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「願いは何でも叶う」という歪んだ心理。 [ニュース関連に思うこと]

 どうも、いらっしゃいまし。
ちょっと休憩して、お茶でもいかがですか?

 熊本にある山間の中学校で、女子生徒が何十箇所も刺される事件があった。
 この事件のことは、まだ逮捕された男子生徒が精神的に不安定で話が出来ない状態なので、くわしいことが何もわかっていないから、何も語れない。
 男子生徒の評判は悪いものではなく、大人しい子だったという。ただ、同級生の間では「突然キレることもあった」という意見があった。

 私は、「キレる」という言葉は好きじゃない。
 ちょっと人が怒ると「キレる」という言葉を使うが、それは間違いである。
 「キレて」いるのではなく、「我慢」しないのだ。

 昨今の事件は、すべて「我慢することを知らない人間」が起こしている気がする。
 本日のお題「我慢という教育」です。

 私たちの世代は、一人っ子というのは少なかった。三人兄弟も多かったが、二人兄弟が多かったように記憶している。一人っ子というと「へえ~」という感じになる。
 兄弟がいる、ということは、生まれながらにして「敵」がいる、ということだ。
 子供にとって、女神とも言える存在の「母親」も独占出来ない。おやつもおもちゃも、一人っ子なら全部自分の物なのに、兄弟がいると、必ず分け合わないといけない。
 私は姉という立場なので、よく「お姉ちゃんなんだから」という言葉で諌められた記憶がある。
 「お姉ちゃんなんだから、弟に譲ってあげなさい」「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」 ・・・どの家庭でも、兄弟がいる家なら、みな同じような言葉を聞いたのではないだろうか?

 しかし、これによって、人間形成が出来ていく。
 兄・姉という立場の人は、しっかりした人格となり、自分より下のものに優しい面倒見のよい気質に育つ。「長男気質」「長女気質」などが出来上がるのだ。
 弟・妹は、母親や兄・姉にかわいがられるため、多少甘えたに育つかもしれない。しかし、下のものという自覚があるので、目上の人には敬意を払い、尊敬する人格に育つ。甘え上手なちゃっかりした気質も年下ならでは。「弟気質」「妹気質」が出来上がる。
 どんな兄弟も、一人っ子ではないから、お互いに「我慢」することはある。いくら姉でも譲れないこともある。それは、弟が譲らなければことは収まらない。渋々ながらも弟が譲り、姉の意見が通ることもある。しかし、それが当たり前なのだ。
 弟・妹だけが甘やかされていいわけではない。それでは、兄・姉の性格が歪んでしまう。
 割合は違うかもしれないが、それなりに双方が折り合いをつけて、譲り合う、または我慢しあう。それが兄弟の絆を育てていく。

 この「我慢」を、昨今の子供はしているだろうか?
 少子化という社会の現実もあり、一人っ子も多く、今は「六つのポケット」という言葉すら存在する。
 デパート業界が生んだ(定着しているとは言い難いが)「孫の日」なるものまである。
 六つのポケットとは、両親・父方の祖父母・母方の祖父母の六人のことである。子供が多かった昔は、両親も子供にかけるお金が限られていた。祖父母だって、孫が何人もいたら、どんなにかわいくとも孫の欲しがるものを、おいそれと買ってやれない。
 しかし、少子化の進む日本では、ひとりの子供に対して六人の財布がつくのだ。
 「あれ買って」「これ買って」「新しいゲームが出たから欲しい」「これ飽きたから違うの欲しい」・・・どんなワガママでも、たいていのことは叶う。
 親がダメなら、祖父母に甘えればいいからだ。祖父母だって、たったひとりのかわいい孫のためなら、多少値の張るおもちゃだって買い与えるだろう。言い方は悪いかもしれないが、父方の祖父母、母方の祖父母、どちらも多少のライバル心はあるだろう。
 その心理を巧みに利用するデパートの「孫の日」。より孫の望むものを買ってやって自分たちに関心を持たせたい・・・。子供はますます甘やかされて育っていく。まるでこの世に、自分の言うことで叶わないことなどひとつもないというように・・・。

 親は、祖父母は、子供にきちんと「我慢」を教えられるだろうか?
 私たちの子沢山の世代は、いろいろなことを「我慢」させられてきた。兄弟がいるから、どちらかが「我慢」する。親だってそう裕福ではないから、そうそう高いおもちゃやゲームを買ってもらえない。 
 するとどうするか? 子供にだって知恵はある。マンガやゲームも、友達同士で貸し借りする。三人が違うものを持ち寄れば、三種類のものを楽しめるのだから。そこで、人に借りたものは壊してはいけないとか、汚してはいけないなどのマナーを知るのだ。
 友達が持っているものを欲しがって、親にねだったこともある。
 しかし却下されることもしばしば。それがどうしても欲しいものであるなら、私たちは、おこづかいやお年玉をやりくりし貯金したりして、手に入れる。逆に、そういった喜びもあった。
 「我慢」したあとの喜びは、今の子供たちのように、「あれ」と指をさせば、右から左へ魔法のように手に入る喜びとは、似ても似つかないだろう。
 私たち世代には「我慢する」という下地がある。親が口を酸っぱくして「我慢しなさい」と教えなくても、実生活で、「我慢」を経験しているから、知らず知らず身についている。
 今の「我慢」を知らない子供たちには、実生活で経験できない分、大人はしっかりと教えなければならない。もしくは、私たちのように「我慢」を経験させなくてはならない。 
 それをしているだろうか?

 「我慢」を知らないから、思い通りにならないことが悔しい。もどかしい。
 親や、祖父母に頼めば、望むものは何でも手に入ったのに・・・。

 子供は多感な時期を迎えると、「お金」では手に入らないものを知る。
 人の心だ。
 我慢を知らないから。何でも手に入ると思ってるから。想い人が自分のものにならないと腹が立つ。その悔しさを持て余す。「我慢」したことがないから、「我慢」するということがわからないのだ。
 マリー・アントワネットが、「パンがないなら、お菓子を食べたらよいではないか」と言ったとされることといわば同じだ。
 「忘れた」ことなら、思い出せばよい。しかし「知らない」ことは、わからない。
 その怒りのやり場が、凶行となる・・・。
 昨今の子供は「キレて」るんじゃない、「我慢」してないのだ。

 子供の頃は、家の中という宇宙は、親や祖父母に守られて、王様のように、何でも皆が用意してくれ、買ってくれて、望みは何でも叶う・・・。
 しかし、社会はどうだろう?
 望みのものは簡単に手に入れられるだろうか? 我慢しなくてはならないこと、苦しいこと、思い通りに行かないことだらけなのだ。
 それを大人は、きちんと子供に教えているだろうか?
 社会へ飛び立てるように、飛ぶことを教えているだろうか?

 私は「我慢」出来ない子供だけを責める気も、それを教えられない親だけを責める気もない。
 社会的地位が高いお方でも、自分が「裸の王様」であるということを未だに知らない人はたくさんいるのだから。
 何故か?
 答えは明確だ。
 誰も、あの物語に出てくる子供のように「王様は裸だ」と言えないからだ。 
 王様が裸であることを知っていても、その事実を明確に告げることの出来ないこの社会で、その理不尽さをわかっていながら、子供にだけ「美しい言葉」を語れない。
 しかし、子供のときに「プチ社会の理不尽さ」を教えなければいつ教えるのだろう。
 何でも願いが叶う桃源郷から、いきなり理不尽だらけの社会へ出て行けと背中を押すのは、大人の身勝手ではないだろうか?
 私たちが子供の頃は、理不尽な「我慢」もたくさんさせられた。「お姉ちゃんだから我慢しろ」とは、何と理不尽なと思った。ただ何年か先に生まれただけで、何故、弟のワガママは通って、私は「我慢」を強いられるのかと思った。
 しかし今ならわかる。親もまだ若かったのだ。完成された人間なんていない。言葉が足りなくて子供に理不尽な思いをさせていたのだ、と。結果それが「プチ社会の理不尽さ」を子供に教えることになった。
 社会に出るともっとわかる。どんな偉そうにしている会社の上司も、完璧な人間ではない。理不尽なことを言うこともある。しかし、私たちは「我慢」することを知っているから、凶行に及ばず回避できるのだ。
 私は子供を育てたことがないから、子育てに対して偉そうなことは何も言えない。
 しかし、これだけは解る。
 子供はペットではない。
 大人になれば社会へ出て行く「人間」なのだ。この世に生まれ落ちた瞬間から、「ひとりの人間」として生きていく。親は、大人になるまで見守り教育する存在でなくてはならない。
 決して、子供をペットをかわいがるように「甘やかす」だけではいけないのだ。
 それでなければ、どれだけ社会が何とかしようとしても、少年犯罪は減らないし、ニートもなくならない。

 「願いは何でも叶う」という桃源郷など、この世にはない。
 そんな歪んだ心理では、社会を生きていけない。
 
 想い人を刺す。親を刺す。無差別に人を刺す・・・。
 気に入らないことがあれば、すべて凶行によって片付けようとする安易な考えになる。
 誰も彼らに「我慢」を教えていないからではないか?
 何もかも自分の思い通りになるなら、この世の中に法律はいらない。どんな偉い人でも、自分がルールブックにはなれない。社会を生きるということは、人との協調性が大事なのだ。
 しかし私は、何でもかんでも「我慢せよ」と言ってるのではない。我慢しすぎるのも良くない。
 一度立ち止まって「今は自分が我慢するときか、意見を通してよいときか」を考えろと言ってるのだ。「いや、ここは我慢するところではない」と思えば、自分の思いを、刃物ではなく、言葉を使って、相手に訴えればいい。相手が人間であるならば、言葉を受け止めてくれるだろう。思いをすり合わせていく。それが「強調性」であり、社会を生きるということなのだ。

 今の日本には「和」がない。
 美しい日本作りもよろしいが、「和」なき「日本」はまったく美しくない。

 それではお茶にいたしましょう。今日は、日本茶のフレーバーティーを。スーパーでフリーズドライの柚子を手に入れましたので、茶葉を入れるときに、ほんのひとカケ一緒に入れます。決して入れすぎないように・・・。
 日本茶の中にほのかな柚子の香りが心を和ませます。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-09-27 21:56  nice!(0)  コメント(16)  トラックバック(0) 
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コメント 16

こんばんはぁ。深夜更新サークルの者です(^^)

我慢ねぇ。
確かに「キレる」で安易に片付けてるフシもありますよね。
許容方法であったり発散方法であったり・・・色んなモノのコントロール能力が足りてないとなぁ思います。欠けているというより不足しているって感じ。要因は色々あるんでしょうけども。

つーか未成年の凶行が目立ちますねぇ。
原因までは分かりませんけど、刺したり首絞めたり。
一気に飛躍しすぎてる気もするんですが(--;
そんな簡単に刺せるんなら、僕は今まで何人刺しただろう。。。(汗)

いつの間にか、日本も怖い社会になったなぁ。
by (2006-09-28 03:57) 

猫たぬき

おう、体内時計狂いーズその1カズぼん(←名前長っ!!)来たかい(^^)
コントロール能力が足りてない・・・つーか、すでに退化してる?
「妄想」が現実化してるんだと思うよ。
誰でもひとりくらい「殺してやりたい人」っていると思うし、それを妄想の中で殺す殺さないはいいとして、それだけで飽き足らないのか我慢ならんのか「現実に」殺す。
死刑制度廃止運動とかやってるみたいだけど、私は死刑賛成派だから。
人を殺したら、自らの命を持って償え。それ以外なら、被害者の奴隷になって働く、だな。

その「いつの間にか」って意識がもうヤバイよ。犯罪という菌はものすごい速さで繁殖してくんだから。人を殺しても大した罪に問われないなら、人を殺して何が悪い? って思う人間もいる。
少年なら実名が出ないんだから、二十歳まで犯罪し放題。成人式に「青年の主張」ってあるよね? あれで私たちの時代は「今日から禁煙(禁酒)します!!」とかって、フザけた輩が言ってたけど、今の時代はもっと進んで「今日から人を殺すのをやめます!!」になるよ。
明日、キミが殺されてるかもしれない。私かもしれない。誰にもありうることだよ。これって。
by 猫たぬき (2006-09-28 04:10) 

1号、来ましたです!(略過ぎ 爆)

法律で規制する以前に人間性の改善が必要なんでしょうね。
「普通の大人しい子」が突然キレる時代ですから。

人間は「ウイルス」だ。ある場所に住み着き、繁殖を繰り返し、あらゆる資源を喰い尽くす。。。すると更なる場所を求めて無限に増殖する。
人間は地球を滅ぼすウイルスだ。
って映画の台詞にあったのを思い出しました。
でも、それを食い止められるのもまた人間なんですよね。。。

死刑判決後、「今日か?」「今日じゃなきゃ明日か?」って恐怖に怯えながら生かされるというのもある意味アリかなとは思いますが。
でも遺族になれば「即執行」を望むでしょうけど。

つーか凄いすね、中2女子切りつけ事件。20数箇所?
何でや?(--;
by (2006-09-28 04:32) 

猫たぬき

そう。すべて心の問題になってくるんだよね。
人間は「ウイルス」って言い得て妙だね(^^;
そうなんだよ。ひとつの「菌」があって、それが形を変え、さまざまなウイルスになって広がっていく。それを止めることも防ぐこともできない。なぜなら、人間には欲望があるから。
結局、地球を滅ぼすのは人間だよ。救うことなんて出来るのかな?
「死刑囚最期の瞬間」って本読んだけど(何読んでんねん・・・)男より女の方が肝が据わってるよ。希代の暴行殺人鬼って言われてる大久保清(名前聞いたことあるっしょ?)なんて、執行前に腰を抜かして座り込んだってんだから、お話にならん。
他人の命だからよくて、自分の命は嫌だっていう考えが理解出来んよ。
遺族には犯人がいつ死刑になろうが関係ないと思うよ。だって、犯人死んだって、被害者は帰ってこないもの。
まだ、詳細はわからんけどね・・・。(--;
by 猫たぬき (2006-09-28 06:15) 

みこ

おはようございます。
朝ですよ~ 太陽が昇りましたよ~ こけこっこぉ~♪
今日も元気なみこ姉です。

今熊本の事件、テレビでやってたけど、刺した少年の精神状態が・・・・なんて言ってるよ。ホント、最近何で?っていうような事件が多すぎる。
自分の思い通りにならないと、刃物で相手を刺す。放火する。それでいいの?それしか方法が無いの??
核家族化が進み、共働きの両親が増え、家で会話をする事が少なくなっていることも、子供の心の成長をゆがませている原因かもしれない。
すべての家庭が当てはまるわけではないだろうけどけれど、学校であったことや友達とのやりとりなど、私が子供の頃は、家に帰ると真っ先に母に話してた。そして母なりの見解を聞き、自分の考えが間違っていないか?確認してた。だから母は私の友人関係をすべて把握していた。最近の子供はあまり家で話をしないらしい。親に話すとウザイんだって。だから私のレッスンの時に話をしてくる・・・・・おいおい、ここは相談室ではなくピアノのレッスン室だよ。 
我慢することや努力することも、教えてあげられる親が少ないかな?
出来れば子供には楽をさせてあげたい・・・・と。だからすべて親が先へ先へとレールをひいてしまう。そしてそのレールから逃れられない子供。そんな親からの期待やプレッシャーから逃れられず家では良い子を演じ、外でストレスを発散する・・・・・・とうとう家の中でも良い子を演じることに疲れて、親を殺す。
嘆かわしい世の中だわ。
人の命は一度奪ってしまったらリセット出来ないのよ~
「死」というものを理解していれば、相手を簡単に殺めることはできないはず。
いつかは人間死ぬわけだけど、そう簡単に死ねないのよ。
人は生を受けたときには既に死に向かって歩み始める。
最後の瞬間に「あぁ幸せだった」と思えるように、そして一度しかない人生を有意義に過ごしていけるよう、私も微力ながら周りの人たちの手助けをしていけたらなぁと思う今日この頃です。
by みこ (2006-09-28 07:40) 

猫たぬき

そうなんだよ、みこ姉(^^)
今って、子供の交友関係全然把握してない親多いらしいよ。だから居なくなったってとき、電話かけるところがわからないんだって。学校の誰さんと友達かなんて、家で話さないから。
だから捜索も遅れて見つけたときは手遅れ・・・みたいなことになるらしい。ま、全部が全部そうじゃないけどね・・・嘆かわしい現実・・・(--;
うちらなんて家出とかしたって、おそらくすぐ見つかるよね。母友が連携してたもん。「誰々さんとこの○○ちゃん、どこそこで見たで!!」って情報が飛ぶ飛ぶ・・・(^^;
昔みたいに「長屋子育て」を取り戻さないと、ますます子供の将来は暗いよね(--;
by 猫たぬき (2006-09-28 08:01) 

((((((((((--)vおはよう、猫智君☆(爆)

みこ姉さん、おざーっす。
東向きのベランダから日光が直撃しています(--;

家庭環境って、確かに重要かもしれません。大切な事を教えてやれなかった周囲の人間達にも問題あるかもしれません。
でも、そういう環境で育った人って、そう少なくないと思いますよ。
結局、最終的には自分次第なんじゃないかなぁ?

でもね・・・心の問題って見え難いモノですからねぇ。
せめて破裂しちゃう前に、それに気づいて(小さな事でも良いから)ガス抜きっつーか、何かヒントを与える事が出来る存在が身近にあれば。。。
若しくは、自分で見つけたり、とか。
そうやって良いカンジでコントロール出来れば、改善して行けるんでしょうけども(--;

まぁそれが十分出来ないから、なんですよねぇ。。。(暗)
by (2006-09-28 08:06) 

猫たぬき

((((((((((^^)v おはよう、二十面相君☆ 猫智でございまぁす(^^)
洗濯日和だよ、今日は。
そなんだよ。心の闇ってのは、人には見えないんだよ。だから「目」を見ろっつーんだけどね。私の持論としては。目は口ほどにモノを言い、なのさ。
奈良女子殺害の小林被告(死刑囚になりましたね)だって「家庭環境がどうの」って言ってるけど、そんなの、どこの家庭でも大なり小なり問題あるよ。何も問題ない家庭なんてありえないでしょ。神の一家じゃないんだから(笑)
だから「何かのせい」じゃないんだよね。足りないものは自分で補わないと。だから、人は夢が持てるんだと思うよ。逆にね。
例えば、夫婦仲の悪い家庭で育てば「私は大好きな人と結婚して夫婦仲良く子供に愛を与えて幸せに暮らすんだ」みたいなね。
結局「自分」なんだよ。自分が気付かなきゃ、人は救われないよ。
人生を「自分」の代わりに誰かに生きてもらうわけには行かないんだから。
by 猫たぬき (2006-09-28 08:22) 

kiyo

おこんばんわぁ~私は何号いただける?(笑)
スーパーなどで子供が大声で騒ぎ走りまくっていたり、
レストランでみんなで共用する箸や楊枝入れを、べたべた触ったり、
回転寿司でレーンに今にも手を伸ばす・・・そんな状況に、
何も感じていない親・・・・いけないと思いませんか?
走り回っている子供が、他人にぶつかっても、
自分の子供の心配はしても、相手に謝ることもしない・・・。
そりゃ、怒ることばかりが教育ではないけれど、世の中には
最低限のルールと言うものがあると思う。
子供のうちにそれを教えていくのは、親の責任だよね。
大人になってからのあらゆるものへのキャパの広さって、
子供のうちにある程度は決まっていると思うから。
って、大人になる前に、事件起こすんだけどね。
by kiyo (2006-09-30 00:10) 

猫たぬき

そだねぇ。22号はゾロ目だからみこ姉が譲らないでしょ?(笑) 二十面相は、カズぼんだし。21で良い? 私は猫智君が気に入ってるんだなぁ(^^)
そなのよね。「自分の子さえ良ければ主義」? そんなんじゃ良い世の中にはならね~よっ!!(怒)
by 猫たぬき (2006-09-30 02:02) 

22「号」って。。。(笑)
「かい人21面相」では色んな意味でキケンな気もしますが。。。などとポテロングをかじりつつ(爆)

子育てって難しいんですねぇ。。。こわっ
まだまだ良い親父になれる自信がないなぁ(--;

自由を履き違えた輩が多いんですよ、世の中。
ってエラソーに言える資格はないですけども(^^;
by (2006-09-30 02:30) 

猫たぬき

こっちはカール(うす味)をかじりながら・・・(^^)
そなんだよ。子育てしながら、親も成長するのが普通なんだよ。
親は成長しねぇわ、子供は管理されちゃってるわ、じゃ、ロクな日本にならねぇ!! ・・・って、カール食いながら説教しても説得力ゼロ?(--;
by 猫たぬき (2006-09-30 02:42) 

COLE

我慢とは。 
宗教の話をするのは好きではありませんが、ちょっと我慢。
仏教には、「布施」、キリスト教には「愛」、イスラム教には「喜捨」という考え方がありますね。 いづれも、相手に施しをして自分が満足するという考え方だと思います。相手に対して優位な立場になるのではなく、ものへのこだわりの開放というものかな。 子供が引き合いになりましたが、ものを我慢させるのであれば、その代わりに愛情をそそげばいい。幼児虐待を見ても、変質者教師を見ても、我慢だけさせて、愛情をそそがないから、おかしくなるのです。それがこの上の猫たぬきさんのコメントにある親の成長と同じ意味だと感じました。
このコメントもおかたい内容になってしまった。
by COLE (2006-10-01 10:27) 

猫たぬき

そうです!! 今の親は愛情を与えるというより支配したがる。それが、この社会の歪みを生む最大の原因だと思うんです。
前に書いた「義務と権利」ではありませんが、本当の愛情を与えられたら我慢も出来ると思うんです。
親が成長してないのに、子供は成長してしまうから(肉体的に)心と体のアンバランスな大人が出来上がってしまうんですよね(--)
by 猫たぬき (2006-10-01 10:44) 

kiyo

21号ということで・・・・(21面相は危険って、カズくんが・・(爆)
そして危険なのはあなたたちよ!真夜中のポテロング&カール(爆)
昨晩は、ソネブロがおかしくて、コメントも更新もできなかったのよ。
遅れているコメント挽回しようと思っていたのにぃいい!(キィー!)
話題には遅れてしまってる感があるけれど、追々コメントさせてもらうねぇ~(^^)
by kiyo (2006-10-01 19:03) 

猫たぬき

「号」かよっ!!(三村風にどうぞ) 私は猫智君が気に入ってるので猫ポン同様ヨロシクね♪
そうでしょ~? 私も昨日の記事UPしたの今日の朝だよ。動かないんだも~ん。また消えたら発狂しそうだから昨日はとっとと寝た(^^; エライ?(普通やっ!! ってとりあえず自分ツッコミ)
真夜中にスナック菓子♪ やみつきになるよぉ~(^^) 肥満の道まっしぐらかもしれんが・・・(--; カズぼんはいいけどね、ガリだし・・・。
by 猫たぬき (2006-10-02 01:34) 

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