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バラエティ化するニュース番組。 [ニュース関連に思うこと]

 福岡幼児死亡事故のニュースが、連日報道されている。
 三人の幼い命が一瞬にして奪われたことは、許しがたいことであり、遺族が犯人に対して思うことは、私たち第三者が想像することなど到底出来ないほどの深い憤りであると思う。子供を産んだことがない私でさえ、昨日まで当たり前のようにあった三人の幼い笑顔が一瞬にして消えるなど、想像するだけでも怖ろしいことである。精神状態が保てるかさえ危ういところだ。今一番の心配は、一度に三人もの子供を亡くした母親の精神状態だ。心のケアをしてあげて欲しいと切に願う。
 法律さえ許せば、自分の手で犯人を葬り去りたいと思うことも過言ではないはずだ。少なくとも、私なら絶対そう思う。

 今、私が憤っているのマスコミの報道である。
 犯人が福岡市の職員であったことが、大きな波紋を呼んでいるのは周知の事実であり「飲酒運転で事故を起こせば免職処分」などというのは、何を今更と言うほど当たり前のことだ。民間企業で車に携わる仕事など、ほとんどそうではないか?
 しかもこれはもう「事故」に留まらない「殺人」である。事故を起こしたあと、逃走しようとしているのである。殺意があった、なかったが「殺人」と「事故」の違いであると言うが、そうだろうか? 酒を飲んで運転すれば事故を起こす、ひいては殺人を犯すかもしれないと容易に推測出来る。その認識がないままハンドルを握るドライバーがいるというのが、そもそもおかしい。そんな人間に、日本という国は運転免許を交付するのか?

 数年前に同じような痛ましい事故が起こったのを覚えているだろうか。大型トラックの飲酒運転により、幼い姉妹の命が奪われた東名高速道路の事故である。いや、殺人である。私にはまだニュース映像で見たあの追突したトラックが鮮明に目に焼きついている。
 東名高速道路、酔っ払い運転でフラフラしているトラックに突っ込まれ、乗用車は炎上。幼い姉妹ふたりが一瞬にして炎に包まれた。必死に炎のあがる車にすがり付き泣き叫ぶ母親は、臨月近い妊婦であった。母親には、子供の泣き声が生涯耳から離れないだろう。お腹の中の子供が無事生まれたことだけが、唯一の救いであったと記憶している。しかし、幼い彼女に自分が生まれる直前に亡くなった姉二人のことを、両親はどう話すのか。それを考えると今でも目頭が熱くなる。
 あの事件から、例え「事故」であってもドライバーが危険な運転、行為をしている場合、「業務上過失致死」ではなく「危険運転致死傷罪」の適用がされるようになった。むろん、この福岡市の事件も、この「危険運転致死傷罪」だろう。視野に入れて考えるではすまされない、これは「殺人」なのだ。
 例え、犯人が死刑になったとて(日本の今の法律でそんなことはありえないが)遺族の嘆きが静まるはずはないのだ。

 マスコミ報道に憤るのは、次の発言だ。「犯人に酒を飲ませた店に罪はないんですか?」と聞いた間抜けな質問である。
 どうして、マスコミは「犯人以外」にも罪を着せたがるのか? 一番悪いのは誰だというのか? 酒を飲ませた店か? 橋のガードレールを作った人間か? 強度管理の甘かった国か自治体か? どこに責任をなすりつければ気が済むのか? 一番悪いのは酒を飲み、車のハンドルを握って幼い命を奪った「犯人」ではないのか?
 酒を飲ませた店に罪があるというのなら、世の中の酒屋や居酒屋、「酒を売る店」はすべて廃業である。良心がある店ならば、顔見知りであるならば、運転をやめさせて代行を呼ぶべきだったかもしれない。しかし、それとて店に「罪」はない。それは店の「親切心」うんぬんの話である。百歩譲って罪があるとすれば、明らかに未成年の子供に酒を飲ませ、泥酔状態であることを知りながら、無免許の子供を車やバイクで帰した時だけだ。

 おまけに「彼は飲酒運転によって、自分の人生を棒に振ってしまった」という犯人を語る報道。彼は大人しい勤務態度の良い青年だった。それが何だ? だから罪を軽くしろとでも? 彼のこれからの人生がどうなろうと、亡くなった子供は帰ってこない。犯人が仮に死んだって二度と子供の笑顔は母親の元に戻ってはこない。
 マスコミは嬉々として、犯人の家族のところを回りコメントを取る。犯人の家族は同じことを言うだろう。「自分たちにとってはかわいい息子(弟、孫)だ」と。そして「遺族の方には申し訳ないことをした」と。当たり前の反応であり、何もものめずらしいものではない。犯人の家族は、犯人を庇い、遺族は、犯人を憎む。殺人の加害者側の意見と、被害者側の意見は、決して交わることはない。
 
 なぜ車の免許は18歳にならないと取れないのか。それは、18にもなれば、「常識」や「当たり前」のことくらいわかるだろうということだ。
 幼稚園児に「常識」を振りかざしても何もならない。「何で何で?」と聞き返されるのがオチである。高校を卒業する年になれば、自分の進路は自分で決めるくらいの判断能力はある。「酒を飲んで車の運転をすればどうなるか?」くらい判断はできるはずである。二十歳を過ぎれば、酒を飲んだって誰にも文句は言われまい。店だって、客が飲んだあと「彼はどうやって家にたどり着くだろう?」まで心配してやる義務はない。酒を出して、金を受け取る。それで売買契約は成立しているのだ。
 問題なのは「犯人の意識」の問題だけだ。その他の要因は、すべておまけでしかない。

 例えば、ガードレールの強度がもっと高ければ事故は起きなかった、と本当に言えるだろうか? 今度の事件がきっかけで強度を増したとする。今後、それを上回るスピードでぶち当たられ、ガードレールを突き破る事故が起こったら、また同じ報道をするのか? 「強度があれば・・・」と? 堂々めぐりだ。そのうち、ガードレールでなく、鉄柵を立てなければならなくなる。
 何よりも原因は「犯人」であり、「飲酒運転」であることだ。二度とこのような事故が起こらないように・・・と言うのなら、飲酒運転撲滅を徹底強化するべきであろう。
 飲酒運転の罰金が30万、50万と引き上げられたことを覚えているだろうか? 一時期、警察の取り締まりが厳しくなって飲酒運転が減ったらしいが、もしそれを今でも続けていてこの事故が起こるのはおかしい。犯人は、これが初めての車の運転で、飲酒運転ではあるまい。何度か飲酒運転をしているはずではないか。きちんと取り締まっていれば、事故前に捕まっていたかもしれない。
 罰則は「ブーム」ではない。
 飲酒運転も、路上駐車も、歩き煙草も。
 マスコミが騒いでいる間は、警察も動き、違反者もなりを潜める。しかし、マスコミが飽きて報道をしなくなれば、どっと違反者は増える。これが本当の解決策になるのだろうか?

 今のマスコミ報道は、すべてバラエティ番組である。真実を報道するより「おもしろおかしく」報道する方が数字が取れるからである。そうでなければ、福岡幼児死亡事故と、ハンカチ王子を、同じ口調で報道できるわけがない。


2006-08-29 08:55  nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
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コメント 6

kiyo

こんばんわ(^^)猫ぽん!
本当にそうだよね。私も自分がその立場だったら、例え法的にいけないことでも、復讐に行くと思います。
お通夜の時、三兄妹の父親が語っていました。「あの子たちには何の罪もないのに・・」と。あの両親は一生深い傷を背負って生きていかなければなりません。かたや事故を起こした加害者は、数年経てば刑務所から出て、一般人にまぎれて生きていくのです。事故を起こす前の彼(加害者)のことを悪く言う人は確かにいませんでした。とてもまじめな青年だ・・と。しかし、だから何だ?と思っている人は多いと思います。これからの人生、自分が奪ってしまった命の重みを考えていってほしいと思うのです。
私は田舎に住んでいたこともあり、車はなくてはならない存在でした。
車だけではないけれど、使い方を間違えると凶器になるものは沢山あります。そうならないためにもルールやマナーは必要不可欠なものなのです。私は飲酒運転の罰金が高いとは思いません。むしろ今までが安すぎたのではないでしょうか?酒+運転=凶器になりうる可能性の高さは、お金ではあらわすことはできないのですから・・・・。
このような事故が二度と起きないよう、祈りたいと思います。
もちろん、私もドライバーとしてさらに安全第一をモットーに、快適な車生活を送りたいと思っています。(モットーって・・・<笑)
by kiyo (2006-08-29 20:51) 

猫たぬき

こんばんはkiyoポン(^^) そうだそうだ!! 良質ドライバーが増えることしか事故を起こさない社会は作れない。
だいたい酒飲んで運転して事故を起こさないって考えられるの、どこまで自分の運転に自惚れてるんだろうって思う。お前の運転なんてシラフでも危ねぇんだよっ!! って人が今の日本には多い気がするのに・・・。
私が運転免許を取らないのは、ひとえに社会の安全のためだもの。私は、絶対何の罪もない人を、例え相手が飛び出してきたという過失でも殺したくない。
by 猫たぬき (2006-08-29 22:26) 

こんばんは。
飲酒運転ですか。無くなりませんよね~ホントに。
そんなニュースが最近多いですが。

被害者側は勿論、加害者側にも一生傷が残りますよね。家族等々。
一瞬で総てが滅茶苦茶です。いやはや。

マスコミねぇ。。。色々と履き違えてますよね(--;
もう受け手がしっかりするしかないです。
by (2006-08-29 23:34) 

猫たぬき

こんばんはかず君(^^) 加害者側にも傷が残る・・・う~ん、それはどうかな。確かにね、社会的に住みづらいとかは出てくるかもしれないけど、被害者遺族と同じレベルでの傷はつかないと思う。
最愛の者を殺されたっていう事実は、何をしても消えないもの。私なら同じやり方で殺してやりたいと思うよ、過激だけど。
山口母子殺害事件の本村氏の気持ちは痛いほどわかる。あれが純粋に人を愛している人間の発言だと思うからね。
最近、ニュースはネットで見ることにしてる・・・。テレビつけたら腹立つ。文字上で的確な情報だけでいい。もう、過剰演出のニュースなんてウンザリ(--;
by 猫たぬき (2006-08-30 03:04) 

by3u

こんにちは、by3uです(^^)
本当に痛ましい事故ですね。何の罪もない子供が犠牲になる事故はいつになったらなくなるのでしょうか。

最近、「被害者」と「加害者」の距離について書かれた小説を読みました。真保裕一氏の「繋がれた明日」という小説です。主人公(=「加害者」)の保護司が、「被害者」の青年の彼女と直接話をする場面がありますが、どちらの意見や思いにも心動かされるものがあり、なんともいえない気持ちになりました。
by by3u (2006-08-30 08:37) 

猫たぬき

こんにちはby3uさん(^^) 加害者と被害者。いろんな思いはあるけれど、どうしても相容れないものはあると思います。
前に気になったニュースをずっと追っていたことがあります。交通事故で人を殺めてしまったトラック運転手ですが、その人は危険運転ではなく、過労による過失だったのです。しかし、死亡事故なので当然、裁判を受けて交通刑務所に服役しています。そして獄中から、妻へ手紙を送り続けているのです。そのトラック会社の勤務時間に問題があると、第二の自分のような人間を出したくない、同僚に事故で人を殺めさせたくないと訴えています。彼は加害者であり、被害者なのです。被害者の遺族は、そのトラック会社を訴えています。だから、妻は「同じ思いだから私も一緒に署名運動に参加させてほしい」と頼みました。しかし・・・断られました。被害者にとって、いくら加害者の妻が同じ思い(二度と事故を起こしたくない)でも、同じ立場には立てないのだ、ということです。例え過失であれ、被害者の遺族は、加害者を許せない・・・。
おそらくby3uさんの読んだ小説も似たようお話なのではないでしょうか? 加害者も被害者になりうることはある、と。切ないけれど、現実に人の心は、感情だけは、理屈ではどうしようも出来ない・・・。
今回は過失ではなく、殺人だと思っていますから、同情の余地はないですが。

バトン、すいません。遅れてて・・・。私でずっと止めてますね、申し訳ない・・・ちょっと今パソコンの使い方、勉強中です(^^;
by 猫たぬき (2006-08-30 16:14) 

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