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愛のチカラで、明日は来るか? [愛の話]

 どうも、いらっしゃいまし。
今日も蒸し暑いですねぇ。冷たいお茶でもいかがですか?

 昨日のR30、ご覧になりました? 大泉洋氏が出演しておられましたね。最近はテレビを見るより「水曜どうでしょう」のDVDを見てることの方が多いので、「あれ? DVD入れっぱなしだったっけ?」と思ってしまいました。もう大泉洋氏は、全国区のテレビをつけて当たり前のように出演している人になっているんですねぇ。自分では「北海道のローカルタレント」と言っていますが、すっかり有名人ですよね。
 それでは、昨日の大泉洋氏のセリフをヒントに思いついた、今日のお題。「明日は、本当にやって来るのだろうか?」です。

 大泉洋氏の昔から変わらない信条とは「明日出来ることは、今日やらない」だとか。実にゆるい。逆に潔い。さすが「水曜どうでしょう」の申し子。それにかなりの自信家でもあります。自分は明日も必ず生きている、と確信している人のセリフだからです。うちの殿とは真逆ですな・・・。

 うちの殿は、常に「今日を生きている」人です。明日が来ないかも知れないから、とりあえず今日を一生懸命生きるというのが信条。だから、どんなに眠くてもW杯は見てたし、どんなに疲れて帰ってきても必ずパソコンの前に座ります。それはひとえに「明日が来ないかもしれないから、自分の興味があることは今日中に全部しておく」のだそうだ。明日の朝、目覚めなくても心残りのないように、だとか。実に毎日が全力疾走。真に潔い。
 確かに昔からオリンピックもW杯も、時間の許す限り一生懸命見ていました。それは、四年後自分が生きて見られるかどうかわからないから、だそうで。
 そういえば結婚当初から、遠い未来の話をしない人だなぁと思ってた。一年後の自分が想像出来ないらしい。「来年も北海道行こうね」と言ったら、普通は「お金が貯まればね」とか「休みが取れたらね」って言いますよね。殿はいつも「来年まで生きてたらね」と言います。おいおい・・・、それはちょっと・・・。

 私は殿とは真逆で、ゆる~い日常を送っています。ま、のんきに気まま。これが私の信条なので。
 ここまで性格も感性も違っていて、どうして夫婦になれたの? とお思いでしょうが、夫婦というものは不思議なものでして、同じ性格だからいいわけでも、感性が似ているから上手くいくわけでもないんですね。まったく違う性格と感性が、調和するということもある。「あ、その考え方わかる!」と思う代わりに、「へぇ~、そんな考え方もあるんだ」と、毎日が発見でもあるのです。
 そんな私たちですが、ひとつだけ同じところがあります。それは「明日は本当に来るのか?」と懐疑的であること。

 みなさま。明日って来ると思いますか? 明日が来るのなんて当たり前じゃない、とおっしゃるでしょうか。しかしね、「明日」は永遠に来ないんですよ。「今日」は確実に来ます。今だって、今日なんですからね。でも明日はない。だって、今日の深夜12時が来ると、さっきまで「明日」だったのが「今日」にすり替わり、明日はまた24時間後になるんですから。
 私たちは、常に「明日」を追いかけて追いつかない「今日」を生きているのです。
 屁理屈だと思うでしょう? そうです。厳密に言えば、屁理屈です。でも真実です。「明日は来ない」とは、何かの深夜番組で所ジョージ氏も言っていました。しかし、私が「明日は来ない」と思ったのは遥か昔、子供の頃です。

 大人は、子供に対してよく「あとでね」「明日ね」と言う言葉を使います。しかしその「あとで」「明日」は待っていても永遠にやって来ないのです。
 私が子供の頃、折り紙に熱中していた時期がありました。どうも私はひとつのことに熱中すると納得するまでやらないと気がすまない性分でして、鶴を折ると決めたら折れるまで何時間でも折っている。折り方を忘れたりすると、母親に聞きにいきます。そのとき母親がヒマだと、その場で教えてもらえますが、洗濯中だったり料理を作っていたりすると「あとで」と言われてしまいます。しかし、大人というのは自分の言った「あとで」をすっかり忘れていたりするものですから、子供としては「あとで」は「嘘である」ということを学んでしまうわけです。なので、「あとでって何時何分?」とひねくれた言い方を覚えてしまうんですね(私だけかしら?)。同様に、外に遊びに行きたいと言っても、母親が忙しかったり、時間が遅かったりすると「明日ね」と言われてしまいます。そうすると「明日って、何日の何曜日?」と聞くことを覚えます。・・・こうやって改めて書くと、とんでもなくひねくれたクソガキですね、私ってば。
 子供は潔癖で、大人の便利な言葉「あとでね」「明日ね」というその場をやり過ごすための曖昧な発言を許せないんですね。「何時何分」「何日の何曜日」は来るけれど、「あとで」や「明日」は待ってても来ないということを学ぶんです。今考えると、何て嫌味な子供だったんでしょ・・・。

 お断りしておきますが、私は別に「明日は来ない」というのを、悲観的に言っているのではありません。だから「いつ死んでもいいや」と投げやりに思っているわけでもありません。
 人間の欲望は尽きることがない、ということ知っているからです。情熱というものは、年と共に失せるものと思ってはいませんか? しかし、人はいくつになってもやりたいこと、趣味、生きがいが出てくるものです。好奇心がある限り、情熱は消えないのです。
 自分の寿命がいつまでなのか誰にもわからない。だから人は「明日」ではなく「今」を生きるのです。「全力疾走で駆け抜ける」殿のような人もいれば、「自然体でのんびりゆったり生きる」ことを選択する私のような人間もいる。人の数だけ、生き方があるのです。どんな生き方を選んでも、例え「明日」が来なくても、後悔しないと思えるように生きるならそれで良いのです。
 夜が明け朝陽が昇る頃、やっぱり殿も私も「明日を追いかけて」生きていると思います。
 なぜなら、殿は殿で、ひとりで生きるにはいささか頼りない私を残して、先に死ぬわけにはいかないと、どこかで思っているだろうし。私は私で、先に死んだら誰が、殿のお好み通りの朝のコーヒーや午後のお茶を淹れられるの? と思っているから。
 それはひとえに、愛のチカラなのです。この世に、何か大切なものがあるから。
 人は「明日」を夢見て、「今日」を一生懸命生きるのです。

 それではお茶にいたしましょう。今日は、冷たいお茶を。ミント入りの紅茶で、アイスミントティーを。さっぱりしていてごくごく飲めちゃいますね。ミント系は種類が多く、ポピュラーなペパーミント、スペアミント、果物の香りのするアップルミント、パイナップルミント・・・などなど。お好みのミントでどうぞ。
 それでは、またお逢いしましょう。


2006-07-15 19:14  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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