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短絡的で残忍な事件。 [ニュース関連に思うこと]

 どうも、いらっしゃいまし。
心落ち着くお茶・・・一服いかがですか?

 先日書いたブログ、「赤ちゃんポスト」ではなく「こうのとりのゆりかご」である。・・・は、世間の方には、あまり関心がないのか、それとも私と違って反対とお考えの方が多いのか、イマイチ閲覧数は伸びないですな。
 しかし、気にせず今日もニュース関連のブログで行きましょう(^^)ノ ←ある意味チャレンジャー。
 本日のお題「人は感動も忘れてしまうのですか?」

 最近のニュースで一番気になったのが、これ。
 「両親と長男焼死、殺人容疑などで26歳女を逮捕…熊谷」
 本当はポチっと触ったら飛べるような機能をつけるべきなんですが・・・申し訳ない。

 要約すると、子供を置いて夜遊びをする娘(容疑者)に意見した母親に腹をたて、両親と自分の
産んだ子供ともども焼き殺すという事件だ。
 「自分も死ぬつもりで火をつけた」と供述しているらしいですが、助けを呼ぼうとしなかったり、きっちり携帯電話を持ち出して逃げるあたり、計画的犯行のような気もしますが・・・。

 「人間は忘れる動物である」・・・、何かの本で読んだ言葉だ。
 確かに人はいろいろなことを忘れていく。脳の記憶容量が決まっている以上、忘れなくては新しい知識が入らないことも確かだ。
 出産を経験していない私には「陣痛」は未知の痛みだが、出産を経験した友達の話によると、
出産直後は「もう二度とこの痛みはいらない」と思うが、二、三年経てば「もうひとり産んでもいいな」と思うのだそうだ。「陣痛の痛みって忘れるのよね~」と、あっけらかんとおっしゃる。
 ・・・そうか。我々「女」という性には、「出産」するために「陣痛」という試練があるが、それには
「忘れる」機能がついているようだ。ま、そうでなければ、二人目、三人目は産めまい。
 しかし、しかしである。
 自分の血を分けた子供が誕生した「感動」までも、人は忘れてしまうのだろうか?
 自分の子供を「焼き殺す」ことなど出来るのだろうか?
 
 殿にこの事件のことを話すと、「赤ちゃんポストがどうのこうの以前の問題やな」と言った。
 私も同感だった。  
 「こうのとりのゆりかご」に対して、暫定的に賛成と思っている。
 そして、この「こうのとりのゆりかご」がなくなることを願っている。・・・と書いた。
 もちろん私は、「子供を置き去りにする」ことを賛成しているわけではない。・・・が、この「こうのとりのゆりかご」を頼る女性には、たった1%でも、まだ「母親」の心が残っているのではないかと思う。
 例え、自分のいる場所が北の果てだろうとも、九州は熊本市にある、この病院でなければ安全に子供を預けられない。ここまで子供を連れてくるということは、少なくとも「子供の命は救いたい」と思っているわけだ。

 このニュースの容疑者。26歳。二十歳をとうに超え、5歳にもなる息子の母親である人間の行動だろうか?
 金遣いの荒さ、夜遊びを咎める邪魔な両親、足枷になる長男。・・・いらない。殺しちゃえ。
 ニュース記事をそのまま鵜呑みにして読めば、そんな風に取れる。ニュースの文面には、被害者の無念さも、容疑者の心の声も何もかかれていない。事実のみを記してあるだけだから、読み取り側が推測して読むしかない。もちろん、この推測が邪推であることを願いたいが。
 熊谷の事件の容疑者、私の独断と偏見によれば、この容疑者はすでに「人間」ではない。
 私の独断と偏見では、「人は、どんな事情があろうとも、殺人を犯した段階で人間とは呼べない」と思っている。日本の法律はどうあれ、私の中での事故と殺人の区別は、「殺意のあるなし」ではなく、事故か殺人かの「意識」の区別である。子供の飛び出し事故など、避けようのない事故は「事故」であるが、飲酒運転で人を殺した場合、泥酔状態で人を殺める凶器になりかねない車を運転する事実がすでに「人を殺しても構わない」という意識の表れだと思っているので、これは確実に殺人だと思っている。その中でも「人間の欲望」による殺人は、如何とも許しがたい。許されるべきではない。
 昔は、「仇討ち」という制度があった。人を殺すときは「仇討ち」されることを覚悟して殺していたはずだ。ならば現代もそうであってほしい。殺人には、自分の死をもって償うべきだと思っているので、死刑制度廃止には賛成出来ない。
 熊谷事件の容疑者、「自分も一緒に死ぬつもりだった」と供述しているらしいが、人間死のうと思えば、舌を噛み切ってでも死ねるのだ。未だ生きているということは、「死ぬつもり」がないということかもしれない。

 この容疑者は、出産を経験した母親であるが、産まれたての長男をその腕に抱いたときの
「感動」すらも忘れてしまったのだろうか? 両親に産んで育ててもらって、今の自分があるという最低限の「感謝」も忘れてしまったのだろうか?
 人生で起こった出来事は、すべて現実の出来事である。
 過去をリセットすることは出来ないし、事実は変えられない。
 母親であることは、紛れもない事実である。
 この母親は、「こうのとりのゆりかご」が存在していたとしても、そこまで子供を連れて行くことすらしないのだろう。
 「殺す」ということは、「生まれる前に戻す」ということではない。
 「要らない=殺す」というあまりにも短絡的な考え。二十歳を過ぎた、しかも子供を産み育てていくべき母親であるにも関わらず。「犯罪」をあまりにも軽く考えすぎているこの容疑者に、更生はあるのだろうか。
 話は逸れますが、私はいつも「裁判長」の言葉に納得できないものがある。
 殺人者に対して「更生して殺めた人間の分も立派に生きろ」という言うような発言。
 それは事故によって、やむなく名前も知らなかった誰かを殺めてしまったときに使うのなら理解出来るが、殺人を犯した人間が本当に「更生」した場合、罪の意識に苛まれて生きていられないのが普通だろうと思うから。自分の手で、殺意を持って相手を殺してしまったという罪の意識は、一生消えないはずだ。
 
 「イチから出直す」という言葉があるが、これは「過去をリセットする」ということではない。
 未来は、今現在からの行動や心意気で変えられる、という意味だと思っている。(本来の意味はどうか知らないが)
 過去だけは絶対に変えることは出来ない。過去があるから今の「アナタ」が存在するのだ。
 楽しいことばかりじゃない過去でも、それが現在の自分を作り上げている。
 「子供を産む」ということは、女なら誰もが経験できるということではない。
 欲しくても授かれない女性も多くいる。その中で、出産の奇跡にめぐりあえた「感動」を、リセットしていいわけがない。
 もちろん、「こうのとりのゆりかご」を頼る女性も同じこと。
 「子供を置き去りにする」ということは、「子供を産まなかったことにする」ことではない。
 「母子心中をするほど追い詰められているのなら、子供の命だけでも人に託しなさい」ということである。マザー・テレサ風の慈悲の心なのである。

 人の心が腐敗しているこの世の中。
 「こうのとりのゆりかご」に大変抵抗を感じると言ってる場合ではない。人間としての心構えを教育し直さなくてはいけないところにまできているのだ。
 「美しい」というのは、見かけだけではない。内側が美しくなくては、メッキは必ず剥がれる。
 日本という国が、真に「美しい国」であったなら、「こうのとりのゆりかご」は存在しなくてもよいはずであり、熊谷の事件のような「短絡的で残忍な事件」も起きるはずがない。

 それではお茶にいたしましょう。
 心が落ち着くお茶・・・ハーブティーもよろしいのですが、やはり日本人、静岡県に住む習性からか、つい手が伸びるのが日本茶。ジャパニーズティー。
 静岡県だけでも様々な種類の日本茶があります。お気に入りの牧の原の深蒸し茶を。何でしょね、日本茶は「一杯いかが?」というよりも、「一服いかが?」という方が風情がありますな。
 それではまた、お逢いしましょう。


2007-02-27 17:59  nice!(1)  コメント(10)  トラックバック(0) 
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コメント 10

mimi

母子心中をするほど追い詰められているのなら、子供の命だけでも人に託しなさい」ということである。マザー・テレサ風の慈悲の心なのである。
・・・読んでて・・・ズシン・・・と・・来ました。
基本的には・・あまり賛成では無いですけど・・そんな事も有るかな・・と・・。それならば・・・納得・・・と思いますが・・・果たしてどうゆう風に使われるのか・・・と考えると・・・。
親が居ないという事の大変さ・・・いる人にはわからないだろうけど・・。
by mimi (2007-02-27 18:48) 

猫たぬき

初めましてmimiさん(^^) コメントありがとうございます。
↑の言葉、別に「マザー・テレサが言ってた」わけではないんですけどね(笑)
親が居ないということの大変さ・・・居る人にはわからない。
・・・確かにわかっていないかもしれません。一応親がいる家庭で育っていますから。しかし、実の親にあまり愛されなかった大変さはわかっているつもりです。血の繋がった親であるがゆえに、許せない言葉や態度、仕打ちというのがあるということも。
ただ、親の勝手で子供を道連れに心中することや、熊谷の事件のように子供を焼き殺す事件などは許されることじゃないと思うんです。
子供は生まれ落ちた瞬間から、「ひとりの人間」として扱われなくてはならない。母親のペットでもなく、人間として。虐待されて挙句に殺されるという惨劇になるくらいなら・・・という「最後の砦」であると捉えています。私も「暫定的に賛成」であり、「こうのとりのゆりかご」がなくなる未来を願っています。親のない子供が強く生きてくれることを。大きくなって「命の大切さ」を実感することを。そして、「幸せ」になってくれることを願って。
by 猫たぬき (2007-02-27 19:14) 

なっちん

前記事に引き続き登場です(^^;)
また支離滅裂になってしまうかもですが、ご容赦を(^^;)

熊谷の事件、結局「計画的」だったようですね(--)
ノイローゼを克服した妹と「あり得ない!!」と叫んでました。
理解が出来ない。「理解したい」とも思わないけれど、それにしても本当に理解が出来ない。
「何」がそうさせるのか。
何の躊躇いも無く、「ボーダーライン」を超えてしまう。
「人間でなくなる」瞬間、何も感じないのだろうか?
感じないから簡単に超えてしまうのだろうとは思うんですが・・・・。

「過去があるから、今のアナタがいる」
今までの「過去」の、どんな些細なことのどれか1つでも違っていたら、「今」の私はいない。
それを受け入れる事から「自分」は始まるのかなぁと思います(^^)

そうそう「陣痛」☆
私は産んだ瞬間に忘れました♪(←はやっっ!!汗)
それより「抜糸」の方が痛かったのを覚えてます(^^;)

「さま」はダメですか??(笑) では「猫たぬきさん」でよろしいですか??私は「なっちん」で良いですよ(^^)・・・・多分、年上か同年代ですが(笑)
こちらこそよろしくです☆(^^)
by なっちん (2007-02-27 22:21) 

こんばんは、だい吉です^^
そんな、ポストがあるんですねぇ…
うちは早くに両親を無くしてますので、こういうのを聞くとそこのポストに入ってしまった子供の行く末を案じてしまいます。
いろんな事情や理由があるとは言いますが、親が最後まで離さないのは子供の手であってほしいと思ってしまいます。
だって、死んだら握りたくても握れないんですから…
もう、そんなことを思うのは幻想な時代なんですかね…
by (2007-02-28 00:33) 

猫たぬき

こんばんは、なっちん(^^)ノ←さっそく「さん」なしか?(笑)
長いコメントは大歓迎ですよ。深く読んでくれてるんだなぁ~って嬉しい♪
ホント「あり得ない!!」ですよね。利己主義というか、自分さえ良ければいいんだろうね。そのために邪魔なものはすべて切り捨てる。自分の血を分けた子供でさえ手にかけることが出来るんだから。
よくね、「簡単」ってことを言い表すのに、「赤子の手をひねる」って言うじゃない? 殿とふたりで、「普通、感情的に赤ちゃんの手をひねるのって簡単に出来ないよね、かわいそうで」って言ったことある(笑) あんな幼く弱く愛らしいものの手をひねるなんて出来ないよね。ましてや自分の子供を焼き殺すなんて・・・考えられない、あり得ない。

それを受け入れる事から「自分」は始まるのかなぁと思います(^^)
↑は、納得。すべての過去を受け入れるから「今の自分」があるんだよね。自分が自分を否定するとドンドン苦しくなる。どんな自分でも愛しいんだよ。そして、自分をキチンと愛していれば、その愛を他の人にもあげられるようになる。・・・何て言ってて私も最近だけどね、それをわかったの(^^) 
それをわかっていれば、犯罪みたいな「人間でなくなる」行動はしないと思う。

「猫たぬきさん」・・・ニックネームをさらに崩すって難しいね。めんどくさかったら、「猫たぬき」って呼び捨てでも何でもいいですよ(^^)
同年代かな? なっちんの見てた「遠山の金さん」は誰でした?(笑)
by 猫たぬき (2007-03-01 00:08) 

猫たぬき

こんばんは、だい吉さん(^^)ノ
・・・何か、私すっごい嫌な人間みたいですなぁ・・・。
確かにだい吉さんの言うことは正論です。mimiさんに対するコメントにも書いている通り、手を叩いて賛成!! と言ってるわけではないです。(当たり前や)
親は子の手を最後まで離してはいけない・・・当然です。当たり前です。そう覚悟して生んで欲しいものです。そういう世の中でなくてはいけません。子供を「捨てる」ことを賞賛しているわけでは決してない。
しかし・・・しかしね、多少の暴力ならまだしも、食事を与えないとか熱湯をかけるとか、そういった生命の危険にまで発展する虐待だった場合、「虐待する親の元に生まれてしまった不幸な子供は死ぬしかないんですか?」と問われたら、例え親の存在はなくても安全な場所で幸せに育って欲しい思ってしまうんです・・・。人間の資質の問題なんですよね、子育てうんぬんよりも。何かね、虐待に関してはすごく過敏になるんですね、私はとくに(--)
by 猫たぬき (2007-03-01 00:21) 

こんばんは、だい吉です^^
コメントで嫌な思いしてたらごめんなさい^^;
決して猫たぬきさんは全然嫌な人じゃないですよ~
ただ、虐待もそのポストがある今の環境というか状況が寂しいというか悲しいというか…
なもんで、猫たぬきさんのブログには同感ですよ^^/
うちの親父は暴れん坊でしたが、愛情は人並み以上あったんですね^^; ま、愛情過多でしたが…( ̄- ̄=)
by (2007-03-01 01:56) 

猫たぬき

いえいえ、だい吉さん(^^) コメントで嫌な思いをした・・・というわけではないんですよ。ただね、皆さんが正論を言ってるのに、私はどうもひねくれてモノを見てるなぁ・・・と思っただけで(^^ゞ
う~ん、確かに虐待も、こうのとりのゆりかごも、人間の資質が向上すれば自然となくなるものなんですよね。でも、設置しなくてはならない今の環境というのが哀しいというのはわかります。でも地球温暖化防止!!を呼びかけながらも温暖化が止められないように、人間の資質は、本人が自覚するしかどうにもならないもので・・・哀しいけど。
人ってのは、「自分」は自分の気持ち次第で変えられるけど、「他人」を変えることは無理なんですよね(--) ひとりひとりが意識を高めて行かないと・・・
by 猫たぬき (2007-03-01 02:54) 

m_kikuchi

理由は何であれ、
生まれてくるべきでない人々が
増えてきているとしたら、
今という時代?社会?に
早急に手を打つべき問題を
はらんでいるということでしょうね。
by m_kikuchi (2007-03-06 22:07) 

猫たぬき

こんばんは、あすなろうさん(^^) nice! ありがとうございます♪
人は、生まれてから「人間」に育てられて「人間」になっていく・・・。
その最初に接する親が悪いのか、社会が悪いのか、本人の意識が悪いのか・・・? 何が悪いとひとつに特定出来る世の中ではありませんが、何もかも「人のせい」にして「自分は悪くない」と思っている人こそ、諸悪の根源である・・・ということでしょうか。
昨今の凶悪事件、裁判による犯罪者への甘い処罰、「悪いことはすべてやった者勝ち」という世の中になってしまった時代に、哀しみを感じます。
by 猫たぬき (2007-03-07 04:00) 

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