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嫌がらせ対処法、お教えします。 [私の精神論]

 どうも、いらっしゃいまし。
お茶をご一緒しませんか?

 最近、友達からの相談メールが多くなってきている。前に仕事ネタで書いた男友達。彼はもう次の職を求め、就職活動に日夜明け暮れている。次は本当に自分のやりたい仕事を選んでもらいたいものです。
 さて、もう一人、女友達。こちらは人間関係で悩んでいる。多いときは週何度もメールが入る。もう誰の言葉も信じられない・・・とまで。う~ん、かなり深刻。
 彼女を悩ます職場の人はどういう人間か? 聞いてみると、思い当たることがあった。今日のお題「嫌がらせ対処法」である。

 彼女を悩ませるその職場の人は、派閥のリーダー格の女性らしい。彼女が最近配属された部署には、すでにいくつかの派閥があり、派閥同士の敵対関係などもあって、お互い相手派閥の悪口をしょっちゅう言っているのだとか。未だどこの派閥にも属してない彼女に、とっかえひっかえ派閥のリーダーに、ロッカー室で話しかけてこられて困ってると言う。私が「聞かなきゃいいんじゃない」と言うと、「なるべくそうしてるけど、そうも行かないことがある」のだとか。仕事上の付き合いとか関係とかそういうことを言ってるんだと思うけど。
 彼女は前にいた部署をとても気に入っていた。先輩、同僚もいい人たちばかりだった、と。それが、この突然の人事でいきなり今のような部署に来て、毎日が憂鬱だと言うのだ。
 まあねぇ・・・。でも、私は彼女に言いたい(すでに言ったけど)。会社の人事は学校のクラス替えとは違うのだから、文句を言っても始まらないと。会社は女同士の人間関係なんか知ったこっちゃない。そんなのは勝手に対応してくれと言うだろう。それにね、人間には絶対解り合えない人ってのはいるんだよ。世の中のすべての人と仲良くなれるわけじゃない。
 そのリーダー格みたいな人、知ってるよ。もしかしたら、その人本人なのかもしれない。私が、中学時代に嫌がらせされた、派閥のリーダーの彼女なのかも・・・。

 私が、「すべての人と解り合えるわけじゃない」と強く意識したのは、中学生のときだった。小学校の頃から薄々わかっていただろうけど、そこまではっきり感じるほどの感受性がなかったのかもしれない。
 男性には理解しがたいことだけど、女子というのは何かにつけてつるみたがるもの。トイレすら集団で行くという奇妙な連帯意識があった。私は、どうもその意識につき合いきれず「トイレぐらいひとりで行きます」的な態度だったので、クラスで派閥がいくつか出来る中、どれにも属さずひとりでいた。最小派閥の人とは趣味があったので、休み時間話したり、お弁当一緒に食べたりはしたけど。どうもね、昔から「女の子」としては、ちょっと違っていたように思います。屈折してたのか、妙にしらけていたのか・・・。

 ある朝、最大派閥のリーダーが私のところへやってきた。何だろうと思ったら、「今日から何々さんと口聞かんといてや」と早口でまくし立てた。低血圧で朝に弱い私には理解不能、「はあ?」以外の何物でもない。
 まず彼女の口調は「人と会話する」とか「提案する」というものではない。上役が部下に命令するような口調だったので、私は問いました。「何で?」と。すると、彼女はものすごい勢いで、その標的の何々さんの悪口を言い始めたのです。ほとんど聞いていませんでしたが・・・。なぜ聞いていなかったかというと、私が「何で?」と言った問いを、彼女は聞き違えていたからです。
 彼女は、私が「何々さんを無視しなければいけない理由」を聞いたと思ったのです。しかし私が聞いたのは、「なぜアンタに命令されなくてはいけないの?」だったのです。
 ここですでに、彼女と私は「解り合えない人同士」であることが伺えます。彼女は私のいう「何で?」に問いの意味をわからなかったのだから。私は私で彼女のいう「何々さん」を無視する意思がまるでなかったのだから。
 彼女は、自分の言うことを人が聞くのは当たり前だと思っている(リーダーだからか?)。
 私は、彼女に命令されるような筋合いはないと思っている(派閥に属していないし)。
 これでは、おそらくどこまで話しても平行線で、決して交わることはない。お互いがお互いを理解しようなどという考えがこれっぽっちもないのだから。

 そのときの私は別に、「無視するなんていけないわ、絶対やめよう!」と、青春ドラマさながら彼女に訴える熱血漢なわけでもなく、「何々さん」を意味なく庇うほど人間が出来ていたわけでもなく、単に「その何々さん」を無視する理由が思い当たらなかったというだけだ。なにせその「何々さん」は、クラスでも目立たないおとなしい人なのである。誰にもおそらく迷惑をかけていないように思う。なぜ、彼女が無視しようと言い出したか知らないけれど、「アナタが彼女を嫌いなのは勝手だけど、私を巻き込まないで」というのが本心だった。それよりもまず「私に命令するな」と思った。そういうニュアンスのことを言っただろうと思う。セリフまでは覚えていないけれど。私はアンタの部下でも家来でもない、みたいなことかな。私は「何々さん」を好きとまでは言わないが、嫌いではない。嫌いと思うようなことをされたこともない。無視する理由がどこにもないと。

 人は(女は?)、なぜに自分と違う感情を持った人間を毛嫌いするのでしょうか?

 こう書くと、すでにお分かりの方もいらっしゃるでしょうが、次の日から口を聞いてもらえなくなったのは私です。イジメって、いつの時代にもあったんですねぇ。まぁ、昔のイジメは今のイジメと違って暴力もなければ、金を要求されることもない。イジメというより、嫌がらせですな。「無視される」とか、「自分だけ情報を知らせてもらえない」とか、そんな程度のものでしたがね。
 昔はノートを破いた紙にメッセージを書いて特殊な折り方をした手紙を、授業中に先生に気付かれないように「ごめん誰々に回して」って友達にまわすのが流行ったんですね。それを私だけ飛ばしてまわすとかね。しかもわざとらしくね。

 人は(女は?)、イジメられている人間がヘコまないと腹が立つらしい。

 そりゃね、ちょっとは傷ついたと思う。当時の私は。でも誰かに気を使いながら集団に加わることの方がそれより苦痛だったので、「嫌がらせされてるな」という感覚はあったものの、我慢できた。他のクラスには小学校から続いてる友達がいたし、ひとりで本読んだりしてる方が気楽だったしね。思い出せないのがお弁当の時間のこと。あの時期、誰と食べてたのかなぁ。他のクラスに行って食べてたのかしら・・・? 
 その嫌がらせはしばらく続いた。私が他のクラス行って教室に帰ってきたら、今まで派閥グループが、しゃべっていたのを突然やめる。それで、私が席に着くまでずーっと私を目で追ってる。クスクス小声で笑いながら。いかにも「あなたの噂をしてたのよ」と言わんばかりの態度。あれって、女特有ですかね。陰湿だなぁと思う。文句あるならはっきり言えばいいのに。

 一度ね、言ったことあるんです。下校時間間際、クラブが終わって宿題のプリント忘れたことに気付いて教室に取りに戻ったとき。そしたら、まだそのグループが数人教室に残っていて、同じようにしゃべるのを突然やめてクスクス私を見て笑ってる。まだ授業が残ってる休み時間なら、クラス全体巻き込むことにもなるし我慢もするけど、放課後だし、何度も続いてさすがに私も頭にきてたから思わず怒鳴ってしまった。「言いたいことあったら、本人目の前におるんやから堂々と言うたらええんちゃうんか。むず痒いことせんとな!」と。そしたら、何て言ったと思う? 申し合わせたように能天気に高らかに笑って、「え~、私ら別に何も言うてへんやん。アンタのことなんかしゃべってへんし。嫌やわ、この子、被害妄想ちゃう?」と、いかにも小馬鹿にしたような返し。
 そのとき思ったね。あ~ダメだ。この子らには何言ってもムダだ。絶対、一生、理解でけへん・・・と。今では立派な井戸端会議のおばちゃんリーダーになってるんでしょうね。中学の頃からその片鱗があったのだから・・・。

 そんな嫌がらせが突然終結したのはある朝のこと。
 教室に入ると、前日かその日の朝にやったのかは知らないが、私の机の上で黒板消しをはたいたように、チョークの粉が机全体に飛んで白っぽくなっていた。その真ん中に食べ終わったみかんの皮がひとつ置かれていたのだ。
 誰がやったかなんてわかっている。
 低血圧な私は、午前中はたいていボーっとしているのだが、その朝は、驚くほど回転が速く、その対処法を頭の中から弾き出した。
 ここでまず、敵を知ることが戦略の第一歩である(何だか戦国時代めいてきたで、おい)。先日の彼女らの態度が思い浮かんだ。怒鳴っても「アンタの被害妄想ちゃう?」と高らかに笑い飛ばしたあの放課後・・・。そうだ、ここで怒るのは得策ではない。となると次は・・・。
 おそらく彼女らは、私がおとなしくみかんの皮をゴミ箱に捨て、机をポケットティッシュで拭くか、掃除用具入れから雑巾を取り出して拭くなりすると思ったのだろう。いかにも辛そうに。そうする私を見たかったに違いない。
 しかし、私は彼女たちにそんな楽しみを与えるつもりは毛頭ない。さて、ではどうしたか?
 いきなり、かばんの端でみかんの皮を弾き飛ばしたのだ。私の机は教卓の斜め前。当然、みかんの皮は教卓の脇に飛んだ。そして、そのまま何事もなかったかのように席についたのである。私は前を向いているので、彼女らの顔はわからない。しかし、どんな顔をしてるかなんて想像に難しくない。チャイムが鳴る。先生が教室に入ってきて、みんながそれぞれの席に戻った。
 先生はまず目に付いたみかんの皮を拾い上げる。
「誰や、教室でみかん食うたん。ちゃんと捨てなあかんやろが」と言って、教卓に近い席の二、三人に「お前か?」と聞いて回る。もちろんみんな「違う」と答える。私も当然聞かれた。「お前か?」。そのとき、後方の席に座っている彼女たちはどんな思いで聞いていたんだろう? 静かに私は答える。「違います」。
 先生は犯人探しを諦めたのか、
「お前ら、こういうのちゃんと捨てろよっ」と一喝して、みかんの皮を教卓脇のくずかごに捨てた。そのとき、先生は私の机に目を留めた。
「何やお前、机汚れとんなぁ」
 さて、私は何て答えたでしょう? 後ろを振り向いて「あいつらがやったんでやんす!」と言ったでしょうか・・・? それとも黙って耐えたのでしょうか・・・? それとも・・・?
 私は単に「さあ?」と言っただけ。そこで私が肩を震わせて泣く・・・とかすれば、先生も「これはイジメか?」と思ったんでしょうが、実に呆気なく私が普通の態度で「さあ?」と言ったので先生は、掃除の仕方が悪いと思ったんでしょうね。「掃除当番、ちゃんと掃除せぇよ。サボんな、お前ら」と生徒全員を怒鳴り、それでその件は終わった。
 一時間目が終わり、休み時間。私は他のクラスの友達のところへ行っていたのですが、その間に彼女たちは私の机をティッシュペーパーで申し訳程度に拭いたようでした。少しは心が痛んだのでしょうかね?
 そして、私に対しての嫌がらせもこの日を境に終わりました。
 無視する、というか、もともと話すこともあまりなかったのでその辺は相変わらずですが、こっちを見てクスクス笑うなどの陰湿なことはなくなりました。まぁ私はそれで十分ですしね。

 最近、私は「言葉は大事」「言葉は重要」だということを第一に書いてきたなぁ・・・と振り返って思います。確かに大事です。前言を翻すことはありません。でも、世の中には自分と絶対解り合えない人もいるのだというのも事実です。矛盾しているでしょうか? もし「言葉で一生懸命話せば、誰とでもどんな人とでも解り合えるわ」と思っていることこそ怖い。その純粋な心を平気で傷つける人間が世の中にはいるからです。
 もし、すべての人と「話し合い」で解決出来るのなら、世の中に戦争はない。話し合いで解決出来ないから(解り合えないから)、力で捻じ伏せてやる、とばかり戦争になるのです。男と女は微妙にすれ違うと前に書きましたが、男女間だけではなく、国の違い、人種の違い、宗教、日々の暮らし、風習・・・さまざまなものが違う人間は、悲しいかな、まったく同じ考え同じ気持ちになることはない。もちろん個人的に恋愛するとか友情が芽生えるとかはもちろんありますが、世界中の人々すべてが手を取り合って輪になることは理想論です。

 話が世界規模になってしまいましたが、学校という小さな集団でも同じこと。違う親、違う家庭環境、違う家族構成、違う教育方針、育てられ方、その中でさまざまな人格、性格が形成された人間が集まるのです。すべての人と解り合えるはずはないのです。
 私の中学時代というのは、あまりいい思い出がないのですが(そりゃこんな嫌がらせされてりゃね・・・)、勉強になったなぁとは思う。少なくとも、「世の中には絶対に解り合えない人がいる」ということと、「そういう人に対してどう対処していくか」がわかったのだから。
 私が一貫して「ワガママに生きたい」とか「ストレス溜めてまで人と付き合わなくていいじゃない」と言ってるのは、この中学時代で学んだからかもしれません。

 彼女たちが、なぜ私への嫌がらせをやめたか、わかりますか?
 私は、彼女たちに宣戦布告しないことで、勝利を勝ち取ったのです。向こうは、私に精神的な嫌がらせを続けることで、私をヘコませようとしたんですね。しかし何をしても私はヘコまない。そこで、ちょっと大胆に行動を起こした。しかしそこでも私は彼女たちに、怒るかわりに、泣いて「やめてよ」と言うかわりに、ひとりで耐えるかわりに、先生に「私イジメられてます!」と告白するかわりに、「いつでも私は私なんだ」ということを彼女たちに示したのです。
 怒ったって、前と同じように笑い飛ばされることは経験上わかっている。
 泣いて「やめてよ」ということは、相手に対し負けを認めること。白旗を揚げることですね。
 ひとりで耐えると、向こうはどんどん嫌がらせをエスカレートしてくるはず。弱いものは突付きたくなるみたいですからね、人間は。
 先生に「イジメられてます!」と言えば、表面上は解決するかもしれない。しかし、先生だって四六時中私に付いているわけにはいかない。また、水面下で同じように陰湿な嫌がらせを受けるだろう。
 「いつでも私は私なんだ」というのは、「あんたたちがどんな嫌がらせしても私は態度を変えないよ」ということ。泣きもしないし、怒りもしない(一度怒鳴ったけどね)。けれど、もし、これ以上嫌がらせを続けたら、例えば毎日机に黒板消しの粉が降りかかってたら、先生だって馬鹿じゃない。掃除の不備ではないと気付くだろう。私から「イジメられている」と告白するよりも、黒板消しの粉が、みかんの皮が雄弁に「イジメ」の実態を語るのだ。将棋盤の隅っこに押しやられ、敵の駒に囲まれた王将のように、身動きが出来ないのはそっちなのですよ、と、無言で彼女たちに抗議したのである。

 彼女たちの心理は、ロアルド・ダールの「南からきた男」という短編小説をご存知ですか? あれに少し似てるかもしれない。
 休暇で訪れたリゾート地で、男は、隣合わせた老人に煙草の火を貸してあげる。その金持ちの老人は退屈しのぎに男に「賭け」を持ちかける。そんな話だ。
 煙草の火を借りたお礼に、私のキャディラックを差し上げましょう、と。もちろんタダではあげられない。賭けをしませんか? そのライターの火が十回連続で点いたら、あのキャディラックはアナタのもの。しかし、一度でも点かなかったら、アナタの小指をもらいましょう、と言うのだ。
 男は一も二もなく承知する。自分のライターは今まで一度も点かなかったことはない。あのキャディラックは俺のものだ、と確信する。しかし、それはカウント5まで。カウント6からは、キャディラックが手に入ることより、自分の小指のなくなる恐怖の方が先に頭に浮かび、手が震えだすのだ。

 彼女たちは多人数。私はひとり。絶対に優勢だと信じていた。いつか私が、泣くか自分たちに屈するか、時間の問題だと高をくくっていた。しかし、私は一向に泣かない、屈しない。そこで、ちょっと方法を変えて黒板消し&みかんの皮攻撃に出たのだ。しかし、自分のかけた罠に自分がかかるようなもので、これ以上手出しすることは出来なくなった。カウント6からの男の心境だ。自分たちが悪者になってしまう・・・(いや、実際悪いことしてるんだけどねアナタ達は)。
 と、いうわけで嫌がらせはピタリとやむわけですな。心理戦だねぇ。
 だって、私は何も悪いことしていないのだから。彼女たちに謝ることなんて何もない。どうもね、私は自分が悪くないのに口先だけで「ごめんなさい」って言うの嫌なんですよ。相手に謝っても欲しくない。本心で思ってない「ごめんなさい」は、言葉が汚れるような気がする。心の中で舌を出してても「とりあえず謝っておけばいい」というのは、テレビの謝罪会見などで見ていて胸が悪くなる。目が、態度が、すべてが嘘くさい。言葉が死んでる。何も伝わってこない。

 中学時代のこの教訓は、私が社会人になっても役に立ったと思う。先輩社員にいびられてもヘコまないもの。一度経験すると、対処の仕方も覚えるしね。今でも絶対口先だけの「ごめんなさい」は言わないけど。
 メールの彼女は、異動前の部署は周りの人がいい人ばかりだったと言う。きっと「解り合える」人たちばかりだったんだと思う。だから急に「解り合えない人」に出くわして驚いているのだ。私は自分の経験を元に、対処法のアドバイスをしたり、「解り合えない人はどこにでもいるんだよ」って言ってるけど、どうもわかってもらえないみたい。やっぱりこういうのって、自分が経験しとかないと解らないものなのかな?

 みなさまにも、私独自の対処法をお教えしましょう。
 ひとつめは、敵(相手)をよく知ること。毎日、机並べて仕事しているのだから観察は出来ると思う。相手の性格を知っていれば、対処しやすくなります。
 ふたつめは、気にしないこと。占いも同じだと思うんですよ。「ふたご座のあなたは今日人間関係でトラブルがありそう・・・」とか言われちゃうと「今日は何かあるんだわ」って必要以上に気にするでしょ? だからトラブルが起きるんだと思う。気にすることが逆にトラブルを呼び込むというのかな。
 特に「占いは当たる」と信じている人は、「トラブルが起こらないと占いが当たったことにならない」という、逆説的で不思議な心理が働くのではないかと思うのです。思い当たる節ないですか? 気にしないでいたら、何事もなく一日が終わるかもしれないのに。私は占いは「いいことしか信じない主義」です(いわゆる楽天家というやつですね)。
 みっつめ。その人と決して同じ土俵にあがらないこと。「解り合えない人」と同じ位置でものを考えたり話したり出来ないんですよ。だから、こちらが一歩前へ行くか、時には一歩引くか。相手にしないか、一応立てておくか。私は基本的に「社交辞令」が嫌いなので使いませんが、相手が「解り合えない人」だと判断すると、これを使います。だって「解り合おう」と努力する時間も労力も情熱もムダだということが嫌というほどわかってるから。

 基本的にこのみっつでOKだと思います。もし「これみっつじゃ足りない!」という方がいらっしゃったらコメントください。そのときは、また考えます。とにかく一度お試しあれ。
 「嫌な人」に遭遇するということは、自分自身の試練であるということ。これもひとつの人生修行ですね。そう考えると、いつの間にかその「嫌な人」のことが、嫌いなのではなくかわいそうに思えてきます。誰にも「あなたは間違ってますよ」と言ってもらえないでその年まで生きてきた人なのだから。
 だって、本当の友達なら「あんた、それは間違ってるで」って諌めてくれるはずだもの。「本当」の友達だったらね。友達って、集団でトイレに行くことでも、ロッカー室で愚痴を言いまくる相手でも決してないのだから・・・。

 それではお茶にいたしましょうか。昨日からコーヒーメニューも導入いたしましたけど、今日はちょっと外して、ココアなど。ミルクで純ココアを溶いて小鍋で温める。七分立てのゆるい生クリームを少し落として、ハーシーチョコレートをひと垂らし、クリームココアの出来上がりです。週末の疲れを癒す甘い一杯です。アイスでもどうぞ。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-08-05 23:52  nice!(1)  コメント(8)  トラックバック(0) 
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ウチータ

お、一番乗りか。
私も不思議に思っていました。すぐに仲良くなるのが女性で、ちょっと時間がかかるのが男性。でもすぐにグループに別れちゃって派閥化していくんが女性。グループはできるけど、相容れないようにはならない男性。政治の世界を見ていて、派閥ができるのは男性かと思っていたけど、女性のほうが意外や意外に徒党を組むんですね、あれって何で?未だに解明できない私はまだまだ勉強が足りません。
by ウチータ (2006-08-06 10:16) 

猫たぬき

こんにちはウチータさん(^^)nice!&コメントありがとうございます!
そういえば、政治の世界では男が派閥組んでますね。でもあれでしょ? 男性の派閥って学歴とかで分かれるんでしょ? 女性はね、最初は話が合うとか趣味が合うとか同士で派閥が出来るんだけど、そのうち「仲間外れになりたくない」って意識の方が強くなっちゃって、心ならずとも派閥に居続けるというのがあるみたい。逆らう勇気がないとか、ひとりになりたくないとかね。
男の人って「人と違う意見でも堂々と言う」と思ってるんだけど、実際はどうなのかな? 女は人と意見を合わせたがる人が多いけど。レストランのオーダーでも誰かが先にメニュー決めたら「私も同じもの」って言うの(笑) 私を含めた友達数人で食事に行くと困りもの。主義主張が激しすぎる人ばかりだからオーダー決めるのに時間がかかるかかる(笑)で、みんな自分の好きなものをバラバラに注文するし。でもその方が居心地いいんですね。だって誰も無理してないもの。好きなことするっていうのは、人のことを考えないってことじゃない。相手のことを考えながら、自分の信念は曲げないという「男前」な女性(と思いたいのですがね)。「女」ってカテゴリーでひとくくりには出来ないけど、派閥にしても何にしても「類は友を呼ぶ」ですかね(^^)
by 猫たぬき (2006-08-06 15:25) 

kiyo

こんばんわ(^^)kiyoです。今日はかなり暑かったですねぇ~。
今更ながら思うのですが、小さい頃私いじめられてたのかも(爆)
小学校の頃、何故か同じ英語教室にいっていた男の子の標的になってしまい、同じクラスでもないのに、帰り道に後ろから石を投げられていました。よく好きな子はいじめたくなる・・・っていうけれど、あれは決してそうゆうものではありません。だって、尋常じゃないくらい思い切り投げつけられてましたから(笑)けれど、近所ではしっかりもので通っていた私が、泣きながら帰るのも・・・って思い、自宅前の最後の曲がり角で涙を拭いたことを思い出します。しかし、その終焉もいきなりきました。彼の転校で・・・・・。その時のよろこびったらありませんでしたよ。中学になると今度は仲間はずれも経験しました。1年生の時から中のよかった子と2年生も同じクラスになったのですが、その時にもう一人仲間に加わった子がいたんです。で、きっと私が何か地雷を踏んだのだと思うのですが、いきなりその二人から無視されるようになりました。でも3人でお弁当を食べたりはしていたのですが・・・・(これもおかしな話)。でも、どちらかが欠席すると、残った一人は私に話しかけてくるんです・・・・これもおかしな話なのですが・・・。その終焉は3年時のクラス替え・・・・その一人が別のクラスになると、残った彼女は私にとてもフレンドリーになりました。ん~いったいなんだったんだろう・・・って後々考えたものです。その二人に仲間はずれにあったことが大きく影響していると思うのですが、私も徒党を組むのが大っ嫌い!トイレも1人でいけますもん!子供の頃に受けた仕打ちは、案外大人になっても印象的に覚えているもんだと、今回再認識しました。
by kiyo (2006-08-06 20:29) 

みこ

私はどちらかというと一匹狼タイプかな?
クラスにあるいくつかのグループ、特にどこに所属するわけでもなく
かといって仲が悪いわけでもなく・・・・
私はどこのグループにいても何となく溶け込んでいると思ってました。(独りよがりかもしれないけど)
なので、未だに私を介して皆の消息を知る・・・という現象が起こってます。

そういえば小学6年の時、他のクラスのいじめに巻き込まれたことがあります。
何ででしょうね?(笑)
私ったらその子たちの前でなめられたらあかん!と思ってメンチ切りましたよ~
それからは一切無視。
相手にするとつけあがるのがいじめっ子の特徴。
その時に人を観察する能力がアップしたような気がします(;^_^A
by みこ (2006-08-06 22:30) 

猫たぬき

こんばんはkiyoさん(^^) う~ん、やっぱりkiyoさんにはそういう過去がありましたか。何となく通じ合うものがあったのが理解できました。私もね弟が体が弱かったもので、自分がしっかりしてなきゃ(長女だし)って意識が強かったのかも。人前で泣いちゃいけない、とか思ってたものね。未だに母親は「アンタはホンマにしっかりしてるから」とか言うもの。本当は全然しっかりしてないんだけどね~(爆笑) ただ単に気が強いだけだっつぅーのっ!! ホントはすごい泣き虫で甘えんぼさんなんですよ。って言っても今更信じてもらえないか?!(^^)
by 猫たぬき (2006-08-07 00:05) 

猫たぬき

こんばんはみこさん(^^) 私も一匹狼的でしたよ。どこにも属さない。敵に背中は見せねぇぜって感じ。ちょっと意味が違う?! いろいろ昔のこと思い出すとそれなりにストーリーありますよねぇ。小さい頃から、イジメにも負けずがんばって生きてきたんだなぁと思います。確かにね、そういう経験が、人間洞察力のアップに繋がりますよね。私もそうです(^^)v
by 猫たぬき (2006-08-07 00:09) 

by3u

こんにちは、by3uです(^^)
自分は基本的にはイジメの対象になったことがなかったのですが、今思い返すと、イジメの標的になっていた子と仲良くなることが多かった気がします。別に「助けてあげなきゃ!」みたいなおこがましい気持ちはなくて、単純にその子がイジメにあっていたのを知らないまま仲良くなる、というケースが多かったです。
(後から先生に「友達になってあげてありがとうね」と言われたり・・・。そのときはなんでそんなこと言われるのか分かりませんでした)
きっとイジメのターゲットにされてしまう人って、いじめる側の人が持っていない何かを持っているんです。私もその子たちのそういう部分に惹かれたのだと思います。いじめる側の人たちもそれが気になって、どうにかしたいけれど、自分の思い通りにならない。だから悔しくて、迫害することで征服した気になって精神の安定を得る。アプローチの仕方を間違っているんですよね。
ちなみに今の会社ではそういった人間関係の悩みはありません。ありがたいことです。猫たぬきさんのお友達の方の悩みも早く解決するといいですね。
by by3u (2006-08-07 10:23) 

猫たぬき

こんにちはby3uさん(^^)何となくわかります。文章読むとその人の本質って滲み出るんですよね。by3uさんは、人が「これやりたい」と思うことを呼吸するようにすっと出来るんでしょうね。この人と仲良くなりたい→仲良くする、みたいに。自分がしたいことをしているだけなのに、知らない間に人に愛を分け与えてるみたいな(^^)
私もイジメられたこともあれば、イジメられるような子とばかり仲良くなってた気がします。確かにイジメられる子って徒党を組まないし、組めない。どうも一匹狼的な性格の子が多い。私はそこが好きなんですけど、世間的には受け入れられないような人も多いですよ~。キャラが濃い(笑)私はこういう友達ばっかりだから~(笑)でも厳選してる分、大事な友達ばかりなんですけどね。相談の彼女には、このみっつの対処法を授けて、今は割りと落ち着いているようです。趣味を持てと言ったら、ホットヨガを始めたりして。精神力を高めるためかしら?(笑)
by 猫たぬき (2006-08-07 17:39) 

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