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感動の嵐が吹き荒れた春のある1日。 [演劇の話]

 感動したっ!!(って言っても、小泉前首相じゃないのよ)
 「突然、何言うてんねん」と思われるでしょうが、ホント、そうとしか言い表せないコトがありました。
 まぁ、お茶でも一杯飲みながら聞いてやってください。

 さて。
 毎日のほほ~んとお茶飲んでると思われている(実際そうなのですが)猫たぬきですが、三月は久々に外出しました。
 以前、ブログでお芝居のお知らせをしたと思いますが、三月二日に、シナリオの師匠と連名で書かせていただいたお芝居が兵庫県の姫路市で上演されました。
 これがこれが、私を感動の嵐へと導くものだったのです。
 本日のお題「思いを伝えるとは」です。本日、長いです。非常に長い!!(笑) しかしどれだけ書いても、私の受けた感動をお伝えしきれるかどうかわかりませんっ!! それほど感動しました。 
常々、私のシナリオの師匠はおっしゃってました。「舞台を観なさい」、と・・・。
 私の書くシナリオは、ほとんどテレビ(映像)用でした。以前プロの先生のシナリオを下書きしたのもテレビでしたし、自分が書くシナリオもすべてテレビを前提としたものでした。
 何でしょうね。他の方がどんな方法でシナリオを書かれるのかはわかりませんが、私の場合は、シナリオを「書く」というよりも、目の前に現れる映像を「文字化」にしていく、という感じなのです。
 猫たぬきは言わずと知れた妄想癖の持ち主でして、家の中にいながらにして意識がポーンとどこかへ飛ばされることがしばしばあります。そのときは、完全に外界から隔離されて、目の前が見えているにも関わらず、体はそこにありながら意識はまるでない。家の中だったら、それを知る人は、そんな私を見慣れた殿だけですので害はないですが、一度外でその状態になったことがあります。
 姫路の大通りを歩きながらシナリオを考えていたときは、ひとりブツブツセリフを呟く「かなりアブナイ人」で、向かい側から来る人波が、私の目の前でモーゼの海のように左右に割れていたことがあります。ハッと意識が戻った時は、すでに時遅く、周囲の人の目は完全にドン引きでした・・・。
 いや、別に一日中シナリオのことを考えて生きているわけではないのですが、ひとことポーンとセリフが浮かんだら、ダーッとその世界に意識が流れて行っちゃうんですね。それがいつ来るかは、自分でもわからない。お茶を飲んでボーっとしてるときもあるし、パソコンの前にいるときもある。はたまた、洗濯物を干してる途中や、台所で炒めものをしている最中でもあるし、電車の中で車窓を眺めているときもあるし、道を歩いているときでもある。
 ひとことのセリフと共に、映像が目の前数センチのところに浮かんでくる。もし私の頭の中に「ビデオ内臓機能」があれば、それを録っておきたい!!と思うほど鮮明に浮かんでくる。それを詳細に「文字化」にしていく。
 師匠に、「ト書き(セリフ以外の動きの表現)が長い」と、生徒のときからずっと注意されているんですが、映像をそのまま伝えたいと思うと、どうしても動きを書いてしまう。「セリフは良い」と褒められることもありますが、それは主人公が私の想像の中で実際にしゃべってくれているからなんです。
 日本語的にはおかしい表現ですが、私の想像の中の人物であって、生身の人間ではないけれど、私の中では生きている。
 私の想像した主人公は、本当に、この世界のどこかにいるかもしれないと思ってしまう・・・。
 そして、それを今回、体感してしまったんです。「舞台」というもので。

 お芝居の基本的なストーリーを説明しましょう。
 主人公は小学6年生の女の子、明日香。ダンス部に所属している。ダンス部の友達の中には
私立受験をした子もいて、それぞれみんな多感で多忙な日々を送っていた。
 ダンス部合宿前日、明日香の母親が意外なことをほのめかした。
 それは、母親の再婚話。父親を7年前に亡くし、二人暮らしだった明日香の母が、相手の転勤のため、春から明日香と一緒に東京へ行かないかと提案したのだ。
 驚き戸惑う明日香に、更なる不思議なことが起こった。何と、死んだはずの父親が目の前に現れるのだ。しかも、てっきり母親の再婚を応援してやれとの説得かと思いきや、「ママの再婚を邪魔して欲しい」と言い出した。
 みんなの勝手な思いに翻弄される明日香・・・。

 ダンス合宿でも多難は続き、友達との諍いが起こった。
 私立の受験合否の明暗。受験に落ちた友達を、慰め励まし庇う明日香に、泥棒の疑いがかけられてしまったのである。
 いろんなことが重なりすぎて、感情が爆発してしまった明日香は合宿所を抜け出して、森の中へと逃げ込んで行く・・・。

 そこで明日香は、森の女神さまと妖精たちと出逢う。
 月明かりの中で妖精たちと一緒にダンスを踊リ出す。まるで、現世での出来事などを忘れたかのように・・・。
 森の女神さまに複雑な心境を吐露する明日香に、森の女神は助言した。「幸せという文字の意味を考えてごらんなさい」、と。
 幸という字は、左右対称の文字。縦線を入れても横線を入れても、どちらも同じ。「自分のことと同じくらい、相手のことを考えてあげられれば、人間はみんな、必ず幸せになれるのよ」、と。
 月明かりの中、妖精たちは再び目覚めて踊り出した。
 雲が晴れ、月が顔を覗かせるように、決して止まない雨はない。今は悩みの森の中で迷っていても、いつか歩き出せる日が来る・・・。

 眠ってしまう明日香を置いて女神さまと妖精たちが去ると、再び森の中で、明日香は父親にそっと揺り起こされた。
 父親は言う。「女神さまの言葉で目が覚めた」、と。
 ママと明日香の人生の中に、もう自分の姿はない。夢の中や思い出の中でしか逢えない。それならパパは、ママや明日香の幸せを願わなくちゃならない。
 「パパ以外のパパなんていらない!」と言う明日香に、父親は優しく言った。「思い出は、決して消えやしないんだよ」、と。
 誰の心の中にも、いくつもの消せない思い出がある。いつまで経っても色褪せない、忘れられない思い出がある。淡く切ない、ほろ苦い、楽しい、そんな思い出をいくつも重ねて、人は明日を生きていくのだ。
 遠くで明日香を呼ぶ声が聞こえてきた。
 「幸せに、明日香。いつまでもずっと見守っているよ・・・」
 父親との別れ・・・。明日香は再び、眠りに落ちていった。

 次に明日香が目覚めたとき、森の中まで迎えに来てくれたダンス部の仲間達と先生が、火を囲んで歌っていた。
 私は夢を見ていたの・・・?
 明日香は、自分が転校することをみんなに告げた。
 友達は、みんな口々に言った。
「ずっと友達だよ」
「離れてしまうことが、友達じゃなくなるわけじゃない」
「思い出は消えないよ」
 明日香は気付く。
 そうなのだ。私たちの人生はまだ始まったばかり。時間は滞らずに流れている。自分の気持ちだけ考えて、甘えてダダをこねてここに留まっているわけにはいかない。パパの言ったとおり、いろんな思い出を抱えて明日という未来へ向かって羽ばたいていていかなくてはならないのだ、と・・・。

 ・・・ストーリー説明、長っ!!(笑)
 ま、ざっとと言うか、ほとんどまんま、と言うか。書き出したら止まらなくて、一気に書いてしまいました。さて、今、読者は何人残っているでしょーかっ???
 長いついでに、人物紹介&イメージや感想なんぞも暴露してしまいましょう。

 まず、主人公の「明日香」役と、生徒役のみなさん!!
 この子たちがまだ小学生なんて信じられない!! というくらい、すごい。
 何せ、私のシナリオはセリフが多い。
 ミュージカルだから、歌やダンスの他に、あの多いセリフを覚えるなんて、すごすぎる。一言一句間違えず、しかも、かまずにセリフが言えるなんて!! さすが関西人!!(・・・感動するトコが違う?) 他の生徒役さん、ひとりを除いてみんな小学生なんだけど、いや~、記憶力が断然違うのね。私なんて、もう覚えるそばから抜け落ちて行くのに・・・。
 ゲネプロ(通し稽古のこと)を観てるときなんて、気分は「母親」だったかも(笑)
 芝居が終わって、「ありがとうございました」なんて言われて花束贈呈されたんだけど、もう「ありがとう!!」はこっちが百倍言いたいくらいだった。ひとりひとりと握手したけど、明日香役の子には
ホント、ギュ~っとアバラを二、三本折るくらいの勢いで抱きしめて「ありがとう!! 感動した!!」って言いたかった。(・・・やりすぎ?)

 明日香の母親、「香里」役
 この方もプロの役者さんじゃなくて、声楽家の方でした。
 上品で、立ち居振る舞いがしなやかで、ホント「素敵」って感じの優雅なひと。ああいうひとになりたいなぁ・・・。(ガサツな私には絶対無理だろうけどさ)

 明日香の父親、「貴之」役
 ・・・さて、お気づきの方は当然お気づきでしょう。この父親役の名前「貴之」は、もちろん私の敬愛するミスターどうでしょう、「鈴井貴之」氏より拝借いたしました!!
 なので、当然寄せる思いは人一倍。貴之のイメージとしては、私の理想の男性像そのもの。
「まっすぐで優しくて、ジョークのわかるお茶目さを持っているひと」
 シナリオ直しの段階で、師匠が手直しを入れてくださり「ちょっぴりワガママ」という要素が加わって、さらに魅力的な人物像になりました。(さすが師匠っ!!)
 それを演じてくださったのは、プロの役者さん。このひとはホント、すごい!!
 イメージ通り!! 私の思い描いていた「貴之」そのもの!!
 関係者の方々から「なだぎ武のディランばりのオーバーリアクション」と言われてましたが、そこがいいんですっ!!(川平風に)
 声がすっごくキレイで、声優さんなのかなと思っちゃいました。
 し・か・も、幽霊役なので、衣装は上下とも白。男性の白シャツにクラッとくる私としましては、もう直球ドストライク!! それをご本人様に言ったところ、ドン引きされてしまいましたが・・・。
 この「男性の白シャツにクラッとくる話」は、是非次回詳しく述べさせていただきます。

 ダンス部の先生、「笹井透」役
 この方もプロの役者さんです。このひとは、ホント、すご過ぎる!!
 イメージを先に言うと、「一本気で優しい熱血教師、でも幽霊は苦手というちょっとお茶目なひと」、という感じで書いたのです。
 ・・・が。
 舞台に出てきた笹井先生は、赤・白・紫のド派手な衣装、おまけにばっちりメイクもしている!! 
 スタッフの中に水曜どうでしょうの「スタイリスト小松」さんばりの奇抜なスタイリストさんがいたのでしょうか? 個性的過ぎる(笑) 笹井先生が出てきた瞬間、観客の視線を持ってく、持ってく!!
 のちに関係者の方々は爆笑で、「バブルの時代には、エアロビのインストラクターに、こういう人
絶対居たよね~!!」と盛り上がってました。
 ご本人様も、衣装を着けて鏡に映った自分を見た瞬間は、さすがに「やり過ぎやろ」と思ったそうですが、舞台に出てくると弾けまくりで、私のイメージを心地良く裏切ってくれた、すごい方でした。
 師匠もおっしゃってましたが、この方の世界観でシナリオを書いてみたくなります。(当然、コメディでしょう!!)
 「貴之」役で、自分の描いたイメージ通りの役者さんを魅せていただき、「笹井先生」役で、イメージを心地良く裏切る役者さんを魅せていただきました(笑)

 そして、「森の女神」役。
 この方が、音楽学校の先生で、今回の舞台の主催者さまです。
 この方にお逢いする前に抱いていた勝手な私のイメージは、「ものすごくシッカリした、年配の方」だと思っていたのです。(失礼しましたっ!!)
 主催者である、ということもあったし、「先生=シッカリしてる」「先生=年上」という安易な発想があったので、イメージとしては幼稚園の園長先生という感じでした。
 しかし、この仕事をしてしばらくしてから、一通の手紙が届きました。舞台の招待券と一緒に手紙が添えられていました。
 その文字を見ると、字が若い。変な表現ですが、そう感じたんですね。別に丸文字とか絵文字なわけでもなく、丁寧で達筆なお手紙だったのですけどね。それを読んで、「私と同じくらいの年の人なのかな?」と思いました。イメージは、「明るく、元気なひと」かな。漠然と。ホント、文字からのイメージです。
 そういった相反するイメージの中で、師匠から主催者さまを紹介され、「年配者」というイメージは完全に破壊され、字のイメージだけが残りました。しかも私より若いっ!! なのに、このシッカリした感じは何なのだ?! (いや、私がシッカリしてなさ過ぎなだけか?!)

 通し稽古の前の稽古段階で、彼女の指摘が飛ぶ。
「セリフが聞こえへんで、もっと大きな声で」
 生徒たちも、緊張しているのでしょう。セリフが小声になったり、ダンスの立ち位置がちゃんとわかってなかったり。
 途中、明日香と貴之の森でのシーンは、明日香のセリフが飛んでしまったりしました。貴之役の役者さんが明日香の肩を抱くシーンがあるのですが、震えていたらしい。
 私は、もう土下座して謝りたい心境でした(泣)
 これは「テレビ」じゃなくて、「舞台」。
 出ずっぱりの主人公は、幕が上がれば、舞台袖でセリフの確認も出来ない。
 もしセリフをトチったからといって、「カット!!」の声はかからない。やり直しはきかないのだ。少しでも足を踏み外せば落ちてしまう、綱渡りをしているような、そんなギリギリの精神状態で芝居をしている。緊張、たくさんのセリフ、幕の上がる時間が迫ってくれば、パニックにならないわけがない。
 何より、まだたった小学6年生の女の子なのだから・・・。

 そこでも彼女の声が飛ぶ。甘く優しい声で。
「大丈夫よ、出来る。上手やで。みんな、ちゃんと出来てる。緊張しないで」
 この、ホントに「女神さまがささやいている」ような優しい声が、どれだけ緊張する子供たちの精神を支えたんだろう。
 稽古が終わって、ゲネプロという本番そのものの通し稽古に移る。
 セリフが飛んでしまった明日香も、彼女の言葉に勇気付けられてシッカリと演技する。

 私が一番好きなシーンは、森の女神さまと出逢うシーンと、それに続く貴之と明日香のシーン。
 この物語の中で、書きたかった世界観のすべてと言っても過言ではない。

 人は、「幸せになりたい」と願いながら、なかなか幸せになれない人がいる。
 人それぞれ、どんな「幸せ」を望んでいるかわからないから絶対とは言えないが、ひとり無人島にいて「幸せ」にはなれない。人間とはその文字の通り「人と人の間」、人との関わりの中で、喜びや嬉しさ、幸福感を得られるのである。
 そう考えると、幸せというのはひとりではなれない。誰かのくれる笑顔が幸せであるなら、誰かを笑顔にさせなければいけない。自分と同じように相手を考えること、愛することが出来れば、人はいとも簡単に幸せになれるのではないだろうか?

 「幸」という字のくだりは、私が以前から思っていたこと。左右対称の文字。
 「自分だけが幸せになればいい」「自分だけ助かれば他はどうでもいい」人は、左右対称の相手がいない。本当に幸せになれるだろうか? 愛する人も、信じられる人もいない、たくさんの人間が周囲に居ても、誰ひとりとして心を許せる人のいない、孤独な世界で・・・。
 マザー・テレサのように「(愛を)与えなさい、与え続けなさい、相手が痛みを感じるまで」・・・が出来るほど人間が出来ている人はめったにいないが、自分の周りの大切なひと、家族、恋人、友達を思いやることくらい、誰にでも出来ることだ。
 生きていくということは、一生の間で出逢う大切なひとたちの関わりの中で、忘れられない思い出を積み重ねていくことなのである。

 自分でシナリオを書いておいて「感動したっ!!」とは、自分に酔ったナルシストな奴!! と思われるかもしれないが、シナリオというのは、モノを作る「設計図」に過ぎず、モノ「そのもの」ではない。
 単なる二次元の世界であり、その二次元の人物に命を吹き込むのは、演出家であり、役を演じる役者なのである。二次元の薄っぺらな人物に、命が吹き込まれて、三次元の人間に変化していくのを間近で見た感動。「舞台」というものは、たくさんの人の手が入り、思いを重ねて作られていくものなのだと感じた。
 「舞台を観なさい」と、おっしゃった師匠の言葉の意味がすごくよくわかった。
 テレビや映画という、映像世界は、フィルムの繋ぎ合わせで出来ている。もちろん、たくさんの
場面展開や、撮り方、フィルムでしか出せない魅せ方の手法もあるのだから、テレビや映画が悪いと言っているのではない。
 でも、気持ちや感動は舞台の方が、段違いに伝わる。
 始まりから終わりまで、観客と役者は同じ空間の中にいる。同じ感動の中で呼吸している。役者の思いが、息遣いまでが、直に伝わる。

 先程も書いたが、舞台は「カット!!」の声のかからない真剣一発勝負。幕が上がれば、役者だけの世界。演出家や脚本家は手も足も出せない。斬るか、斬られるか? 笑わせるのか、笑われるのか? セリフをトチろうが、間違えようが、舞台の中央にいる役者たちにしか繕えない。時の流れは残酷で、今言ったセリフを巻き戻すことは決して許されない。口から出たセリフはすべて過去になっていく。
 しかし、だからこそ、一瞬一瞬の緊張が、感動が、ヒシヒシと伝わってくる。
 気持ちが、思いが、すべてのエネルギーが舞台から放たれている。
 生徒たちは全員、演技に関しては素人である。ダンスや歌は上手いが、演技はプロの役者さんに到底敵わない。
 でも。
 気持ちはすごく伝わる。一生懸命練習した気持ち。たぶん、セリフを覚えられなかったりトチったり、それでも頑張って覚えただろう舞台裏が鮮明に見えてくる。汗、涙、励ましあい・・・。そんなすべての舞台裏を、一度も見たことがないのに想像できる。
 プロの役者は、そんな舞台裏をおくびにも出さない。どんなに苦労して掴んだ役の気持ちだとしても、一瞬で掴んだかのような涼しい顔をして舞台に上がる。本番では最高のものを魅せ、決して舞台裏を見せない。それが「プロ」であるからだ。
 でも、この芝居は、プロが主体じゃない。演技には素人である彼女たちが主人公である。
 舞台裏が見えても、今、この舞台に立っていることこそが感動なのである。
 気持ちは「母親」だと言ったが、一度も子供を育てたことがないのに、「こんなに立派に育って」と目を潤ませる母親の気持ちがわかった。この「一日」のために、彼女たちはどれほどの練習を重ねてきたのだろうか。
 今、この一瞬。
 この一瞬のために。
 一日限りのこの公演。
 終わってしまえば、「真夏の夜の夢」ならぬ、「春風が通り過ぎた一瞬」だったのかと思うほどあっけなく、それでも感動は胸から消えない。

 芝居が終わって打ち上げがあった。
 そこで演出家の方と話していて思ったことは、やはり「脚本」と「演出」の考え方の違い。
 「設計図」を書く脚本家は、二次元の世界を作る。「舞台」を作る演出家は、三次元の世界を作る。テレビ用のシナリオでは通用しない、三次元の表現の仕方がある、と。それを教えていただいた気がする、貴重な体験でした。欲を言えば、もっともっと語りたかったなぁ・・・。またお逢いできるときがあると嬉しいのだけれど。
 役者さんとの会話の中で教えられたのは、「舞台とは生きものである」ということ。
 同じことをやったとしても、客の反応は違う。呼吸のタイミング、一瞬の間、ちょっとしたことでガラリと違ってくる。舞台が何日も続くとき、毎日反応が違うことがある。頭の中の計算だけでは量れないものがある、と。
 始めに脚本という設計図があり、それぞれの人の思いと考えが重なり合って舞台は出来る。その中には、伝えきれない思いや、妥協してしまったこと、表現しきれなかった無念さも当然ある。脚本を書く者にも、演出する者にも、演じる役者にも。作るからには、完璧なものを目指したい。しかし、完璧なものを作るということは、何と難しいことなのだろう。
 作り出した思いは、どこまで観客に伝わっただろうか?
 それを知りたくて、もっと上手く表現したくて、また次の舞台の幕を上げたくなるのかもしれない。

 最後に。
 何よりもこの舞台を支えたのは、主催者の彼女の「笑顔」だったのではないか、と思った。
 彼女の笑顔は、人を和ませる。幸せな気持ちにさせる力がある。
 また次回に書きたいネタにとっておこうと思うが、人の発する言葉には魂が宿る。「言霊」という言葉もあるし。
 彼女が「大丈夫、出来る」と言えば、「出来る」気がする。緊張する生徒たちを支えたのは、彼女の「大丈夫」という言葉と、笑顔だったのだ。
 打ち上げでも、彼女はしきりに演出家さんを信頼し感謝し、役者さんたち、私の師匠、舞台に関わったすべての人たちに感謝とお礼を述べていた。私のようなものにまで(恐縮ですっ!!)
 でもそれは、彼女の本質が素晴らしい人だから、周りにとても素敵な人が集ってくるのであって、すべては彼女の笑顔のせいだと思う。
 私は、師匠に連れられて「彼女がこの舞台の主催者です」と紹介された瞬間から、彼女が大好きになった。シッカリと握る彼女の手の温もりと、すべてを包み込んで和ませる、彼女の笑顔。
 世の中は、「気」というのがめぐっている。良い「気」を出す人のもとには、気の良い人が集る。
 今回の舞台に関わった人は、みんな良い人だった。私は一瞬で人を好き嫌いにわけてしまう悪いクセがあるが、全員大好きになった。嫌な「気」が流れないその場所は、とても居心地が良い。
 私の師匠は、私に対してだけは、たま~に吹き矢で毒針を放つときがありますが(笑)、穏やかで気持ちの優しい方である。おそらく師匠の気と、彼女の気がひかれあって、今の縁があるのだろう。その場所に「居る」ことを許された私は、本当に幸せものだなぁと思う。
 ブログで知り合った人たちと初めて逢ったときと同じように、「違和感」がまるでない。
 もうずっと以前から知っているような。「初めまして」じゃなくて、「やっと逢えた」ような、「お久しぶりです」と言いたいような・・・。そんな不思議で温かい気持ち。
 私は「人好きの人見知り」という奇妙な性格で、人と話すときは、テーブルの下の足が震えていたりするのだけど、それでももっともっと話したいと思う人たちばかりなのは、とても心地良い。
 違和感を感じない人との出逢いは、貴重な財産だから。
 どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。(・・・って、個人的なお願いをブログでするなって?)

 実はまだ感動の波は続いていて、体は静岡に帰って来ているのに、意識は姫路に置いたままなのかもしれない。あの姫路のホールに、打ち上げをした居酒屋の椅子の上に。生徒たちのダンスが、お芝居が、関係者の人たちの笑い声が、ふいに耳によみがえってくる・・・。
 本当に怒涛の如く、感動の嵐の一日でしたが、もう一度言おう。
 「舞台って、すごい!!」

 それではお茶にいたしましょう。
 三月一日から四日まで、出掛けていたので、家でお茶を飲むのは久しぶり。
 静岡に帰って来たので、ゆっくりと日本茶を楽しみましょう。
 今日はいつもより丁寧に、じっくりと常滑焼の小さな急須で蒸らした日本茶は、とても甘くて美味しい。最近お気に入りの「10円黒糖まんじゅう」をお茶請けに、お茶をいただきます。
 それではまた次回、お逢いしましょう・・・♪


2008-03-05 23:10  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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kumasu

こんにちは~♪花粉症にやられちゃってるクマスです。
ステキな舞台だったのですね~~☆
なんだか読んでて鳥肌立ちましたもん!きっと舞台も脚本も人も全部素晴らしい組み合わせだったんだろうなぁ~と感じました。
まさに、お話が人と人を繋げるんですね~~
お話だけでも感動しました!!
ぜひ、DVD見てみたいです☆ハンカチ用意して見なきゃ~
それにしても、節々「どうでしょう」に例えられてるのが、マニアとしては大変理解しやすかったです(笑)
by kumasu (2008-03-06 17:49) 

猫たぬき

こんばんは~クマスさん(^^)ノ nice!ありがとー♪
術後の経過はいかがかな~? おまけに花粉症にヤラレて・・・大変やね。
もうすっごい素敵な舞台だったよ~!!(><)。。。
子供たちのエネルギーってすっごいの!! まだまだこの感動を伝えきれてない気がするよ。脚本もいろいろと伝えきれないことが山積みだし、私はまだまだだなぁって落ち込んだりもしたけど、子供たちの一生懸命さに救われた感じがすごくある(^^) 
この仕事をさせてもらって、ホント師匠と関係者の方々に感謝!!☆
どうでしょうネタわかった?(^^; 何気に「貴之」ってつけちゃうし?(笑) 
だって、感情移入したいもんねっ!! 大好きなシーンだしっ!!(^^)b
「スタイリスト小松」さんも存在したよ(笑) 役作りもすごいけど、衣装ひとつであれだけ爆笑取れるんだもんな~、やっぱ舞台ってイイ!! 調べたけど静岡ってあんまりないのよね、浜松とか長泉(ドコなんだ~?!)ってとこでは割とやってるみたいなんだけど。引越し落ち着いたら、クマスさんも一緒に何か観に行こうよ(^^)b☆
by 猫たぬき (2008-03-07 22:45) 

だい吉

こんばんは、だい吉です^^
黒糖がちょっと苦手な39歳です(笑)
さて、まずは後悔を…
行っとけば良かった(;;) 姫路なんて2時間もかからないのに…
後悔はふたつ。
舞台を見れなかったのと、猫たぬきさんにお会いできたかもということ。
舞台やコンサートは好きなのに^^;
いや、実は子供さんがやってるって言うのをちょっとなめていたのかもしれません。
これは大人の間違った判断でした。
一生懸命やってる姿は子供を持つ身として絶対に感動できたはず。
しかも、大好きなブログを書かれてる方が関わってるものが自分に合わないはずが無い。

しくじった… だい吉、未熟でした^^;

たくさんの人が関わって一つのものが出来上がる感動はその空間というか時間を共用した人だけが味わえる特権。
う~ん、返す返すも悔やまれる^^;

しかし、自分の気に入った役柄の人に好きな人の名前をつけるとは(笑)
これも特権か(笑)
苦労も多いでしょうが、物書きは産み出す感動がありますね^^
by だい吉 (2008-03-14 00:32) 

猫たぬき

こんばんは、だい吉さん(^^)ノ nice!ありがとうです♪
黒糖苦手ですか? 体にはいいんだけど、確かにちょっとクセあるよね。
ホント、この舞台は「観て欲しかった!!」と思いますよ(^^;
子供を持つ親御さんには、絶対観て欲しいって思う。
「上手い演技」と「魅力ある演技」っていうのは違うのね。それはプロ役者にだって言えることだけど、子供のね、あのパワーとエネルギーって、あの小さい体のどこから出てくるんだろう!!って思うの。
せっかくだい吉さんともお逢い出来るチャンスだったのにね(><)。。。
しかし、あの一日ですっかり「舞台」の素晴らしさに目覚めてしまった猫たぬき・・・。これからまた舞台の脚本が書ける機会があるといいのだけど(^^;
何だかね、今もあの感動が抜けないの。一週間以上経ってるのにねぇ。

そう。何人もの人の思いが重なって、カタチのないものをカタチ作って、命を吹き込んで、作品として完成させる舞台。あの感動を共有するには、同じ空間と時間の中で息をするものにしか味わえないのかも。そういうことを考えると、殿は設計士で、私は脚本書く人で、同じ「設計図」を描く人間としては、同じ種類の仕事をしてるのかもしれないなぁ・・・。
やはりね、役名をつける自由は、ホン書きの醍醐味でしょう!!(^^) 
好きな人の名前をつけた役者さんには、格別な思いを寄せてしまうのねん♪ しかし、役者さんにとっては迷惑な話かもね(笑)
by 猫たぬき (2008-03-14 03:49) 

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