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「高視聴率」と「過剰演出」は、そんなに重要ですか? [ニュース関連に思うこと]

 どうも、いらっしゃいまし。
雨が止んだと思ったら、蒸し暑くなりましたねぇ。お茶でもいかがです?

 ふう。中田英寿選手の引退宣言から数日経ちますが、ものすごいことになってますなぁ。中田英寿選手本人は今、日本にいないんでしょ? それなのに早すぎるから復帰しろだの、かと思えば引退試合はどうだの、引退表明文を中学の道徳の教材にしたいだの、スポーツキャスターとしてどこの局が落とすだの、ガセネタか真実かは知りませんが、まあ~、本人不在なのに言いたい放題。昨日のテレビはさすがに、北朝鮮ニュースを中心にやってましたけどね・・・。
 本日お題は「報道に物申す」です。

 W杯サッカー、フランスがポルトガルに勝って決勝進出を決めましたね。決勝は、フランスvsイタリアですか。ところで、みなさんは当然、W杯サッカーがまだやってるってこと、知ってますよね? しかし、この世間のW杯の扱いは何でしょ? 日本が決勝トーナメントに行けないと決まった瞬間、テレビは以前の半分もW杯のことに触れない。スポーツニュースを見たって、決定的なゴールをちょろっと映して結果を言って、はい終わり。試合放送も、民放では一切やらない。もし日本が決勝に行って、今まで勝ち上がっていたとしたら、各局どんな汚い手を使ってでもウチで放送権取れ!! と殺気立っていたことでしょうに・・・。
 
 W杯は、国と国との威信を賭けた平和的な戦争だと言いました。確かに、負けたからといって、銅像を燃やしたり、国の恥だと声高に暴言を吐くことを良しとはしませんが、自分の国がいないW杯は「もう終わったも同然」という扱いはおかしいと思うのですが。
 一流のプレーを見て、やっぱり世界最高峰はすごいな、と思うことも大事だと思うし、サッカーファンは結果が知りたいのではなく試合を見たいのだとも思うのです。しかしどうも日本のテレビ局は、どこも視聴率主義で、日本が出てない試合を流したって数字取れないでしょ、とばかりに揃って一斉にそっぽを向く。

 これは実際にテレビ関係者が言っていたことだけれど、数字の取れる番組を作った人は廊下の真ん中を偉そうに歩けるけれど、数字がまったく取れない番組を作った人は、廊下の隅っこをコソコソ歩くのだそうだ。何というオソロシイ世界。そんなに視聴率って大事なの?
 私が好きだな~と思う番組が実はまったく視聴率の取れない番組だったり、その人が画面に出てるだけでテレビを消してしまうくらい嫌いな番組が長く続いていたりする。私が変わった趣味をしているから、とお思いでしょうが、そうでもない。友達と話したりブログをあちこち見てたりすると、私と同じようにその番組が好きだという人に出くわす。低視聴率だろうが、良い番組は、やっぱり良いのである。
 それにしても、どうしてどこかの局が作ったバラエティーが当たったら、どの局も類似したものをすぐ作るんですかね? 毎日どのチャンネル回しても同じことやってたら視聴者もすぐ飽きるってことわかるでしょうに。どんな好物でも毎日食卓に並んだら、ええ加減にせいっ!! ってちゃぶ台ひっくり返すでしょうが(星一徹かっ)。どうして、もうワンランク上のものとか、まったく違うものを作る、とかしないんだろう? そこが日本人ですかね、みんなと同じことしてたら安心、みたいな。

 私は夜遅くまで起きていることが多いので、深夜番組をよく見ている(というか、テレビをつけっ放しなので題名も知らずに見てたりする)。主にドキュメンタリーを見ているが、バラエティー番組も当然見ている。しかし、深夜番組はいわゆるテスト版のようなものらしく、視聴率を取れると局が判断したら、どんどんゴールデンに移行してしまう。出演者にとっては格が上がるらしく良いことなのだろうが、見ている側は興ざめする。なぜなら、深夜の低予算の中で番組を作るから、過剰な演出もなく、出演者の個性が際立って面白いのだ。ゴールデン番組になったとたん、予算がおりるからか、演出も舞台装置も過剰になり、出演者も深夜のような「自らが楽しんでいる感」が、なりを潜め、ただただ没個性になっていく。だから私はゴールデンに移行した深夜番組は見ない。
 私は今までさんざん「水曜どうでしょう」が好きと言っているが、それは、あの番組が「面白い番組」の原点だからかもしれない。過剰な演出もなく、出演者が楽しんでいるのが伝わってくる(企画の中には辛いものも多々あるようだけれど・・・)、どちらも自然体なのだ。テレビを見るのに、気合を入れて見る人はいないだろう(W杯の応援は別ですけどね)。こっちもリラックスして、画面の向こうも自らが楽しんでいる。こんな楽しい番組は他にない。

 名画も、名曲も、最初から人に認められていたわけじゃない。有名画家、ゴッホが生きている間に売れた絵はたった一枚だけだという。有名になったのは亡くなってからという音楽家もたくさんいる。今、視聴率を取れなければ価値はない、というテレビ業界のやり方は、どこか視聴者不在なのではないかと思うのだが、どうだろう? 質の良いワインのように若い頃は酸っぱいだけでも、時間をかけてじっくり旨みが出る番組だって、あるのではないだろうか。 
 私が師事していたライターの先生は、そういうことを常に真剣に考えていらっしゃる方だった。「時代に流されたり、受けるモノばかりを作っていちゃダメ。常に自分のスタイルを持ち、これが言いたいのだ、という信念に基づいた作品を作らなくちゃいけない」と。
 今、ドラマなりバラエティーなりの番組を作っている人は、信念を持って作っているのだろうか? 入社したての頃は、どんな番組を作りたくてテレビ局に入ったのだろう。最初から、数字にこだわる人ではなかっただろう。どんなに低視聴率になろうとも、自分の信念に基づいて企画を練り、上層部に掛け合う情熱は、年々失せてしまうのだろうか。会社の雰囲気が、純粋な信念を捻じ曲げてしまうのだろうか・・・。

 報道というものも、私たちが知りたいこと、教えて欲しいことを的確に提供してくれるものではないと思っている。ニュースも然り。凶悪犯罪を追って取材するのはいいが、どうも的外れなことばかりしている気がする。新しい事件が発生すれば、過去の事件はなおざりになっていき、そのうち全く報道されなくなる。事件の真相は何もわかっていないというにも関わらず。
 株価に衝撃を与えたライブドア事件の時もそうだった。堀江氏の人間性を表すために過去のインタビューの中から面白そうなところだけ抜粋して流す。言葉を単独で使って、彼はこういう人間なんですよと強調し、視聴者の脳裏に刷り込ませる。インタビューなどは、前後の会話で、その答えが引き出されるものであって、そこだけ抜粋するのは卑怯ではないかと思った。
 社会的な事件を扱うニュースはバラエティーではない。おもしろおかしくする必要などどこにもない。ありのままの真実を、常に公平に視聴者に伝えるべきだと思いますが、どうでしょう?

 今回の中田英寿選手の引退宣言もそうです。彼は、彼なりに悩み考え決断した。それを報道で煽ることはないと思うのです。
 特に気になったのが「引き際の美学」という表現。これは、取り方によっては、今も現役を続ける選手に対して、すごく失礼な言葉ではないでしょうか。
 私は、人の考えなど、その人にしかわからないものだし、人それぞれだと思う。なのでこの先は想像だけで、モノを言います。彼らがどう考えているかはわかりませんが・・・。
 サッカーも好きだけど他にも興味を惹かれるものがある中田英寿選手は、中途半端な対応をやめて、きっぱりと道を選んだ。
 サッカーが好きで好きで、サッカー以外にしたいことなんて考えられない、ゴン中山選手や、三浦カズ選手は、自分が納得するまで体力の限界までサッカーの道を選ぶでしょう。
 それは、共にすばらしいことであり、共にすごく苦しいことでもあると思うのです。
 例えば、中田英寿選手が、四年後、もう一度あのW杯のピッチに立ちたいと願ったとしても、それは叶わないことだからです。現役を退き練習をしていない体では、どんなに才能があっても技術があっても無理なのだから。
 中山選手や三浦選手は、サッカーを続ける以上、39歳という年齢に甘えることなく、一回りも若い選手と共に、あの広いグランドを走り続けなければならないのです。日々の練習、基礎体力作り、体調管理、それがどれほど大変で苦しいことか。
 中田選手を「引き際の美学」と呼びたいのなら、中山選手や三浦選手を「一途な美学」と呼んでほしい。ひとりひとりみんな、素晴らしい生き方をしている人たちなのだから。
 何よりも、人の人生の決断にテレビ越しの「過剰演出」はいらないと思うのですが・・・。

 どうも、テレビを作る側の人間と、見ている側の人間の意図がまったくズレているような気がします。これで本当に視聴率を取れる番組を作ることが出来るのかな~と思います。漫画の原作やベストセラー小説をドラマ化し、過去の高視聴率ドラマをリメイクする。旬の芸能人を据えてバラエティー番組を作る。それでどこまでテレビ離れしている人間を取り戻すことが出来るのか。(ちなみに昼ドラで、カトリーヌ・アルレーの「わらの女」を原案にしたドラマが始まりましたね。初回しか見ていないのですが。あれは原作が巧妙で面白いだけに、ドラマとしてどうなるか、果たしてアルレーの真意を伝えられるのか、ちょっと気になります)
 とにもかくにも、W杯のサッカー決勝だけは、ちゃんと報道してほしいと切に願います。

 それではお茶にいたしましょう。今日は、そうですね。蒸し暑いけれど、熱い紅茶を。アッサムにレモングラスのハーブティーでさっぱりと。
 それでは、またお逢いしましょう。


2006-07-06 19:50  nice!(4)  コメント(8)  トラックバック(0) 
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コメント 8

itotatu

まったくもって同感です。日本のマスコミはどうしてこう
加熱報道、過剰演出が多いんでしょう。はっきり言って
勝手なこと言っといてブームが去ったら歯牙にもかけない
その態度、無責任過ぎると思います。
中田選手の引退についてもああだこうだと
決め付けるような形で好き勝手報道するのはうんざりです。

ワールドカップもいよいよ大詰めですね。
準決勝のドイツ-イタリア戦、早起きして後半から見てました。
非常にすばらしい試合を生中継で見れて良かったと思います。
言葉では言い表せない凄みがありました。
決勝も見たいけど午前3時からでは・・・
3位決定戦なら4時からで日曜日が休みなので見れないことも
ないので応援していたポルトガルの最後の勇姿を
見るかもしれません。
by itotatu (2006-07-06 22:03) 

猫たぬき

itotatuさん、同感していただいて嬉しいです(^^)v
過剰演出ばかりで報道の本質を見失ってますよね。前に韓国のテレビ局がやったように、どんなに圧力がかかっても悪いことを暴くみたいなジャーナリスト魂はないくせに・・・。

ドイツvsイタリア見てたんですか?! 私は起きられませんでした・・・(泣)119分でゴールでしょ? イタリアの念ですかね。もしPKになったら負けるという意識があったのでしょうね(あれこそ地元の利が出ますからね)。itotatuさんはポルトガルを応援してましたね。やっぱフィーゴですか(私も好きです♪)。決勝はジダンかトッティか?! う~ん、どっちも負けて欲しくないんですけどねぇ・・・。
by 猫たぬき (2006-07-06 23:38) 

m_kikuchi

全く同感です。質のいいものが視聴率によってかき消されてしまう場合が有るんですね~。超一流の美技を見たい人もいるでしょうしね。日本全体が利益至上主義で動いていますからね。では、どうする?と問いかけられるとう~んとうなってしまいますね。私たち視聴者自身がもっと、文化意識を高めるしかないですかね?でも、選択幅は限られていますしね。
by m_kikuchi (2006-07-07 09:48) 

猫たぬき

こんにちはあすなろうさん(^^)資本主義社会である限り、利益至上主義もやむをえない話かもしれませんがね。視聴者が覗き趣味であること自体が問題あるのかも?!(ゴシップ好きな人が多いですしね)。まともにニュースを流しても見てくれないからおもしろおかしくする、という風習がまかり通る。でも今のようにテレビ離れが起きていることで、送り手側が気付くべきなんです。まともな視聴者は、そんなものを望んでいないということに。まあ送り手側ばかり責めるのもあれですね。文化にも美術にも世界事情にも関心がない視聴者にも問題アリですし、お互いが堕落してるんですね(笑) どっちかが先に成長しないと無理ですかなぁ・・・。もうテレビは捨てて、本や演劇、生のスポーツ観戦に走るとか?
あすなろうさんのブログにもコメント入れたのですが、読んでいただいてますか?
by 猫たぬき (2006-07-07 14:50) 

ウチータ

こんばんは、ウチータです。
この記事を読んで思い出しました。テレビ局の(かなり偉い)人から聞いたお話です。
「以前の深夜枠は、若手に、『低予算でなんでも好きなことやってみろ』と言って好きなように番組を作らせていた。その時の彼らのモチベーションと言ったらすごい。あの頃の深夜番組は勢いがあったなぁ。」 と。
by ウチータ (2006-07-07 21:01) 

猫たぬき

こんばんはウチータさん(^^)そうなんですよ! 低予算でも意気込み次第で面白いものが作れるのにね~。確かに私が学生のときの深夜番組ってもっともっとおもしろかったような気がするなぁ・・・。
by 猫たぬき (2006-07-08 00:01) 

m_kikuchi

勿論、読ませて頂いていますよ~♪
by m_kikuchi (2006-07-08 14:09) 

猫たぬき

こんばんはあすなろうさん(^^) 
良かった~♪ またおじゃましますね。
by 猫たぬき (2006-07-09 02:04) 

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