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エゴではなく、エコを育てる教育論。 [ニュース関連に思うこと]

 どうも、いらっしゃいまし。
暑い毎日が続きますが、ここらでひとつ熱い飲み物はいかがでしょう?(決してケンカを売ってるわけではございませんが・・・)

 本日は、8月15日。62回目の終戦記念日ですが。
 この日を、「記念日」と呼ぶのは良いことなのか、悪いことなのかと思うのですが。ま、それはいいとして、とにかく本日のお題は、「戦争の何を後世に伝えるか?」です。
 ・・・「次は旅日記青森編だ!!」とか言っておきながら、今回はお堅いお話です・・・。

 確か去年の今頃も同じように「戦争のこと」について書いた気がしますが、私はどうも8月の報道で、連日更新される「今年最高の暑さ」という言葉と、「戦争」について語られることに違和感を感じるのですな。(ま、暑さに関してはしょうがないことなんですが)
 「戦争を繰り返してはならない」と言いながら、報道で「戦争」を語るのはいつも夏のこの時期だけ。戦争経験者は年々減っていく。戦争について後世に伝えたいのなら、365日毎日でも報道で伝え続けるべきではないのだろうか?

 当然のことながら、こんなことを書く私は、戦争を知らない。
 なので、今から書くことは、自分が学校で教育されてきた「戦争」というものと、自分独自の考えを元に綴るつもりなので、ご不快に思う方もおありでしょうが、これは「猫たぬき」の視点ということでお許しいただきたいと思います。
 終戦日の今日、静岡のとある百貨店で、戦時中の食であった「すいとん」がふるまわれたそうな。
 「戦時中は、これを食べて飢えをしのいでいたということを、戦争を知らない世代にも知って欲しかった」という意図らしいが、すいとんには、大根やにんじんなど野菜が入っているし、おそらく充分に昆布やカツオでダシをとっていることだろう。マズイわけがない。実際、食べている人たちは、普通に食事をしているような顔をして食べている。
 本当の戦時中は、ダシをとる昆布やカツオもあるまい、しょうゆだってあったかどうか・・・。大根やにんじんが入っているなんて、ご馳走だっただろう。実際の戦時中のすいとんは、塩か何かで何とか湯に味をつけ、水でのばした小麦粉を浮かべているような、お粗末なものだったと想像する。それを食べて何とか命を繋いでいたのではないだろうか、と。
 このすいとんを食べた子供に、「戦時中はこんなものを食べていたんだよ」と説明したところで、「こんなウマイものが食べられたなら、戦争ってそんな悲惨じゃないじゃん」と思われてしまわないか? と変なことを心配したりする。それと、もうひとつ。本当に戦時中にすいとんばかり食べていた人は、その味を思い出したくないのではないだろうか、と。

 私の母親は戦後生まれであり、農家と縁続きの家系であったことが幸いし、食糧難ではなかったという。父親は戦時中の生まれであり、食糧難を経験していると聞く。
 父親の幼少時代は、家が貧乏なうえに兄弟も多く、もちろん食糧難真っ只中。米どころか粥もめったに口に出来ず、イモやかぼちゃばかりを食べていたらしい。だから今、イモやかぼちゃをほとんど口にするところを見ない。
 私はイモ類が大好きで、実家に居た頃、好んでふかしジャガイモバターとか、サツマイモの入った芋粥などを食べていたが、父親はそれを見ようともしない。
 イモを見ると、戦後の、幼少の頃のみじめな食生活を思い出すのだろうか。
 確かに「食」というのは、記憶の重要な部分を占める。口にした途端、嫌な思い出を思い出すくらいなら食さない方がいいのだろう。
 もし父親が、そのふるまわれていたすいとんを口にしたとしたら、「戦時中は、こんな豪華なものは食えなかった!!」と怒り出すかもしれない。
 戦争の悲惨さを伝えるつもりが、ただのデモンストレーションに使われているだけではないか、と思うのは私だけだろうか?
 
 戦争を後世に伝える、というのは、一体どういうことだろうか?
 私は、戦争の「悲惨さ」を伝えるだけではないと思っている。一番伝えなきゃいけないのは、人間の「傲慢さ」ではないか、と。
 「戦争は悪いことだ」
 誰もが口にし、誰もがわかっている。
 当然ながら、戦争を起こすのと、戦争に巻き込まれるのとでは、意味が違う。
 自ら侵略するため戦いを仕掛けると、掛かる火の粉を払うために戦うのとでは、意味が違うし、戦地へ行くことを強制する人間と、国のために家族のために心ならずも行かざるを得ない人間とでも、意味が違う。
 しかし、戦争を起こすのも、犠牲になるのも、我々と同じ「人間」なのだ。
 戦争とは、「人間の傲慢さ」が引き起こすもの、ではないだろうか。

 心ならずも戦地に赴き、戦争を体験してる人が、「戦争の悲惨さ」を後世に伝えることも大事なことだ。しかし、もっと大事なことは、「傲慢にならない教育」をすることではないだろうか。
 昨今、実に信じられない理由で、人が人を殺す。
 交際相手が別れ話を持ち出したというだけで、相手を殺す。好意を持った相手が振り向いてくれないからと、相手の迷惑を省みず執拗につけ回し、挙句の果てに殺害する。ムシャクシャしていたからと、無差別に人を刺し殺す・・・。
 こんな「自分の思い通りにならない」というだけの理由で、人が人を殺す社会になってしまったら、いくら「戦争の悲惨さ」を訴えたところで、戦争を起こすことを防げないのではないだろうか?

 私たち一般人のみならず、今、国を動かしている政治家たちも、戦争を知らない人が多くいる。
 戦争も知らず、戦後の食糧難も知らず、戦争の悲惨さを実感できない人間たちが。
 これから政治家になる人間も、今、学校教育を受けている子供たちの中にも多くいるだろう。その人間が、みな傲慢になってしまったら世界はどうなるだろう?
 もし「戦争を起こせるかもしれない」立場になり、実権を握らせたら?
 極論を言えば、傲慢な人間に国のすべてを任せるというのは、核ミサイルの発射ボタンを、何もわからない赤ちゃんに握らせるのと同じことではないのか。

 人間はひとりひとり違う。自分と同じ考えもいれば、違う考えもいる。すべてを理解するのは無理でも、理解出来るように努めよう・・・。
 そういう、謙虚な考えの出来る人間を育てなければ、いつか必ず「戦争」を引き起こしてしまうのではないか、と思ってしまう。
 そうは言っても、言うは易く行なうは難し・・・。
 地球温暖化を食い止めようと言いながらも、酷暑の夏を乗り切るために冷房に頼ってしまう我々のように。
 それをあからさまに「悪いことだ!!」とは責められない。なぜなら、「今」を乗り切らなくてはならないからだ。熱中症で死んでしまう人がいる現状を考えれば、仕方のないことだから。
 だから少しでも、地球に優しくなりたいと思う。
 冷房をドライに変えるとか、何か出来ることはないかと探す。買い物には袋を持参して、エコに努めるとか。積極的にリサイクルに協力するとか。
 微々たることでも、小さなことからでも、何もしなければ何も変わらない。

 戦争が終わって62年。
 これからますます、「戦争体験者」はいなくなっていく。
 「戦争は悪いことだ」「戦争は悲惨だ」
 それだけではない何かを後世に伝えなければ。
 これからの社会を担っていく人間たちに。
 人間は欲がある。逆を言えば、欲があるから人間なのだ。
 植物や動物のように、無欲には生きられない。
 そんな何も生み出さない、自然を壊しながら生きている人間という存在が、無欲に生きるものを巻き込んですべてを死なせる戦争など、引き起こしていいわけがない。
 戦争は、人間が死ぬだけじゃない。動物も植物も、何もかも死んでいくのだ。
 地球という奇跡の星に住まわせていただいている人間は、もう少し謙虚に生きなければ。
 「戦争の悲惨さ」を伝えることと平行して、もっと大きな問題、人間というものの成り立ちから教えるべきだ。親、社会、自然、国、世界、そして地球。
 戦争は、エゴとエゴのぶつかり合いだ。
 小さなエゴのために、自分たちの住む土台である地球をないがしろにして、一体何を得られるのだろう?
 地球温暖化を阻止するのや、平和を願うのは、一体誰のため? 何も生み出すことの出来ない、人間自身のためではないだろうか。
 「戦争」は、何も生み出さないだけではない、人間に必要なすべてのものを失ってしまうのだということ。そうやって、もっと広い視野で、「戦争」を教育をするべきではないだろうか。
 エゴイストを育てるのではなく、エコロジーの心を育てなくては、いつの日かまた、愚かな争いが繰り返されると危惧するのは私だけでしょうか・・・?

 それではお茶にいたしましょう。
 暑い日が続きますが、あえてここはホットティーを。
 熱中症を避けるために、水分補給を心がけるべきですが、喉が渇いたからと冷たいものをやたらゴクゴクと飲み過ぎるのも逆効果。体のためには、熱いお茶を飲む方が良いのです。熱いお茶をゆっくりと飲む。その方が喉も渇きにくいのですな。ご存知でしたか?
 それではまた、お逢いしましょう。


2007-08-15 23:30  nice!(4)  コメント(9)  トラックバック(0) 
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コメント 9

somemono

おっっと!一番っっヽ(´ー`)ノ
毎日暑いですねぇ
暑い日の熱いお茶・・・これ最高( ・∀・)っ旦

自分は戦争を経験した祖父、祖母に話しを聞いていました。学校の卓上で教育を受けるものより遙かに重みのあるものばかりだった事をよく覚えています。
よく歴史は繰り返すと言います。やはり、話よりも経験しなければ分からない事も多くあるはずです。
ただ繰り返してはいけない。
・・・戦争経験者の人数も少なくなり、やがてはいなくなってしまう現状(経験しないことは、ある意味良い事なのでしょう)。経験した人から聞いた話を後生にきちんと残して伝えていけたらと自分は考えています。
by somemono (2007-08-16 11:44) 

somemono

しまったっっっ!!Σ(゚Д゚;)

どうでしょう話に完全に乗り遅れてるっっ(汗)
by somemono (2007-08-16 11:47) 

猫たぬき

こんばんは、somemonoさん(^^)ノ たくさんnice!ありがとぉ~♪
こういうお堅い話にはあまりコメントもnice!もつかないんだけど、読んでもらえて嬉しいっすよ(^^;
教えてくれる世代がだんだん少なくなっている昨今、経験した人から話を聞けるのは貴重ですよね。自分自身に子供はいないけれど、何か伝え残せたら・・・とは、常に思っています。

どうでしょう話に乗り遅れないで~(笑) そういや、第9弾のどうでしょうは予約済みですかいっ?! ちなみに・・・ドラバラのフルコンプリートセットのロッピー予約が終わってしまったっ!! 北海道まで買いに行かないと手に入らないのかぁ~!! Σ(゚Д゚;)そんなぁ~!!
by 猫たぬき (2007-08-16 23:51) 

kumasu

こんにちは~♪
福島に行ってましたクマスです~(^v^)

ほんと、「戦争は悪いことだ」「戦争は悲惨だ」って絶対忘れてはいけないんですよね~。。戦争をしらない我々だからこそ、もっと知る必要があるんですよね~子供たちのことを考えると・・・。
エコだってほんと、そうですよ~!!

ちなみに・・・今日の千葉は地震がちょくちょくあります(^^;;
地球はほんとに大丈夫なのか!?心配。。。
by kumasu (2007-08-18 17:03) 

こんばんは、だい吉です^^
久しぶりにお邪魔です^^ ちょっと長文になったらごめんなさい^^;

今回のブログを読んで親父のことを思い出しました。
親父の口癖(口癖の多い人だ・笑)で「戦争があと1年延びてたら、お前ら生まれてなかったんや」てな事をよくいってました。
親父は戦前の昭和7年生まれ。終戦間際は13・4歳ってところでしょうか。真意はわかりませんが、親父は早く戦争に行って死にたかったそうです。別にお国や天皇のためでもなく、とにかく早く死にたかったそうです。
で、入隊する場所にはいくつかあって、有名なのは海軍の「予科練」だったのですが、これよりも一年早く入隊できる「少年飛行隊」(ごめんなさい、正式な名称を失念しました^^;)に入隊したかったそうなんです。
しかし、その年齢に達する前に終戦。親父いわく「なんとも言えない無力感」に襲われたそうです。その当時の親父の精神状態は判りませんが、子供ながらに生きることへ無意味みたいなものを感じていたのかも知れません。結婚し子供が生まれ晩年にこの話を親父がするとき「戦争が終わってくれて良かった」と言う風に僕には聞こえました。
戦争を語る時、やはりその当時を知る人から話を聞かないと観念論や精神論だけでは語れないものが一杯あるようなきがします。
ただ、そのセリフを言う時「どうだおまえら感謝しろ!」みたいな雰囲気があったのも事実です(さすが親父・笑)
と、猫たぬきさんの話から少し脱線してしもたかもです。すんません^^;;
では、那音を風呂に行ってまいります(≧o≦)ノ
by (2007-08-18 22:11) 

猫たぬき

おかえりなさぁ~い♪クマスさん(^^)ノ nice!ありがとぉ~♪
福島は楽しかった?
昔は全然エコロジーじゃなかったワタクシ(クーラーがんがんにつけてた)だから大きなコトは言えないのですが、最近はドライで我慢して、せっせとリサイクルに努めてゴミを極力減らしておりまする(^^; 小さなことからコツコツとぉ~!!(笑)
そういや、昨日は関東の地震速報が流れてたな。静岡はペルー沖地震関連で、夜中に津波注意報が出てたよ。海が近いからね。でも夜中に注意報出されてもどこに避難するんだろうなぁ・・・(--)
by 猫たぬき (2007-08-19 18:14) 

猫たぬき

こんちは、だい吉さん(^^)ノ nice!ありがとですぅ~♪
お父さんが昭和7年生まれとは、だい吉さんは結構晩年に生まれたお子さんなんですな。でも、そういった「何とも言えない無力感」というのは、戦後の焼け野原に立ったことのある人間から聞くことでしか受け継がれないものですよね。貴重な体験談をありがとうです。しかし「お前ら感謝しろ」という響きはさすが!!(笑) 笑わせどころを知ってらっしゃる、お父さん。え?違う?(笑)
このひとつ前の記事に、どうでしょうの聖地レポがありますよぉ。那音クンのお風呂のあとにでも、読んでくだされば嬉しいです(笑) 5周年記念の深夜バスだけの旅の聖地に行ってまいりましたから!!(^^;
by 猫たぬき (2007-08-19 18:22) 

なっちん

東京から帰ってきたなっちんです(^^;)
今回も、長くなってしまいそうです。。。すいません(先に謝る・汗)

ウチの両親はどちらも戦後の生まれです。母が終戦の年に生まれ、父は母より年下なので、戦争の話は祖父母から聞いてました。
ウチはけっこう大きな農家だったので、食糧難にならなかったみたいですが、都会から疎開してきた人が、着物やかんざしと食料を交換して欲しいとよく訪ねてきたそうです。
何よりリアルだったのは、そうやって交換したかんざしや、その人にとってとても大切だったであろう真珠の指輪が、祖父がもらった勲章とともにちゃんと桐の箱に入れてとってあったこと。
子供ながらに衝撃でしたね。何に衝撃を受けたのかは分からなかったけど、泣きたくなったのを覚えてます。

東京滞在中、偶然にも靖国神社へ行ってきました。(ちょっとタイミング良すぎて怖い・・・・)
戦争は、想像力の欠如とエゴから生まれるんだと思います。
「地球のために」なんて傲慢なことは言わない。もともと、地球に住まわせてもらっているのだから(^^;)
それなら、せめて「過去」を想像し、「お国のために」と若い命を散らしていった人たちを思い、そして「未来」を想像し、「子供たちのために」と「今」を大切にしたいと思います。
・・・・なんだかワケわかんなくなっちゃいましたが(汗)
自分の子供(次の世代)にどう伝えるか。
親(今の世代)は深く考えなければいけないですね。
by なっちん (2007-08-21 16:09) 

猫たぬき

おお、なっちんお帰り~ん(^^)ノ nice!ありがとぉ♪
東京へ行ってたのね。お帰り~♪
物々交換した、そのモノ自体が残ってるとかって、結構胸にくるよね。
物言わぬ生き証人だもの。そういった経験って、伝えていきたいよね。
わかる(--)ウン。
もともと地球に住まわせてもらってる・・・そう!! そうなの!! 私は無神論者なので、「神に生かされてる」とは思わないけど、「自然に生かされる」という意識はすごくある。だから私の想像する人類滅亡の危機っつーのは、人類の戦争ではなく、自然VS人間 なのではないか?と思ってる。異常気象、地震、台風・・・自然が人間のエゴに対して警告してるんじゃないか、とね。
by 猫たぬき (2007-08-22 21:42) 

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