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愛が足りない・・・。Ⅱ [ニュース関連に思うこと]

 どうも、いらっしゃいまし。
今日は、とりあえず気分の落ち着くお茶をどうぞ。

 今日はちょっとぶっ放します。44オートマグ乱射くらいです。(そんなことしたら普通打たれた人間は木っ端微塵です)なので、読んで気分の宜しくない方はどうぞ回れ右をして、他の楽しいブログへと飛んでくださいませ。と言いますか、読んで気分の宜しくない人には、今日のお題から得られるものは何ひとつありませんので・・・。今日のお題は「いじめ問題について」。そして、まったくの私見ですので、くれぐれもこれが正しい意見なわけではありません。これは、今現在「いじめられている人」が読んでくれたとして、少しでも救いになれば、と思って書きます。

 福岡の中2、いじめを苦にしての自殺。
 該当教師は逃げるように入院し、校長は「いじめ」という言葉をさけ、「プレッシャー」と発言したとしてマスコミから叩かれている。まったく、心というものをわからない人たちだと思う。
 いじめ自殺事件について、マスコミはいろいろな報道をし、連日テレビを賑わせているようだけれど、マスコミの意図はどこにあるのか? が、やはりはっきりと見えてこない。「いじめられて死んだ男子生徒がかわいそう」だけでは終わらない、終われない。今、まさにいじめられ、切羽詰っている第二、第三の自殺候補者がいるかもしれないのだ。それを救うような方向へ、マスコミは持っていっているだろうか? 「いじめ」を「プレッシャー」と発言した校長をマスコミが叩くだけで、いじめはなくなるのだろうか? 校長が、ウソの涙で「すみませんでした」と詫びれば、いじめはなくなるのだろうか? そうではあるまい。今、死ぬか生きるかの岐路に立たされている子供を救うことが、一番大事なことではないのか? そのために何をするのか?

 私はこの性格のせいか、昔から敵が多く、今で言う「いじめ」を受けていた方だと思う。もっと言えば、生徒からだけでなく教師からもいじめと表現出来るような「心ない言葉」を受けていた。
 虐待する親が「しつけ」だと偽るように、教師は私に対する「心ない言葉」を「教育指導」だと偽るかもしれない。しかし、要は「受け取る方」の気持ちが一番重要なのだ。受け取る当人が傷ついたならそれは「いじめ」である。
 傷ついた当人が自殺を選択する、しないは、当人の心の強さの違いであると思う。何を言われてもそれをバネに伸びていける人もいる。繊細な人だって当然いるわけだ。
 私が「自殺」を選ばすに何とか今でも生きているのは、自分の性格のせいだと思う。
 人に何か傷つくことを言われたら、もちろん私も人間なので落ち込んだり暗くなったり悲しくなったりはするが、それ以上に、言った人間に対して「お前、何様やねん」という感情が湧く。
 「私は私であって、お前になんのかんのと言われる筋合いはない」、と、常に思ってしまう。それは教師が私に言ったことにでもそうだった。

 「教師が生徒をいじめるなんて!!」と、衝撃事件のように報道されていたが、そんなことは昔からあることだと思う。報道されなかっただけだ。現に私の身には起こった。
 「いじめ」での自殺件数は7年連続ゼロだという調査の報道があったが、あんな調査はまったくのウソである。一年のうち、自殺者がひとりもいない年なんて一度もない。自殺した人間が、「なぜ」自殺をしたのか、それがいじめであったのか他の理由かなんて、生きている人間にはわからない。だから「いじめ」で死んだとは言えない、というのだろうが、それなら「いじめ」が原因じゃない、という明確な理由もないのではないか? 自殺者の気持ちが、生きている人間に本当にわかるはずはないのだ。
 「自殺」とは自分で自分を殺すこと。
 では、なぜ自殺をするのか? 
 時は止まらない。ずっと流れ続ける。今日いじめられて、また明日が来たら学校でいじめられる。時間が止まらないなら、自分の命を捨てて止めるしかない・・・。
 生きる、ということは決して簡単なことではない。毎日が楽しいことばかりじゃない。嫌なこと、辛いことたくさんある。それでも、人は生きていく。嫌なこともあるが、良いことだってあるからだ。しかし、自殺を選ぶ(または選ばざるを得ない)人間は、この先生きていてもしょうがないと絶望し、いや、「生きていること」自体が辛く哀しいことだ、と思ったときに決行するのである。
 生きていたら、どんな良い未来が待っていたかもしれない子供の人生。
 未来を、希望溢れる将来を指南し、導くはずの教師が、絶望を教え、死へと追いやっているという現実・・・。

 私は、昔、教師から「心ない言葉」を受けた。
 小さな頃から極端に丸顔だった。それがコンプレックスでもあった。そんなとき、当時担任の教師が、私の顔をまじまじと見て「ホンマ、あんた顔丸いなぁ」と言ったのだ。「まるでボールみたいやわ」と。もちろんクラスの全生徒のいる教室で、である。(それからもちろん、私のアダ名がどうなったか言わずともお解りいただけるだろう) 自分のコンプレックスを人前で大声で言われて傷つかない人間がいるだろうか? しかもその担任は、生徒と一緒になって笑ったのだ。子供を教え導く教師というものが、子供の心を傷つけていいものか? そのとき、私は泣く代わりに心の中で思った。「お前が人の顔をどうこう言えるほど美人なんか?」と。もちろん口に出して言ったわけではない。
 しかしそのとき気付いた。人が人に対して「いじめる」のは、「自分のコンプレックスに対する裏返し」でもあるのだと。

 容姿端麗、頭脳明晰、自分のやりたいことが定まっておりそれに向かって努力している人間が、他人をいじめるだろうか? 自分が満たされている人が、他人をいじめるだろうか? 

 私は、この世は哀しいかな、「他人からマイナスすることで自分を満たす」人間が多数いるのではないか、と思う。それはもう国民性としか言いようがない。秀吉の時代から、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」的な考え方があり、自分より劣っている何かを持っている者を「いじめる」ことにより、自分が「あがった」気になるという人間の何と多いことか。
 足の速い人間が、クラスで足の遅い生徒をいじめる、ということがあったとしよう。(もちろんその人間も、クラスで一番ではないはずである)
 いじめられる人間は、いじめる人間より劣っているわけではない。足は遅くとも、他にいじめる人間より優れたものを持っている。それを見ようとせず(あるいは気付いているからこそ)相手を落とすためにいじめるのである。
 自分の持っているものを増やす努力、足し算をするのではなく、相手から持っているものを奪う、引き算方式で、自分のコンプレックスを解消しようというのである。
 教師が私にやった、自分が何か顔にコンプレックスを持っているから、誰か自分よりコンプレックスを持っているだろう人間を探し、それを大勢の前で指摘し辱めることで、自分のコンプレックスを薄めようというやり方と同じである。一番卑怯で残忍な「いじめ」である。(ちなみに、私はその教師のコンプレックスに気付いていた)
 なぜそんなことをするのだろう? 答えは簡単。それが一番「ラク」だからだ。自分ががんばってコンプレックスを克服するより、自分よりコンプレックスの強い人間をあざ笑い貶めることで、自分はコンプレックスから解放された「気」になる。この、「気」になる、というのがクセモノで、本当にコンプレックスが解消されたわけではないから、常に不安で、その不安から逃れるために、何度も何度も執拗に「いじめ」続けるのである。

 だから、あえて言う。この世から「いじめ」はなくならないだろう、と。
 学生時代だけではない。社会人になってからも、いじめはあるのだ。どこへ行っても、何歳になっても、人間は、自分と同じ考えでないもの、同調できないものを奇異な目で見る。そして「いじめる」のだ。
 なぜか? 理由はさまざまある。上記にあげた、自分があがるために相手を落とすという理由。相手の持っているものを自分が持っていない妬みからいじめることだってある。そして、一番始末の悪い人間は「なんとなく」という。「なんとなく」なんて理由はない。
 大事なことを誰からも教われなかった、かわいそうな人間である。
 「イライラしてて誰でもいいから刺した」や、パンに針を混入させたりする無差別犯と、理由は同じだ。
 世の中に「愛されている人間」がいるということを知らない。もし自分が愛されて育ったら、自分を本気で愛してくれる人、本気で愛する人がいたら、そんなことはしない。
 この世で「自分と同じくらい」もしくは「自分よりも大事」だと思える人がいる人は、犯罪なんかしない。人を「いじめ」もしない。自分が犯罪をして捕まったとき、涙して悲しむ人間がいるということを知っているからだ。

 世の中の「いじめている」人間は、満たされていないかわいそうな人間なのだ。
 だから、「いじめられている」人は死んじゃダメだ。そんな満たされないかわいそうな人間から逃れるためだけに、自分の命を引き換えにしてはいけない。
 私の言うことはキレイ事だろうか? 私は、自分もいじめにあってきた。今のいじめの事情とは異なるかもしれないが、無視されたり、嫌なことを言われてたり、されたり、人前でコンプレックスを嘲った教師もいた。それでも今、生きている。
 私が死ぬときは、自分が納得して死にたい。そんな愛のカケラもない人間に踏みにじられて死にたくはない。自分から、逃げたくない。
 自殺=逃げる、というのは短絡的な考えで、当人は悩んで悩んで悩みつくした挙句であると思う。
 私だって、「死んだ方がラクかも」と一度も考えなかったわけではない。私がいじめられていることを親は知らないし、言ってもいない。何か学校で問題があるとは、それに教師が絡んでいるなど夢にも思っていない。心配をかけたくない・・・という思いだけでもなかった。言っても、何も変わらないと思ったのだ。親が知ったら、学校へ何らかの通報をし、処置を求めるだろう。しかし、それだけで学校は変わらない。あの校長のように「いじめ」は隠され、「プレッシャー」とすりかえられるだけだ。親がずっと私について学校へ行くわけにも行かない。親には親の仕事があり、生活もある。

 じゃあ私は、どうしたか?
 強くなるしかない、と思った。なぜなら、いつもいつも私には思うことがあったからだ。「死んだ方がラクだな」と思った瞬間、いつも同じことを思う。
 「何で私が死ななくちゃならないんだ?!」という思いである。
 今まさに、いじめられている人は、同じことを思っているのではないだろうか? 「死んだ方がラク」と思う気持ちと一緒に沸きあがる「しかし、どうして私が(俺が)死ななくちゃならないんだ?!」という相反する気持ち・・・。
 発作的に電車に飛び込むとかでない限り、薬を飲む前、飛び降りる前、死のうと思ったとき、絶対納得してないでしょう? どうして?! と必ず一度は思うはず・・・。だから、死ななかった。逆に、「コイツのためになんて、絶対死ぬもんか!!」という闘志が湧き上がってくる。
 本当の私は、ちっとも強くなんてない。自分を守るために、強くならざるを得ないだけ。真に自分を守れるのは自分だけなのだから。
 しかし世の中、強い人間ばかりじゃない。繊細な人もたくさんいる。もし自分だけで強くなれないのなら、少し親を頼ればいいと思う。親に自分のことを話してみるのもいいのではないかと思う。親でなくとも兄弟でも、心ある教師でもいい。自分が信頼している人間は必ずいると思う。その人に自分の心を打ち明けると心は軽くなる。心配かけたくない気持ちはわかるが、それで自殺しては何もならない。自分だけで抱え込まなくていい。人に支えられることも成長する過程では必要なのだ。支えられることで、支えることを覚えるのだから。信頼出来る人に話して、しばらく学校を休む(問題から離れる)のも手段ではないだろうか? これは「逃げ」ではない。もちろん、休んでいる間、勉強は学校へ行く以上にしっかりやることをお勧めする。ただのサボりでは、時間を置いて学校へ戻っても勉強について行けなかったりする。いじめる相手に新たな「いじめ」のネタを提供することになり、同じことの繰り返しでしかないと思うからだ。しかも、一度公になった「いじめ」は、今度は水面下で陰湿に執拗に繰り返される。
 親御さんに申し上げたいのは、子供の言う「大丈夫」は信用しない方がいいということ。大丈夫な人間は「大丈夫だから」とは言わない。「大丈夫と言ったんだから」と安心してはいけない。ウソをついているわけじゃない。親に心配かけたくないという幼い子供の思いやりである。私も自分がギリギリのとき、自分に対して「大丈夫、大丈夫」を繰り返したことがある。言うたびに涙が溢れた。ちっとも大丈夫じゃなかった。しかし言い聞かせる「大丈夫、大丈夫」・・・。本当はちっとも大丈夫なんじゃない。崩れそうになる自分を支えてくれる何かが欲しいときなのだ。そんなときほど、子供を抱きしめてあげてほしいと願う。自分が、そうして欲しかったと思うから。

 私が子供を持つ親であったら、子供がいじめられている事実がわかった時点で、学校へは行かせない。義務だのなんだの、そんなの関係ない。自分が命を張って生んだ子供が、自分で命を絶つような心境へ追いやりたくない。勉強なら塾でも出来る。集団生活を学ぶために行かせる学校で、教えられることが「いじめ」だけなら、そんな学校こちらからお断りである。

 自殺した生徒の親が「学校や教師を選べる制度を」と訴えたと報じられているが、あれには深く共感する。
 しかし100%、信頼できる教師ばかりで構成された学校はない。
 人それぞれ「考え方」「正しいと思うこと」「信頼の基準」が違うのだ。それを理解したうえで、学校を、教師を選びたい。
 豪華で美しい校舎の学校、頭脳明晰な教師。そんなものが「信頼」ではない。「信頼」は言い換えれば「愛」である。心と心がぶつかり合い、通じ合うことが「信頼」であり「愛」なのである。
 すべての人間に平等に「愛」を与えられる人間。もともと「聖職」とはそうではないだろうか? 教師だって人間なのだから、と開き直っていては理想は語れない。教師としての理想を高く持ち、自分が正しいと思うことを切磋琢磨しながら生徒に指南して、生徒が真っ直ぐに巣立っていく姿を見ることこそ、教師としての喜びじゃないのだろうか。それをみて周りが「聖職者」だと認めるのではないか。
 「いじめ」を指南するような教師を、「信頼」など出来るはずがない。決して「教師=聖職者」ではない。

 教師ばかりを責めているようだが、私は決して教師を糾弾したいわけじゃない。酷い教師もいれば、心ある教師もいることだってもちろん知っている。どちらも知っているからこそ言えるのだ。
 私は今の年まで、毎年欠かさずずっと年賀状をやり取りしている恩師がひとりいる。そのひとは、教師としては新任で、いきなり担任を持ったひとだった。おっかなびっくりという感じで、弱弱しく、しかし、とても「愛に溢れたひと」だった。クラス40人の生徒の名前をいち早く覚え、生徒ひとりひとりをキチンと見て、何か問題がありそうだったら、さりげなく声をかける。教師と生徒というよりも、年の離れた兄貴のようなひと。自分の夢も、コンプレックスも隠さず話す。教師とは・・・みたいな上から目線でなく、生徒と同じ目線でいろいろなものを見られる柔軟性を持ったひとだ。そんな先生だったから、学校を卒業しても逢いに行ったし、年賀状も欠かさず出している。
 教師だって人間だ。だからこそ、人間としての「愛」を「思いやり」を生徒に見せて欲しい。
 大学を卒業したばかりで「先生」と呼ばれる立場になった人間が「完全無欠」であるわけがない。不完全なら、不完全であることを伝えるだけで、生徒は安心する。教師と生徒は「教える」「教えられる」だけではない。結局は、人と人なのだ。それが「尊敬」となり、生徒に「愛」を教えることになる。
 私は、この先生に出逢えたことで、過去の「いじめ教師」の記憶を克服できたのかもしれない。人は決して「ひとくくり」には出来ない。
 教師向きの人、教師向きでない人、ではなく、「人そのもの」なのだ、と。
 そのひとが教えてくれるから、授業が楽しい。授業に興味が湧く。そのひとが優しいから、自分も人に優しくなれる・・・。
 昨今、問題を起こす教師には「愛」が足りなさ過ぎる。

 いじめられている人は、自分に「愛」を持ってほしい。決して死んではいけない。
 いじめている人は、「因果応報」という言葉を辞書でひいて欲しい。それでもアナタは明日人をいじめることが出来ますか?

 生まれてから寿命を全うするまで、人生の幸運・不運の量は決まっている。今、いじめる側に立つ人間が、20年後も、同じいじめる側にいるだろうか? 今、いじめに耐えている人は、20年後もいじめ続けられているわけがない。幸せ・不幸せは、交互に訪れる。
 私が「いじめ教師」に会った数年後に、今でも交流のある「恩師」と巡り逢えたように・・・。

 私の言うことはキレイ事でしょうか?
 今回私は、自分の経験を話しました。「いじめ教師」のために死ななくて良かったと思ったこと。なぜなら私は今、殿に出逢えて幸せに暮らしているから。あのとき死んでいたら、今の生活はない。親を悲しませただろうし、それ以後に出逢う友達とも知り合えなかった。
 自分を自殺に追い込んだ相手を恨んで恨んで死んだとて・・・相手はいじめを平気でやるような人間・・・。反省するなど露ほども思えない。たったひとつしかない自分の命を賭けるほどの価値のない人間なのです。
 いじめられても我慢しろと言っているのではありません。自分をラクにするための手段に「死ぬ」ことを選択するのはもったいないことだと言っているのです。他に方法はあります。必ずあります。

 現に、私は今、生きてます。そして、あのとき死ななくて良かったなという人生を歩んでいます。

 それではお茶にいたしましょう。心落ち着くお茶を飲んで、明日のことを考えましょう。鎮静効果の高いオレンジピールと紅茶のブレンドハーブティーを。
 そしてこう唱えましょう。
「明けない夜はない、やまない雨はない」 ・・・自分を勇気付ける魔法の言葉です。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-10-20 02:14  nice!(2)  コメント(26)  トラックバック(0) 
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m_kikuchi

私も人の親ですが、いじめが完全に無くならないのであれば、自分の子供だけは虐めに負けないだけでなく、更に強くなって周りを変えていけるだけの能力を養い、それを乗り越えていける程の強い子供に育てたいですね。
by m_kikuchi (2006-10-20 11:57) 

kiyo

おはよーございます。
まったくいつの時代でも「いじめ」の問題はなくならないよね。
なのに自殺者0なんて調査結果がでてるなんて、まったくひどい話だ。
いじめられている人をかばうと、次はかばった人がいじめられる・・・、
そんな世の中でいいのだろうかと、常日頃思っております。
私は教育現場の現状にはまったく関わりのない環境にいますが、
それでも最近のニュースなどには心を痛めることがあります。
1人で悩んでしまうA型の私には、誰にも相談できず自殺という
手段を選んでしまった人の気持ちも否定しきれません。
でも、いじめになんて負けないで、生きていてほしいと思います。
あなたが死んでしまったら、悲しむ人がいるのですから・・・・。
by kiyo (2006-10-20 14:00) 

こんちは。

一度限りの命。リセットやリスタートは出来ないワケで・・・
若くして究極の選択をする前に、その価値に気づいて欲しいなぁって思います。

コブラは「77マグナム」を持ってましたよ(**;
by (2006-10-20 15:35) 

猫たぬき

こんばんはあすなろうさん(^^) nice!ありがとうございます♪
あすなろうさんの子供さんは、とても強くて優しい子供に育っているのでは・・・? と想像します。自分の幼少時代を思い出しても「子供は親を見て育つ」もので、ウチの親も負けん気が強かったから私がこういう性格になったと言いますか・・・(笑)
あすなろうさんのブログを読むたびに、言葉の深さと人間への優しさを感じます。もちろんそれを肌で感じて育つ子供さんも(^^)
by 猫たぬき (2006-10-20 19:22) 

猫たぬき

kiyoポンは真面目でストレス溜めやすいA型だもんね(^^)←つか、お前もそうじゃん!!
私の場合、猫ママに相談したらどうなるか容易に想像出来たから相談出来なかったというか・・・(^^;
かばうと、次のターゲットにされる・・・という図式があるみたいだしね、昨今は。私たちの時代はまだ「お前らエエ加減にしとけや!!」みたいなことを言う子はヒーローだったけど。時代は変わるんだよね(--) 陰湿で残忍になってきてる気がする・・・。犯罪がすでに時代を物語ると言うか。
by 猫たぬき (2006-10-20 19:30) 

猫たぬき

カズぼん、24時間勤務明けかい? ちゃんと眠った?(^^)
確かに、ゲームの中ならリセットは可能だけど、現実の世界では命はひとつしかないからね。
私は「敵に背中は見せねぇぜ」タイプだから逃げるより戦うけど、現実世界では、それすらも出来ない状況にあるのかも・・・。時代は変わってくから。それでも「死」は選んじゃいけない。それは「すべての終わり」だからね(--)
77マグナム? 負けた・・・。つか、拳銃業界ってゾロ目好き?(笑)
by 猫たぬき (2006-10-20 19:36) 

kiyo

ルパン三世の愛用の拳銃は、「ワルサーP38」というのは有名だが、
山上正月の描いた漫画版「ルパン三世Y」では、
ワルサーP38の後継銃である「ワルサーP99」を愛用しているそうです。
やっぱりゾロ目好きなんだ・・・・うん。

えっと拳銃撃つのに最適なのは、ピアニストの手ですから・・・(爆)
by kiyo (2006-10-20 21:31) 

猫たぬき

さすがルパン通だねぇ(^^) 私はワルサーP38より、次元のコンバット・マグナムのが好きだけどな。
つか、私たち今リアルタイムにコメント返ししてるよ。さっきkiyoポン更新ホヤホヤの記事にコメント入れてきたし(笑)
・・・ホォ?何かい?(--メ) 私の手は、拳銃撃ちには合わないと? そう言いたいのかい? え? おまいさん!!(怒)
ど~せ私の手は「藤村Dに激似」(←殿が言った・・・)さっ!!(さらに怒)
by 猫たぬき (2006-10-20 21:40) 

たまにはプチチャットに参加しようかな?(^^;
ダーティハリーも44マグナムでしたよね?
物凄い銃声だったのは記憶に残ってますけど(笑)

コブラはサイコガンがあるからね。
「指ではなく心で撃つ」のがシブイとこですd(--;

RPGの世界じゃないですけど。
時には「逃げる」のも良いと思いますけどね、一旦(^^;
いつも勝てるとは限らないし。
見切りも重要な要素の1つですよ(--;
by (2006-10-20 22:01) 

猫たぬき

そうだったっけ? 観たかもしんないけどよく覚えてない・・・(--) 
「指ではなく心で撃つ」・・・シブイね~!!(^^)ノ
そうなの。「逃げる」っつー言葉が何かイヤなんだろうけど、それも戦略って考えればいいわけよ。信長だって、信玄には下手に出てたわけだし(←なぜに信長で説明・・・) 勝つためには、一旦退却して考えるということも必要(--)b
by 猫たぬき (2006-10-20 22:11) 

こんばんわ、お久しぶりのだい吉です。
さすがにこの時間には猫たぬきさん以外はご就寝でしょうか?(笑)
最近は仕事が忙しすぎて読むだけです^^;
でも、今日(昨日?)は病院のため久しぶりにお休みでしかも明日は遅出で良いのでこんな時間でコメントしてみました^^

実は私も中学時代いじめにあってました。(コメントからずれちゃった・笑) 理由は判りませんが何故かある時期から特定の数人から。
それも直接「殴る・蹴る、罵声」等の直接的なものでなく、授業中に後ろから、ちっさくちぎった消しゴムを投げつづけられるとか後はよくある無視されるとか陰湿なものでした。結構長い時期やられ続きましたね。でも、ひたすら無視し続けました(直接手をかけてきたら、やり返すつもりでしたが)。我慢できたのは、猫たぬきさんのような「強くなる」というようなものでなく自分の家が理由で我慢できました。
実は母親を10歳で亡くし父親が酒に走り一番ひどかったのがその中学時代だったんですね。もともと、酒を飲む人でしたが、まあ何かあるとすぐ鉄拳さんの人で家にいる方が辛かったという時期だったため、学校のいじめくらい屁でもなかったんです(笑)←笑うところじゃないか
うちの親父は僕ら兄弟(兄がいる)が大好きで大好きでしかたなく手が出ると申しておりました(笑)
その父も僕が20歳のときに亡くなり、現在に至るって感じなんですが、まあ愛情表現が極端な父親でしたが、今は色んな意味で感謝してます。今こうして生きているの、親父のお陰ですし仕事に対する姿勢みたいなものを教わったのも親父からですし。

今のいじめは直接的で僕らの時代より更に陰湿に成ってるように思います。しかも、見えにくい。関わる大人も自分の事に忙しくて子供の微妙な変化にまで気がつかない、または人の事を考えられない。
子供は正直な生き物だと思ってます。だから、自分より弱いと思ったものには平気でそういう残酷な態度になれる。だから、大人である自分が毅然としてなくてはと常々思ってます。でも、全然未完ですが(笑)
猫たぬきさんのおっしゃった通り、いじめられてる人には何があっても生き抜いて欲しいです。ぼくは高校で先生や友人に恵まれたお陰で中学時代の事なんかすぐに過去のものになりました。
いじめた子供は今はなんとも思ってないでしょうが、いつか自分のやったことが重くのしかかってくる時が来るでしょう。いや、せめてそういう事を自覚できる大人になることを望んで止みません。

あぁ、また長文・乱文・散文になってしまいました、ごめんなさい。内容の趣旨が猫たぬきさんとずれてるところがあったらごめんなさい。
「いじめはなくならない」かもしれませんが「いじめが少なくなったね」っていえる時代を作りたいですね。
by (2006-10-21 03:35) 

猫たぬき

おはようございますだい吉さん(^^) さすがの夜更かし大好きな私ですが昨夜は二時で撃沈してしまいました・・・。
長文大歓迎です(^^)b だい吉さんもいろいろな経験、複雑な思いをされてこられたんですね。私はね、自分が「不幸だ」ってあまり思わないんですよ。現実逃避っていうより、思ったってしょうがないというか。幸せ・不幸せは自分が決めるもんだから、いじめられた経験も、「いつか役立つ」と思って生きてきた。・・・つもり(^^; 生きていればいい先生や友達に必ず巡り逢える。そうしたら、だい吉さんのように、その辛い記憶も払拭できるんですよね。
今のいじめは、昔より陰湿で、自殺する子供の気持ちを真にわかるかと言われると違うのかもしれませんが、でもやっぱり死んじゃいけない。
「なくならない」けれど「少なくしていかなくてはならない」。これは子供を育てる大人の課題なんですよね。
内容の趣旨がずれていようが、私と同意見でなかろうがOKです(^^)b
コメントはその人の心ですから。それが人と人との交流でもあるんですし。だい吉さんはいつもものすごく丁寧な方だなぁと思います。文章に愛があるんですよ。優しい方なんですね(^^)
by 猫たぬき (2006-10-21 09:31) 

みこ

今日は登場が遅くなりました・・・・・とりあえず元気なみこ姐です。
昨夜は木→金と家を留守にしている間に溜まった事をしていたら
一気に睡魔に襲われ、さらに今朝はだーりんが居ないことを良いことに
二度寝までしてしまいました。やっぱり疲れてる?私??
この時間で既に眠いんだけど・・・・・(笑)

最近の学校は大変らしいよ。
今日生徒にきいた話だと、クラスの3分の2はその子曰く「変な人」なんだって。授業中大声あげたりとか、先生の話をまったく聞かないのは
日常茶飯事。「学校は大変だよ~まったく」なんて小3の子が言うんだよ。世も末です・・・・
日常生活もまっとうに出来ない人間が集まっている社会の中で「いじめ」がはびこるのは当然のことなのかもしれない。
相手の気持ちを考えたら発言できない事も平気で言える。
相手の傷つくことを平気でしてしまう。
実際、「自分は相手をいじめてる」っていう意識が無い子もいるんじゃないかな? 自分がされたらどういう思いになるのか?を想像しきれないだろうから。
私自身、自分の周りにいる生徒によく言うことは
「相手を傷つける言葉を言う人のことは、可哀相な人だと思いなさい。可哀相な人間だなと思えば、腹も立たないでしょ?」って。
いじめに負けない強い心を持ってないと、いまの世の中生きていけないのかもしれないね。
by みこ (2006-10-21 22:09) 

猫たぬき

みこ姐、心配してたよ(^^) まただーりん大阪だってね?(みこ姐のブログ見たよん)呑気な独身生活♪?(笑) 確かに今の子供達ってしれ~っとしてるよね。「いじめはなくならないよね」って感じで平気に言ってるし。
私ね、一番キライなとこは昨今の若い子って「死ね」って平気で言うでしょ? 東京競馬場でさ、自分の買った馬券が外れたんだよね。そしたらその騎手に対して「○○死ね~!!」とか言うの。「バカ」や「アホ」(←これだって言っていい言葉じゃないし)って言うのとは違うでしょ? 簡単に言っていい言葉じゃない。
私も「かわいそうな人」って思うようにしてる(^^; 解り合えるとは思えないからね、そういう人とは。「人を変えることは出来ないけど、自分を変えることは出来る」と思ってる。
by 猫たぬき (2006-10-21 23:57) 

みこ

ご心配おかけしました・・・・(^^ゞ
のんきな独身生活してま~す♪って言いたいところですが
だーりんは明日の早朝帰ってきます(笑)
私は明日発表会で日曜出勤なの。
多分朝バタバタしていてコメント入れられないと思うわ。
それが終われば2連休~ ↑(^^_)ルン♪

最近は言って良い言葉とか教えてもらえないんだろうかね?
私なんて親に色々と言われたけどな。
こういう事は言ってはいけないとかさ。
死ねって、死ぬことの意味がわからないから簡単に言えちゃうのかも
ね。人間がこの世に生を受けるのがどんなに奇跡的なことなのかとか、
死ぬということがどんなにか辛く悲しいことなんだっていうこととかさ。
私の周りの人たちだけでも・・・・って思いもあって、仕事柄生徒達に
色々と私なりの考えを話すことが多いよ。
一人でも多く、強い心を持った子供が育つようにね。
by みこ (2006-10-22 00:10) 

猫たぬき

そっか発表会って明日なのか。がんばってね~ん(^^)ノ
だーりんも帰って来るし、また「朝ごはん食べさせないと」いけないしね(笑)
確かに共働きも多くなって子供に関わる時間が少なくなってる気はするけど・・・それは私たち世代だって同じだよね? 猫ママもパートしてたし。それでも「言って良いこと、悪いこと」は教えてたぞ? やっぱ「愛」が減ってるのかしら・・・? 甘やかすことと愛することをごっちゃにしてるのかもね。だって私が「言ってはいけないこと」を言ったら即座に手が飛んできたもん。でもそれで「あ、これは悪い言葉なんだ。言っちゃいけないんだ」って学ぶわけだから、愛ある平手打ちなんだね(^^)
千里の道も一歩から(←言うことが古っ!!) みこ姐に賛成。周りの人だけでもキチンと教えていれば、その子がまた他の子に・・・って広がっていけば良い環境になる。
明日はみこ姐のコメントなしか~(--) サビシイ・・・。つか、私も眠いので今日はブログ更新出来ないかも~?(--)zzz
by 猫たぬき (2006-10-22 00:24) 

こんばんは、だい吉です
どうも、またお休みの間のコメントになりそうですね^^

>いつもものすごく丁寧な方だなぁと思います。
優しい言葉ありがとうございます。人目に触れるものですし、なんかコメントを書いてるうちにどんどんはまってしまって何度も書き直してるうちに言葉が丁寧な感じになってしまうみたいで… 他の方も書かれてましたが、「言葉」って難しいものだとブログをやるようになってから考えるようになりました。でも、「伝える」楽しさも教えてもらえました。猫たぬきさんはじめ色んな人とお話も出来ましたし^^

で、また「いじめ」ですが、猫たぬきさんが書かれていた通り、うちの親も間違った言葉使いや態度でもとった日にゃ鉄拳の雨あられでした^^;
 近所のおばさんがある日「だいちゃん(僕の名前です)は、お母さんいないのにグレないで偉いね」って言われたんです。で、そのおばさんに「お父さんがグレているのでそんな暇ありません」って答えたら、今まで見たこと無い苦笑いをされました(笑)
ま、僕の話はともかくやっぱり「親」というか「家庭」が基本で問題のスタートはそこにあると思います。うちの嫁が中学校に委託職員で働いているのですが、帰ってくると生徒の荒れっぷりに嘆きっぱなしです。でも、そういう生徒のほとんどが親に問題がると言っておりました。
親御さんも悩みながらやってるんでしょうが…
そう思うと、うちの親はめちゃくちゃでしたが、やることはちゃんとやっていたのかな?と最近になって思うようになりました^^ 反面教師というきもしますが(笑)

>みこさん、お返事おそくなりました(ん?前にも書いたかな?)同い年ですね^^ 僕も嬉しいです。同世代しか出来ない話もありますしね。同じ30代(あくまでも)、仲良くしてやってください。猫たぬきさんもこれからもよろしくです^^
by (2006-10-22 02:56) 

みこ

おはよう、猫ぽん!
やっぱり一言書いてから動くことにしたよ。
無事だーりんも帰還しましたぁ。

今日は頑張ってきます!!

だい吉さん!酉年同士よろしくおねがいしま~す(=^0^=)
by みこ (2006-10-22 06:44) 

猫たぬき

おはようございますだい吉さん(^^) 風邪から生還して最近は夜眠るようにしているので、朝は早起きです(^^)v 
「言葉」の大切さは、私も痛感しています。でも性格が出るのでどうしても「大雑把」になっちゃうんですが・・・。すみません(^^ゞ
「お父さんがグレてますから・・・」のところすごく好きですっ!! ちなみにうちの猫ママは「非行にでも何でも走りたかったらはしればえ~やん」という人でした・・・。そんなこと言われたら走るヤツおらんやろ~って感じですよね(^^) ま、そんな親だったので、私もどうにかこうにかここまで育ったわけで・・・(やはり反面教師?)
今の教育の現状と昔を比べるのは間違っているかもしれませんが、やはり「善と悪」を教えるのは、親であり教師であると言うことですよね。子供は、それを待っている。一番小さな社会の単位である「家庭」がうまく行ってないと、「学校」という社会単位へ行くのは難しいということでしょうか・・・(--)
by 猫たぬき (2006-10-22 08:22) 

猫たぬき

おはようみこ姐(^^)ノ 朝イチのコメントありがとう~♪
だーりんも無事ご帰還おめでとう!! また太って帰って来てない?(笑)
発表会がんばってね~ん(^^)b
・・・「酉年チャットブラザーズ」結成・・・?(^^) いや私を入れたら
「30代(←あくまでも言い張る!!)悪あがきブラザーズ」ですわな・・・(笑)
これからもみなさんヨロシクですぅ~(^^)b
by 猫たぬき (2006-10-22 08:28) 

猫たぬきさん、おはようございます^^
悪あがきブラザーズ・男担当、だい吉です。
自分のブログへの朝一コメントありがとうございます^^
真似して右に左でコメントです(笑)

お互い、ちょっと「イタイ」系の親を持ってしまったみたいで^^;
ですが、その親のお陰で今があると思うと感謝せざるを得ないですね(笑) うちは「感謝しない」と夢に出てくるもんで…

おんまさんの日ですね^^ もう、今から準備ですか~(笑)
頑張ってくださいね~
by (2006-10-22 10:37) 

COLE

ご無沙汰していました 久々に登場します
風邪も引いていたようで大変でしたね

言いたいことはよくわかる
以前にも書いたけど、私の考え方は猫たぬきさんの考え方と
よく似ています

世の中に相手を威圧し傷つけることでしか自己満足を得られない人がたくさんいるのは残念ながらどうにもならない事実です。このような人たちは哀れな存在に思えて仕方がない。実に哀れです。
いじめも同じ理屈ですね。人から哀れと思われたら、その人の存在価値は・・・・・。いじめられる側が哀れなのではないのです。 人に羨まれるものを持っているのですから。

たくさんの面白いコラム読みました。また楽しみにしています。
by COLE (2006-10-22 13:44) 

kiyo

こんにちわ。夜になると、コメントいれずらくなるのは私だけ?(・。・)
「藤村Dに激似の手」っていったい・・・・(爆)
by kiyo (2006-10-22 14:58) 

猫たぬき

こんばんはだい吉さん(^^) 読まれてたか~(笑) おんまさんの記事UPしました~。良かったら読んでやってください(^^;
「イタイ」系の親・・・確かにそうかも~♪ 感謝は・・・どうかな?(笑)
んじゃ私は、悪あがきブラザーズ、静岡代表ってことで(^^)b
by 猫たぬき (2006-10-23 00:33) 

猫たぬき

こんばんはCOLEさん(^^) お久しぶりです。お仕事お忙しかったのでしょうか? 大変ですね。お体にはお気をつけくださいね・・・って、風邪引いた私が言っても説得力ゼロですが(笑)
学校という小さな単位だけでなく、大人の社会も、国同士でもそうですものね。人を踏みにじることを何とも思わない感性・・・それこそが一番怖ろしいことです。
by 猫たぬき (2006-10-23 00:36) 

猫たぬき

ん? kiyoポンもソネブロ調子悪いの? 私なんてね~私なんてね~、今日の朝、一生懸命書いたブログが飛んじゃったんだよ~~!! 何だよ!! って、パソコンぶっ壊しかけたよ。(←ちょっとウソ)
たまに画面に出るでしょ? カウントダウンする手が・・・。あれは藤村Dの手だよね? あのブサイクな手に激似だそうだ・・・(--)
by 猫たぬき (2006-10-23 00:40) 

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