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この世はすべて「縁」に満ちている。 [愛の話]

 どうも、いらっしゃいまし。
一服、お茶でもいかがですか?

 何とか裏技の効果ありでインターネットは繋がって、とりあえずホッとしております。
 昨日の「インターネットの向こう側にいる人は?」のブログを通してご縁のあるみなさまに、更新していない間のご心配コメントなども頂き、嬉しい限りでございます。旅以外の日は毎日更新してきた甲斐がありました。人間関係の希薄さが進む昨今に、ありがたい話です。というわけで、今日のお題は「さまざまな縁」であります。

 この世は、さまざまな縁に満ちている。親兄弟、男女の仲、同姓同士の友情・・・もちろん今このページを開いて閲覧してくださっている人すべて、私にとっては縁のある方たちです。人との縁だけにあらず、生まれた土地、学校、会社、すべてのものが縁で結ばれて存在するのである。
 私は関西人を自認して、関西の地から離れて数年経つにも関わらず、合いも変わらず関西弁を話し、関西に深い郷愁の思いを持っている。それは生まれた地、関西との縁を今でも感じているからである。就職を決めるときも、関西から出ようとは思わなかった。地元の企業に縁あって就職し、そこでまた縁のある人たちと知り合った。もし、少しでも何かが違っていたら、まったく別の人生を歩んでいたのかもしれない。しかし、縁とは異なもので、もし私が関西を出て他の企業へ就職していたとしても、最後的には関西に舞い戻ったかもしれないし、遠回りをしただけで、最初に就職したところへ数年経ってから就職することになったのかもしれない。強い「縁」とは、そういう力を持っているのだと思う。

 男女の縁でまず思い当たるものは、赤い糸の話ですね。私は自分では結構ロマンチストだと思っているのですが(ここ、笑うとこじゃないですよ~)現実的なところも多分にあるようで。もし世の中の男女の小指に必ず赤い糸がついているのだとしたら、こんがらがってしゃーないやんけ、とか思ってしまうんですね(ロマンの欠片もないやん・・・)。それに、もし赤い糸が目で見えたとして、その先にいる男性が自分の嫌いなタイプだったら、どうする? とか思ってしまう(もちろん赤い糸の先にいる殿方にも選ぶ権利ってものがありましょうしね)。どうも私は昔から、白馬の王子様を夢見て待っているタイプではなかったらしい・・・。

 「大田総理」のテレビ番組で、青木さやか嬢が「結婚相手は国が斡旋する法案」を打ち立ててましたが、あんな法案現実に通っちゃ困る、と思いました。
 もし国が全国民のデータと条件をコンピュータにかけて「あなたの結婚相手はこの○人のうちの誰かです」とか「この人があなたの結婚相手です」とか言われたらどうしますか? お上の決めたことだから、と納得して結婚相手を決めてもらいますか? 条件さえ合えば、国に決めてもらった方が良いと思いますか? 私なら例え法律で決まったとしても、絶対納得しません。そして絶対に質問しますね。「じゃあこの中から選んだ人と結婚するとして、もし離婚ということになったら、国が責任を持ってくれるんですか? 慰謝料は国から払ってくれるんですね?」と・・・。私はだいたい、人に何かを決められたり押し付けられたりするのって、嫌いなんです。もう、これは性格としか言いようがないけれど。だいたい「縁」なんてものはね、コンピュータでは弾き出せません。年収でも、条件でもないんです。

 お恥ずかしい話ながら、「縁」というものを語るために、私と殿との馴れ初めをほんの少しご紹介しましょう。これ以降は、ちょっとした昼ドラか惚気に過ぎないかもしれないので、お気に召さない方はブログ半分くらいとっととすっ飛ばしてくださいましね。
 私と殿が知り合ったのは、私が高校生のときでした。殿が大学生。アルバイト先で知り合ったのです。お互いまだ初々しい10代です。さてさて、そこから運命的に恋をして、ママゴトみたいな交際を経て晴れてゴールイン!・・・したわけではありません。
 恋に落ちるにはあまりにも幼い私たちの感情は、「兄・妹」もしくは「バイト先の先輩・後輩」みたいなもので、お互いまだ何とも思ってなかったんですねぇ。まあ、運命的な恋なんてものは、そうそうありゃしませんて・・・。そのうち、私は高校を卒業して就職。殿は、他のアルバイト先へと。それぞれ別々の道をゆくのでありました。私の手に、一枚の電話番号を書いた紙切れを残して・・・。

 それから数年後。ドラマのような展開があったのですよ。
 それは私の職場に、私の母校の後輩が入社してきたんです。学校が一緒という共通な話題もあって、よく会社帰りにごはんを食べに行ったりしていました。そのとき、彼女の当時の彼というのが、殿と同じ大学の同じ学年であるということが判明しましてね。まあ、ここまでは狭い世間。ままあることではないか、と思います。しかし、その彼は学部の違う殿のことを知っていました。直接友達ではなかったようですが「彼(殿のこと)、就職決まったって友達に聞いたよ」みたいなことを言っていたというのです。さて、そこで私がどうしたか? もうおわかりでしょう。前振りしてますもんね~。

 私の就職が決まったとき、殿はお祝いをしてくれたんです。それを思い出して、今度は私が「就職おめでとう!」と言わなければと、電話しました。まあこのときの心境は、ほんの気まぐれか、律儀なお返しという思いでしかなかったんですけど。しかし、よく自分自身この電話番号覚えてたな~とも思うし、殿も引越しもせずに同じところに住んでたな~とも思います。だって、あれからもう何年も経ってるんですから。
 数回、電話の呼び出し音がして「はい」と殿の声。もう声なんて忘れてましたよ。で、私が名前を言う前に「誰だかわかりますか?」と聞いたんだな。そしたら、ちょっと間があって、殿が私の名前を呼んだのです。バイトを辞めてからお互いの消息は知らないし、電話番号はもらったけど一度も電話したことないし、声だって忘れるくらい長い年月逢ってないのに。・・・いや~、ドラマだねぇ。ドラマならここで必ず音楽流れるね。小田和正の曲が♪

 まあ、そんなこんなで現在に至っております。・・・かなりすっ飛ばしました。自分の恋バナは、ちょっと、いやかなり恥ずかしいのでここまでです。このあと結婚まで、かなり数奇なことがあったのですけれどね・・・。ま、もし気が向けばまた書くかもしれませんが(おそらくないだろうけれど)。
 殿と私は生まれた土地が違う。殿が関西の大学を選んだから、私たちは出逢ったのです。
 もし、電話番号をもらっていなければ・・・。
 もし、後輩が付き合っている彼が殿と同級でなければ・・・。
 もし、殿が引っ越していれば・・・。
 もし、・・・。
 もし・・・はいくらでも続きます。しかし、「縁」というのは、こういうものなのです。強い「縁」があると、一度離れても必ずまたどこかで繋がって、出逢うようになっているのです。

 さて、これほど運命的な(?)再会を果たした私たちの、唯一の結婚の障害があったとすれば、私の母親ですね。別に殿が気に入らないというわけではなく、二人ともまだ若いってことがどうも引っかかっていたようです。自分が若いうちに結婚して苦労したという思いがあるんでしょうけれど。
 殿も大学出て就職して一、二年くらいで自分のことで精一杯というところもあったし確固たる将来が見えていたわけでもありませんしね。でも、私にとって結婚というのは「愛こそすべて」だと思っているので、その他のことはどうでもよかったんです。好きな人と早く一緒に暮らしたかったんです。まあ、ここら辺が若さかな、とも思いますがね。だから、母親にこう言ったんです。
「もし仮に、お母ちゃんの言う通り、結婚を延期するとか止めるとかしたとして、後悔することになったら誰が責任とってくれるん? 私は、自分の人生をお母ちゃんがああ言うたからこうなった、って責めたくないねん。自分の人生は自分で決める。何か起こっても誰かのせいにして生きていきたくないねん」・・・二十歳そこそこの小娘の吐くセリフじゃないですね~。強情というか、小生意気というか、親の立場からしたら張り倒したくなりますよねぇ・・・。三つ子の魂百までもといいますが、子供の頃からまったく変わってないですね、この性格。

 まあ、これはおそらく一生変わらないでしょう。私は人に何かを決められたり、押し付けられたりしたくない。人生を左右するものだとすれば尚更。人間は所詮、弱いもの。決められたことがいい方向へ行けばいいけれど、もし何かあったとき、それを決めた相手を責めてしまうでしょう? 自分の人生を決断する権利のない戦国時代のお姫様でもなし、自分で選択しないくせに、事が起こったときの責任だけを人に押し付ける人間には絶対なりたくない、と昔から思っていたのです。自分の人生に責任を持てるのは、自分だけ。誰も責任なんて取ってくれない。自分を守ってくれる親だって、絶対自分より長生きすることはないのだから・・・。

 この意識ってすごく大事だと思う。イマドキの奥さんって、ダンナさんとケンカしたら子供連れてすぐに実家に帰っちゃうんでしょ? これって実家が悪いと思うんですね。そりゃ家庭内暴力とか幼児虐待で逃げてきたっていうなら話は別だけど、ケンカしたくらいですぐ実家に帰られちゃ、ダンナさんも対応に困る。
 「女は三界に家なし」と言われていたのは遠い昔の話。昔はね、実家で使ってたお茶碗とお湯呑みって結婚する前に割ってしまうんです。あなたの帰る家はもうないのよ、ってことね。あなたの家は夫と一緒に築く家だけなのよ、って娘に覚悟させる。そうやって、娘の幸せを遠くから見守っていたのね。それが親の愛。今みたいに、娘がかわいい孫を連れて帰ってきたら、喜んで迎えてしまうようでは、離婚社会に拍車をかけるようなもの。
 もしそのまま離婚したら「親が帰って来いって言ったから」とでも言うのかしら。離婚理由まで親のせいにされちゃ困りますよ。まぁそんなこという親も、本当に娘を愛してるかは疑問だけど。

 結婚っていうのは、やっぱり難しいのかな。恋愛関係っていうのは、すぐなれると思う。二人が「好き」と思えばそれは恋だしね。恋人にはすぐなれる。それも確かに「縁」だけれど、でもやっぱり結婚に繋がるのはよほど強い「縁」なのかもしれない。よく「結婚なんて紙切れ一枚のこと」と言われるけれど、役所に届けるこの「紙切れ一枚」には壮大なドラマが詰まってる。
 私が殿と結婚しようと決めたとき、外側の条件は一切なかった。いわゆる三高というやつね。年収とか学歴とかそういうの。それは単なる「状況」だから。人と長く深く付き合うのに、外側の条件じゃだめなんです。内側じゃなきゃ。おそらく私たちは、純粋にお互いの「本質」を好きだな~と思ったから今でも続いているんですね。
 人を好きになるということは、その人の「本質」を好きだと思うこと。その人の内側から滲み出る何かを愛するのだと。だからその人を取り巻く外側の「状況」はどっちでもいいんです。
 例えば、その人が一流企業に勤めてるっていうのは「状況」に過ぎない。その会社が倒産して、別の会社に勤めることになったってその人の「本質」には何ら影響ないわけです。だから好きだという気持ちが揺らぐことはない。条件ばかりを追い求める人は、「縁」よりも、この「状況」を求めるから、ちょっとしたことで結婚生活がグラグラ揺れる。「本質」を愛したわけではないから、「状況」が変わると、自分の好きに自信がもてなくなるんでしょうね、おそらく。
 結婚するってことは、「一生添い遂げる」という覚悟をすること。男からすれば、もっと切実。その女の一生を背負っていく覚悟をするということ。経済的にということもあるけれど、もっと深く意識的に、ね。

 男も女も、「この人だ!」と強く思う瞬間があるからこそ、結婚を決意するんだと思います。それもすべて「縁」ですね。その「縁」を、赤い糸で結ばれた人だと思う人はそれでいい。白馬に乗った王子様が迎えに来たと思うのも良し。石ころの中からダイヤモンドを探し当てたと感じる人もいるかもしれない。魂の半身だとさえ思う人もいて不思議はない。
 感じ方はいろいろあるけれど、既婚者には、今までの人生の中で必ず一度「この人だ!」と思った瞬間があるということ。それをいつでも思い出すことが出来れば、そう簡単に「離婚」という結論は出ないと思います。せっかく「縁」あって結婚した二人なんですから。
 それにしても「縁」ってやっぱり不思議。言葉としても、使われ方としても。お見合いの常套句、角の立たない断り方も、会社が採用を断るときも、「ご縁がなかったようで・・・」ですものね・・・。

 それではお茶にいたしましょう。今日は、ちょっと甘いお茶を。アッサムティーに、オレンジマーマレードを入れていただきます。オレンジピールを入れたハーブティーとは少し違う、オレンジの甘い香りと舌にもジャムの甘さを感じる紅茶です。お疲れの時は、少し甘いお茶を飲むと良いですよ。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-07-29 19:04  nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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みこ

こんにちは。朝から「そう、そう、そう!」とパソコンに向かってうなずきながら読ませていただきました。私も旦那さまとの出会いには「縁」を感じました~自分の中の感ピューターにピピッと引っかかった感じ。男女間だけではなく自分の周りに現れる方々とはいつも妙な「縁」を感じます。
by みこ (2006-07-30 08:01) 

猫たぬき

こんにちはみこさん(^^) nice!&コメントありがとうございます。
そうですね、この世の中の出逢いすべてが「もし~だったら?」ですものね。
その感ピューターっていい言葉ですね~(^^)好きだ~!!
by 猫たぬき (2006-07-30 13:53) 

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