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自分で自分を「自己分析」、ちょっと素敵になる方法。 [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
気持ちの良い秋空ですね。オープンカフェでお茶をいかがですか?

 人との会話からブログのネタが生まれる・・・私にはそんなことが多々あります。
 自分の書いたブログにコメントしてくれたひととの会話において、自分の真に言いかかったセリフを引き出される、とかね。「ああ、私はこれが一番言いたかったんだ」みたいな。ですので、コラムをお読みくださるついでに、コメント欄も合わせて読んでいただくと、よりおもしろいかと思います。
まぁ、たまに(いや頻繁に?)うちわにしかわからないバカ話あり、水曜どうでしょうファンしか解らないマニアな小ネタあり、関西特有ひとりボケツッコミありと、よくワカランというコメントも多々ありますが・・・。そこらへんはひとつ、広いお心で流してくださるとよろしいかと・・・え? そんなん付き合ってられへん? 失礼しました・・・。
 昔から「天邪鬼」の「ひねくれ者」で、「理屈好き」ですから♪ 会議よりも、お堅い討論会よりも、ブレイン・ストーミング(雑談のように頭に浮かんだことを自由に話しながら論じあい、アイディアを引き出していく討論方法)の方が好き。本当に大切なことは、机の上でより、普段の生活から人との会話から学ぶことの方が、世の中多いんじゃないかしら・・・?
 学校でも、先生が生徒に教える、といった教壇から見下ろすという授業ばかりじゃなく、こういった机をみんなくっつけて、先生と生徒、同じ輪の中で討論するような勉強法を取り入れたら、もう少しいじめも少なくなり、今より環境は良くなるんじゃないかな、と思うのですが・・・。昨今、意思疎通を量る、コミュニケーション能力が低下している。
 世界は自分だけで、人に興味を持たない。それでは人との対話、コミュニケーションが取れるわけがない。自分の感情だけがあって、他人に感情や痛みがあるということを忘れている。いや、知らないのかもしれない。そうでなければ、「失神ゲーム」などという馬鹿げた怖ろしい犯罪を、笑いながら出来るはずがない。
 本日のお題「主観的・客観的との距離感について」。・・・またちょっとお堅い内容になるかしら?

 このブログでは毎回のように「言葉が大切」ということを申しておりますが、それと同時に「見る」ことも大切だと思います。自分にしか関心がないということは、他人を見てないということなのです。
 人に興味を持つ・・・ということと、人に文句を言う、いちゃもんをつける、を混同しがちですが、全然違います。どちらかというと、人に文句をつけたがる人は、自分にしか関心のない部類に入ります。なぜなら、相手の意見、気持ちをお構いなしで自分の気持ちを押し付ける(文句を言う)からです。押し付けるのは、会話でも、コミュニケーションでもない。
 会話というものは、ひとりでは出来ません。自分と相手、ふたり以上いて成り立つものです。もちろん、のちに出てきますが、自分自身との対話も大切。しかし、それは割と高度な業でして、人との対話もろくに出来ないのに、自分自身と対話することは出来ないかと思います。
 昨今上手に会話の出来る人は多くない。意思疎通を量ろうとする努力を避け、ひとりよがりな押し付けを会話と勘違いしている節があります。
 夫が妻に(または、親が子に)用事を言いつけるのは「会話」ではなく「命令」です。
 街を歩いていると聞こえてくるカップルの会話でも、「私ね」「私が」「私って何々な人なの」という、「私」という単語を多く聞きます。「私は~」と一方的にしゃべるのは、会話とは言わない。「私」のことをしゃべったら、次に「あなたは?」と聞くはず。それが「会話」です。キャッチボールするからこそ、会話は楽しいのであって、一方的な特訓千本ノックが楽しいと言う人は多くないでしょう。

 同じ会話でも、電話での会話が一番やっかいです。たまに、ひとりでずーっとしゃべっている人がいます。しゃべる隙がないのだから、こちらは相槌を打つ程度で、手持ち無沙汰につけっ放しのテレビ画面など見ている。「私ね」「私は」「私って」という一方的な話を延々聞かされることほど退屈なことはない。すると、気のない相槌に気付いたのか「聞いてる?」と向こうから不満の声が聞こえてくる。
 私の友達ですから、みんな無類のしゃべり好きです。とくに関西人ですから、逢えばのどが嗄れるんじゃないかというくらいしゃべりまくります。しかしそれは「目と目」を合わせて会話をするから、相手がしゃべるときにはもちろん口をつぐんで聞きますし、絶妙のタイミングで相槌を打つことも可能ですが、電話になると途端に片一方がしゃべり続けるという構図になる。もちろん電話でも相手の気配を読んで、上手にしゃべるひともいます。そういう友達とは関係が長続きするようです。それが相性ってやつですかね。でもやはり電話は嫌いです。「会話」というものは、やはり向かい合ってするものだと思います。その方が思いが通じる。目を見ていると何が言いたいのか解る。
 新婚当時、電話料金が基本料のままだったのを見て「あんまり電話せんのやなぁ」と、殿が不思議そうに言ったことを覚えています。「女は長電話するもの」という刷り込みがあったみたいで・・・。私はパソコンや携帯でメールが普及する前は、手紙を送るという古風な「文通」で友達と会話していました。

 矛盾するかもしれませんが、手紙は「会話」だと思うのです。どちらか片方がしゃべる、という一方的なのは電話と変わらないのですが、手紙には「伝えたい」という意思が感じられる。「文字」だけの世界で、何とか相手に「解ってもらいたい」という思いが、そこにはある。
 先程の、夫が妻に「これやっとけ」とするのは会話ではなく命令だと書きましたが、文字を書いてやり取りをすると、「これ」だけでは通じないので、してほしいことを明確に、場合によってはこと細かく書かないといけません。そのひと手間が「会話」に通ずるのではないか、と。
 美辞麗句で飾る必要はない。「伝えたい何か」があれば、どんな拙い文章でも相手には届くはず。私はそう思っています。そう思って、ブログを書いている。
 逆に、言葉というのは、飾れば飾るほど、真実から遠ざかりうそ臭く響くような気がするのですね。まぁ、私のようにまったく飾らずに書くというのも、ナイフの切っ先を鞘に収めず出しっぱなしという感じで、人に不快感や誤解を与えることもあり危険と言えば危険なのですが・・・。やはり何事も折り合いが大事、ということですか(笑)

 人に何かを伝えるということは、「自分だけ」を見ていては出来ない、と私は思っています。人間とは、書いて字の如し「人の間」。世の中は人で溢れ、自分以外の人間と関わらずして生きていけるものではありません。
 しかし、世の中、人の感情も痛みもわからない人、とくに犯罪を犯すような人は、「自分だけで生きている」ような人が多いように思います。
 「ムシャクシャして火をつけた」という放火犯。
 「イライラしてて、誰でもいいと思って刺した」という、無差別殺人犯。
 「ゴルフの開始時間に間に合わないから」という理由で逃げる、ひき逃げ犯・・・。
 まるで、世の中は自分を中心に回っているのだと言わんばかりの行動・・・。なぜ、このようなことが出来るのか?
 ひとつに「自分を客観的に見る」ことが出来ない人が多いのではないか、と推測します。主観的な目しかない。自分だけに通用する世界。独りよがりな考え・・・。
 「客観的に見る」ということは、大多数の人が見てもっともだと認める意見、物事を見る目。それがないように思う。

 前にテレビで「ムシャクシャしたことがあったら皿を割ることにしている」と、あるタレントがしゃべっていたことがある。皿を割ると、スーッとイライラがひいていく、というのだ。もちろん皿を割る、という行為が良いと言っているわけではないが(皿を作る人の気持ちを考えたらね)、人ん家に火をつける行為より遥かにいい。何せ、自分家で自分が買った皿を割るのだから、少なくとも他人に迷惑はかからない。
 彼女は、自分を主観的にも客観的にも見られる人なんだと思う。主観的にだけ考えたら、自分のイライラをそのまま外へ出す、周りの人を不快にさせる行動をすることも出来ただろう。一緒に行動するマネージャーさんは、彼女のイライラを受け止め、逆にそのマネージャーさんがストレスを溜め込むことになる。客観的に考えられる彼女はそれをせずに、その場ではグッと堪え、家に帰ってから百均で大量に買った皿を一枚一枚ビニール袋に入れて台所の壁に向けて叩き割るそうだ。(ビニール袋に入れると、あとの掃除が楽だと気付いたというあたり、現代人っぽい) もちろん部屋は角部屋で台所の壁の隣には部屋はなく、隣人に迷惑がかからないというあたりにも、彼女の心配り、「客観的にモノを見る」目が感じられる。

 これをしたら、人に迷惑がかかるかどうか?とか、こういう行動は周りから見ると見苦しいか?とか、自分を、もうひとりの自分から見てみるような「客観視」が必要なのではないか、と思う。ことわざの「人の振り見て我が振り直せ」とも共通する。
 もちろん、何事にもやり過ぎは困りもので、よく「客観的」に見ることを重視するあまり、「主観的」に物事を見られないという人も出てくる。
 例えば、喫茶店でメニューを広げても、メニューに載っている文字など見もしない。一緒にいる人の顔色ばかり伺って、相手が「ナポリタンスパゲティとアイスティー」と頼むと、「私も同じ物を」というような人だ。注文が「ビーフカレーとコーラ」や、「ミックスサンドとコーヒー」になっても同じで、要するに「相手に合わせる」ことを常に考えている。
 人と同じにしていれば人間関係を上手くやれると思っているようなタイプの人に多い。確かにこういう人は、ケンカすることはあり得ないし、揉め事も起こさないし、人から悪口を言われることも少ない。しかし、度を越すと、自分自身の意見の言えない「主体性」のない人間になってしまう。最悪、ストレスばかりが溜まりに溜まって、心の病になることだってありうる。
 人間はやはり、少しワガママに生きていいものだと思う。
 「主観」だけでもダメ、「客観」だけでもダメ・・・。そのふたつをバランスよく持ってないとダメ。
 自分自身との対話が難しいというのは、このことです。人という媒体がなく、己と己で対話するというのは、ふたつの目(主観と客観)を持っていないと成立しないのです。
 例えば、日本に生まれて日本に住み、日本にしか興味のない人は、「海外へ行く」という発想はないでしょう。しかし懸賞で当たるなりして一度海外へ行ってみれば、自分は異邦人になるわけです。自分の主観では、いられない。郷に入っては郷に従えで、異国の文化や風習に溶け込まなくては食事ひとつ出来ません。たった一週間の旅行で、きっと疲れきって日本へ帰ってくることでしょう。いわゆるカルチャーショックというやつですね。
 日本では、海外から来た人が「外国人」ですが、パスポートを持って海外へ行けば自分が「外国人」になるという不思議。自分の主観だけでは到底超えられない異国の壁。
 常に自分との対話です。主観と客観の戦いです。
 「主観的」と「客観的」を適度な距離を保ちながらコントロールし、状況に応じて上手に操れるひと、になることが大事だということです。

 以前、テレビで(結構テレビ見とんな~)いつもニコニコと穏やかな役者について、「彼は私生活でも変わらず穏やかなんですよ」と、身近な友人は言う。インタビュアーが、その役者に「普段、怒ることとかないんですか?」と質問すると、その役者は「台本に「怒る」と書いてあれば怒るんですけどねぇ」と穏やかに笑って返したことがあった。
 台本がないと「怒れない」とは、さすが「役者の鑑!!」と思ったものだが、よくよく考えると、我が殿も干支が一周するほど一緒に暮らしているが、怒った顔を見たことがない。
 それで「(殿には)喜怒哀楽というものがないの?」と聞いてみたら、逆に「俺からしたら、(私の方が)、しょっちゅう頭から湯気出るほどカッカカッカする方が不思議」とおっしゃる。
 いやいやいや・・・人間生きてたら頭でお湯沸くほど怒ることもありますぜ、と私が反論したところ(確かに自分でも怒りすぎやろ?と思わないでもないが) 殿は少し考えて、「それはいろんなことに期待し過ぎやからとちゃうか?」と答えた。

 ・・・この殿の答えの意味がお解かりいただけるだろうか?
 私は「ひとのセリフ」から、いろんな答えを探すのが大好きなのだが、殿のセリフを分析し、考えた結果、導きだされたものがある。むろん、私の独断に過ぎないのであるが。
 人間は、期待していることに対して怒る性質である、ということ。
 政治家に対して我々が怒るのは、「あれだけ頭の良い(はずの)人間が集まってるんだから、もっとより良い政策を打ち出せて、この不景気や不安を解消できるはず!!」という、期待。
 教師の不祥事に対して怒るのは、「聖職者と呼ばれる職業に就いているのだから、子供を教え導き、より良い人間に育てられるはず!!」という、期待。
 他にもたくさんあるだろう。自分自身や、身の周りの人間に対して怒るのは「もっと出来るはず!!」という期待の現われなのかもしれない。(子供の成績不振を怒る親とかね)

 でもでもでも!! と私は殿に反論した。
 「人間は、自分の思い通りにならないときにも怒るのではないか?」と。
 虐待というものが、最たるものである。
 子供が自分の思い通りにならない、言うことを聞かないから、しつけと称して殴ったり、食事を与えなかったりする。それは「期待」とは違うだろう、と。
 すると殿はあっさりと「いや、それも期待のうち」と言った。
 殿の分析はこうだ。子供というのは、まだ生まれて年月が経ってない。自分の年齢(親の年)ほどに世間を知らないのだから、解ることというのが少ないことも当たり前。なのに、なぜ解らないの!! と怒るのは産まれたての赤ん坊に連立方程式を解けと言って解けないから怒るようなもの。それは「あり得ない過度の期待」に過ぎない、と。
 殿との会話から、殿の言う「期待」と、私の言う「客観視」は同義語のように思えてくる。
 子供を虐待する親にも、遥か昔、子供の時があったはずなのだ。その頃の自分を「客観的」に見ることが出来れば、今、子供を殴るその手は、過去の自分へ向けていることになる。
 自分は、いくつまでおねしょしていただろうか?
 自分は、どれほど「してはいけない」と言われたことを、幾度となく繰り返して親を困らせただろうか?
 そうやって考えれば、子供を叩くために振り上げた手は、自然と止まるのではないだろうか。
 まだ子供なのだから、おねしょしてもしょうがない。
 自分も昔やっていたことなのだから、何度も解るまで言って聞かせなくてはしょうがない。
 そうやって「しつけ」と「虐待」は区別されていく・・・。

 自分を「主観的」に見ることは誰にでも出来る。しかし、自分を「客観的」に見ることは少し難しい。そんなときは、「自分がすることは人にどう見られているのか?」を考えるといい。
 ミニスカートを履けば、人に見られるから足が細くなる・・・と女の子が思っているのは、ある意味正しい。それは「緊張感」のなせる業だ。それを他にも生かそう。歩き煙草をしている自分はみっともなく見えないか? 靴の踵をだらしなく踏んづけて引きずるように歩くのはカッコ悪くないか? 少し自分を客観的に見ることで、人は素敵になれる。人から注意されてやめるのが腹立つなら、自分で自分を注意すればいい。もうひとりの自分が、自分をより素敵に成長させてくれる。
 自分を客観視出来るようになると、自分を分析する力がついてくる。自分の得意なことは何か? 自分に足りないものは何か? 自分の得意なこと、苦手なことが分析出来れば、努力するべきところもおのずと解るし、努力のし甲斐もある。着実に階段を一段一段クリアしていく実感があるからだ。重ねて言えば、人生が少しおもしろくなる。人と同じように同じものを見ているだけでは、答えは一種類しか出ない。物事を少し斜め目線で見ると、違う形に見えてくる。・・・あまりやり過ぎると「変な人」と言われてしまうが、それも褒め言葉と受け取れるほど突き抜けて達観していれば、これほどおもしろい人生はない。

 自分の思い通りにならないとき、腹を立てる。しかし、「過度の期待」を持たなければ、人間は心静かに、穏やかに過ごせる。
 「過度の期待」を持たないことと、努力もせずに諦めることとは根本が違う。期待し過ぎないということは、「自分」という人間をきちんと見極め、分相応の努力をして、その分だけ着実に伸びていこうとする人のことである。階段を数段飛ばしで駆け上がり、踏み外して転げ落ちるのではなく、一段ずつしっかりと着実に昇っていく人のことである。自分を客観視して、冷静に分析できるということである。
 失敗したら、自分に腹を立ててイライラする前に、「あ、これは私にはまだ早かったんだな。もっと努力してから再挑戦しなければ」と思えば腹も立たないし、イライラしない。いわゆるポジティブシンキングってやつですかね。常に前向き、という姿勢。
 ・・・しかし「言うは易く行なうは難し」は世の常。
 千里の道も一歩から。
 殿のように、「精神滅却すれば火もまた涼し」という境地に(?)私はほど遠いが、とりあえず今日から、パソコンがなかなか繋がらないときにイライラして、せっかちにマウスをカチカチするところから、やめていこうと思う・・・。(←そんな程度かい?!)

 それではお茶にいたしましょう。今日は、爽やかな秋風の中、甘く香るキャラメルフレーバーの紅茶にミルクをたっぷり注いで、ロイヤルキャラメルミルクティーにいたしましょう。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-10-27 23:55  nice!(1)  コメント(11)  トラックバック(0) 

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みこ

おはようございます~今日はのんびり朝の時間を過ごしていたみこ姐です。
私は仕事柄常に自分を客観視するクセがあります。
そりゃそうよね。f^_^;
自己満足の演奏では人に伝わる演奏も出来ないわけだし・・・・
それと、過去を振り返って
自分が子供の頃はこうした:こう習った・こんな事きちんと教えて欲しかった・・・とか思い出し自分の過去を反面教師にして生徒と関わってるの。
まさに「自分で自分の自己分析」し続けてるのかもね。

ここまで書いてもまだ頭の回転がよろしくないようで、なかなか言葉が出てきません・・・・
↑きちんとコメント書けてる?
そうそう、メール届いたよ。
お返事書いて送ったから、自分の「のっぺらぼう」のところにあるプロフィールポチって押してみて。
そうしたら私のメッセージが見られるはずよん。
もう少し頭が働き始めたら覗きに来ます。
ねむい・・・・・
by みこ (2006-10-28 08:58) 

猫たぬき

うう・・・私もみこ姐のコメント待ちで眠い・・・(--)zzz
すまん、私も頭が回転しないので、寝ます・・・。コメント返しはのちほど・・・つか、こんな辛い思いしてお互いコメント入れ合ってるって・・・私たちってドM?(笑) プロフィールものちほど。とにかく眠い・・・(--)zzz
by 猫たぬき (2006-10-28 09:05) 

ドMは僕ですけど(爆)

達観出来る出来ないは別としても、他方向から捉えようとする意識は必要かと。
なんだか僕も寝起きなんで、自分でもイマイチ分らないコメですが(爆)

猫カフェ、着々と進んでますねぇ(羨望気味)
by (2006-10-28 14:07) 

みこ

こんばんは~今も眠いみこ姐です・・・・
今日は1日眠かったぞ。
でも仕事してきたぞ。
家事もしたぞ。
えらいぞ。 私。 (^^ゞ

確かにお互いこんな辛い思いをしてコメント入れあってるんだろうね(笑)
まるで恋人みたい・・・・・   私にはその気はないのでご安心を。
ところでメッセージ読めたかな?
by みこ (2006-10-28 22:52) 

あっはっは!すげ~!
あのやりとりから発展しましたね。なんか嬉しいです。
僕の記事のコメントからの続きですが、猫たぬきさんが書いてらっしゃるとおり、大多数から観てもっともだと思うこと。それは時代であったり、地域によっても大きな違いがありますよね。
何を善しとし、悪しとするかは周りに判断されてしまう。これが恐いことに思えてなりません。(主体性があって)自分が好きなことをしても、理解してくれる人間が傍にいなければ、優れた意見も善しとなりえない。理解者の存在というのが一番必要なのではないでしょうか。
記事の内容から外れてしまいました(笑)
僕の頭の中では、基となった話題が続いてまして~
by (2006-10-28 23:02) 

みこ

おそよう・・・・猫ぽん。
今朝は定時に起きられなかったみこ姐です。
猫ぽんも昨夜は活動してなかったみたいだね。
バテたか?
by みこ (2006-10-29 08:56) 

猫たぬき

ドM、カズぼんおはよう(--)ノ
夜勤って最初はやっぱり体内時計狂うよね。いくら真夜中チャットシスターズ会員とはいえ、ブログ徘徊と仕事は心構えが違うからね~(^^)
多方面から見る・・・つーのは大事よね。何事も。
猫カフェ、参加しないのかい? 楽しいよぉ~(^^) ←悪魔のささやき(笑)
by 猫たぬき (2006-10-29 10:04) 

猫たぬき

おはようみこ姐(^^)ノ 早起きでしょ? 普通?(笑)
違うんだよぉ(--) 昨日、コメント返し入れようとしたら、自分のブログに何度アクセスしても、サーバーにエラーが出ました。時間が経ってから・・・って出るの。だから夜入れられなかったの、ゴメンよ。
仕事も家事も・・・えらいわ、みこ姐(^^)
確かに恋人からの電話をじーっと待ってるって感じする・・・(--)
みこ姐にその気ないかもしれないけど、私にはあるかも・・・?(あるんかいっ?!)
日曜くらい、ゆっくり寝てもいいじゃん? 殿なんて死んだように寝てるぞ。おそらくお馬さんの時間まで起きてこまい・・・(--) ひとりでアタックチャーンスでも見るべ(--)b
メッセージ読めたよぉ(^^) やれば出来るの子なのよ、うん(^^)b
ふたつまとめてのコメント返しで失礼(^^ゞ
by 猫たぬき (2006-10-29 10:12) 

猫たぬき

おはようございますketaさん(^^) 何かねぇ、つらつら書いてくうちに何が何だかワカラン状態に・・・(笑) これは発展というのか、収拾がついてないと言おうか・・・(^^ゞ
時代と言うものによって、善悪が変わるというのはコワイことですね。戦争では人を殺せば殺すほど「英雄」なのに、平和な時代で人をひとり殺せば「犯罪」ですから(--) 物事の価値観というのが、一瞬にしてコロリと変わるのは、時代であり、大勢の人のモノの見方である、と。
大きく「世間」と言いますが、小さな「自分の宇宙」の中では、側に「自分を理解してくれる大切なひと」が何人かいれば、幸せなんですけどね(^^)
時代に名を残すことはなくても、大切なひとの記憶に残る人間でありたい、と・・・(^^) ←ちょっと詩人?(笑)
by 猫たぬき (2006-10-29 10:18) 

おざっす。
わざわざ出張先で「セーラームーン」の扮装をしたうえで、下半身を露出する輩もいますし。。。(哀)

なにが欠けているんでしょう、現代には。
自制心?

僕もお姉さんに抱きつきたいのを必死に抑えていますけども(あほ)
by (2006-10-30 07:53) 

猫たぬき

おはようカズぼん(^^)ノ 夜勤お疲れさん!!
セーラームーンで下半身露出・・・? おもろいというより、哀しいわな、確かに・・・(--)
自制心・・・でもあるよね。私はやっぱり「自分を知ること」だと思うよ。自分の出来ること出来ないこと、充足してること足りないこと、そういう自己分析が出来るひとと出来ないひととじゃ生きてる次元が違う気がする。
言葉に説得力があるというかね、キレイ事を並べるだけじゃ単なる偽善者だもの。物事の表裏を知ることも大事。まず自分の善の部分と悪の部分もさ。だいたい、そうやったって「自分も他人も知らない自分」が存在するんだから、人間すべてを把握することは無理なのさ(--)
・・・それは抑えないとお縄になっちゃうからじゃないかい?(哀)
by 猫たぬき (2006-10-30 09:46) 

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