイツァーさんに、「お前はストーカーか?!」と、自分で書きながらツッコミたくなるくらいクドクドしたメールを送り(よく返信してくださったものですわ)、その熱意(いや、執念?)が実って、何とかご厚意でライブ前にCDを買うことが出来ました!!
どうもね、私は「真面目な文章を書こうとすれば書こうとするほど、変な人になってしまう」ようで。
まぁ、フザけた文章を書いても、トコトンどこまでもフザけてしまう性質なので、結局「変な人」と思われるんですけどね……。
痛感したね。
「ワタシは変質者じゃありません」ってことを、面識のない人に伝えるのがどんなに困難なことか? ということ。
こんな「一歩間違えるとストーカー」と化すようなメールを書く私に、親切丁寧に応対してくださったシュバイツァーさんが、どれほど素敵な方か、お解かりいただけるかと思います。
やっと念願のCDを手に入れた嬉しさで、おそらく帰り道、小躍りしながら歩いていました。そばに警官がいたら、きっと間違いなく職務質問を受けたことでしょう……。
初め、CMで流れている曲に心惹かれ、ブログの試聴で他の曲に触れることが出来て、CDを手に入れて、ますます「インスピレーション」で選んだ曲である感を強くした。
私が恋した一曲。
ほんのり甘くて優しくて、心地良く、ずっと聴いていたくなる、素敵な曲です。
皆さんにも、ぜひ聴いていただきたい、と。
サイドバーに、シュバイツァーさんの承諾を頂戴し、リンクを貼らせていただきました。
シュバイツァーさんのブログ「シュバイツァーランド」で、音楽を試聴することが出来ます。
この曲の何が好きなの?
どこが好きなの?
どう好きなの?
こう聞かれても、おそらく満足に答えられない。
「好き」だから、「好き」としか。
いつもは屁理屈コネまくりだけど、ときどき何の理屈なしに「好き」なものに出逢う瞬間がある。
それは、音楽だけでなく、小説でも、映画でも、芝居でも、物でも。
もちろん、人も。
「好き」と言う言葉は、この世にたくさん溢れている。
あれが好き、これが好き、あなたが好き。大好き。
素敵な言葉であり、嬉しい言葉であり、しかし、一番変化していく言葉でもある。
「好き」が「愛してる」になることもあるが、「嫌い」になることもある。
しかし、インスピレーションで惹かれた「好き」は、決して「嫌い」にはならない。
~だから「好き」は、この~だからの部分がなくなったら、「嫌い」にもなりうるわけで。
説明出来ない「好き」は、どれだけカタチを変えても、決して「嫌い」になることはない。
「優しい人だから好き」は、優しくなくなったら、嫌いになる。
なぜか惹かれる。
どうしてだかわからないけど、あのひとが好き。
「好き」は、恋愛のみに使われるにあらず。「好き」は人を優しくし、心を豊かにする。
この曲を探し当てるために5ヶ月弱を要したけれど、探している間に、私はある人たちと出逢った。
音楽とは、まったく関連のないところで知り合った人たち。
しかし、その人たちはどこかで繋がっていた。
まるで、クロスワードパズルを解くみたいに。
何かが、どこかで繋がっているキーワードを、ひも解くようにひとつひとつ解いていく。
最後まで解き終わったとき、心の中に温かい思いが残った。
もしかしたら、何の関わりもないことを、勝手に意味付けしているだけかもしれない。
でも、世の中に、意味のないことなんて何もない。出逢いは、すべてにおいて必然である。
いや、たとえ偶然でもかまわない。
人は、出逢うべきときに、出逢うべきものや、出逢うべきひとに、出逢っていくのだから。
ときどき深く考える。
「好き」って何だろう?
私は、書くことが好きで、今でも書くことをやめられないでいる。
「書くことが何になるのか?」
「ろくに才能もないくせに」
書いていないときはもちろん、書いている最中でさえも。
好きなことが、どこまでも楽しいわけではない。楽しいと同じだけ、苦しさも抱えている。
それでもやっぱり、嫌いになれない。
無条件に好きだと思えるものにも、ひとにも、めったに出逢えるものじゃない。
でも、だからこそ。
その「好き」は、輝いている。
シュバイツァーさんの歌に惹かれたのは、おそらく、いやきっと。彼の「歌うことが好きなんだ」という魂のこもったところにあるのだと思う。
私は、文章を読むとある程度そのひとがわかる、と常々思っているが、歌を聴いてもわかる気がする。彼の「心」が、メロディを通して、詞を通して、耳に心地よく語りかけてくれる。
巷でどんなに名曲と言われる歌でも、自分の心に響かなければ、自分にとっての名曲ではない。
誰かが何かを発信するとき、必ずどこかに、それを受信する人がいる。
歌から、映画から、芝居から。
誰かの、何気ないヒトコトからでも。
心に響く言葉が、誰かを惹きつけるのだ。
インスピレーションで好きになれるもの。
それは、カタチのない何か。
自分の体の奥底、細胞の中に宝物を隠し持ってる気がして、心地いい。
誰にも盗られることなく、自分だけが愛でることの出来る温かい気持ち。
おそらく「しあわせ」って、こういうことなんだと思う。
何でもない日常の中で、小さな宝物を見つけるしあわせ。
今もし、世界が終わるというならば。
大好きな紅茶を淹れて、甘い香りと、耳に心地良いこの歌声に酔いしれながら終わりを迎えるのが良いな、と思っている。それくらい好き。大好き。
それではお茶にいたしましょう。(おお、久々のフレーズ!!)
八十八夜の新茶にはまだ早い今の時期。
春は、フレーバー紅茶が目白押しですな。
梅、桃、桜……。
本日は、桃の紅茶にいたしましょう。
ふんわり香る甘い桃の香りが、音楽をより心地よくさせてくれます♪
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久しぶりの猫たぬき節を楽しませてもらいました
思いは伝わるですね
by COLE (2009-04-07 22:08)
こんばんは、COLEさん(^^)ノ nice!ありがとうございます。
猫たぬき節(笑)久しぶりですか? そういえば、最近はあまりぶっちゃけてない気がしますね(^^;
普段は、あまり何かに執着するってことはないと自分では思ってるんですが、いったん「これ!!」と思ったら、何かにとり憑かれたかのようになってしまうんですよね……。
書いてて、ホント、迷惑な奴だなぁと冷や汗かいてしまいました(笑)
自分が今、発信する側(芝居で)だから、とくに感じるんだと思います。
願望もありますね。思いは必ず伝わるんだ、という。
それは、文章だけじゃなく、歌も、もちろん写真も。
思いをのせて伝えれば、相手の心に届く。みんな、同じですよね(^^)
by 猫たぬき (2009-04-09 01:52)
素敵な出会いに、おめでとう。
この記事読んで、
「おぅ、そうぢゃった!」
と、自分の記事更新w
今度、keta's Favoriteも2、3枚聴いて頂きたひ。
あ、来月頭に来静するやも。
by keta (2009-04-18 04:08)
ねーこーたーさぁーーーーんっっ!!!
お久しぶりでございますぅ(^^;)
この記事を、携帯から読ませていただいて(はい、PC壊れたまんまです・泣)、「何はなくともコメントせねば!!」っと(苦笑)
解ります!!この感覚!!!
すっごい解ります♪(^^)
音でも言葉でも、人でも物でも。
聴いた瞬間、読んだ瞬間、「好きだ。」っと思ってしまった。
この瞬間、幸せですよね~~(*^^*)
by なっちん (2009-04-19 15:02)
おお、こんばんはketaさん(^^)ノ nice!さんきゅーです♪
運命の一曲、恋する一曲、というのは誰にでもあるものですな。
keta's Favorite……聴いてみたい気もするが、キミはCD選ぶのも適当じゃあないか?! どっちのジャケットが好き?みたいな(笑)
来月頭に来静?
それではぜひ、私のホームグラウンド「猫カフェ」にぜひ♪(^^)ノ旦
数日前に水面下でご連絡を。
by 猫たぬき (2009-04-19 23:57)
お久しぶり、なっちん(^^)ノ nice!ありがとー♪
携帯で読んだ?! 長かったやろーに。お疲れさんです(笑)
PC壊れたままかぁー。そうなんかなーと思ってたけど。
感覚わかる?
何でもそうだけど、「好き」って思う瞬間って、一瞬だけど、すっごい「シアワセ」感じるよね~♪ シアワセがギュっと凝縮されてる感じ♪
わかってもらえて嬉しいわ(^^)
by 猫たぬき (2009-04-20 00:01)
kasuさん、ご訪問&nice!ありがとうございます(^^)ノ♪
by 猫たぬき (2009-06-19 00:06)