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本当の「人の痛み」がわかりますか? [愛の話]

 どうも、いらっしゃいまし。
さぁさ、今日は何のお茶を差し上げましょうか?

 ブログ消失事件から早一日。今日はひたすら眠い・・・。また消えるんじゃないかと内心ビクビクしております。しかし、いつもは一気に書き上げていたので下書きの機能を知らなかったのですが、下書きすることを覚えましたので(さっき覚えたよ。脳みそハムスター級か?)安心です。さあゆっくり書くことに専念いたしましょう。最近、人から恋愛相談を受けました。それについて考えてみたいと思います。今日のお題は「人の痛みについて」。

 痛み、というと何を想像しますか? 体の痛み? 心の痛み?
 女性は「痛い性」らしいですね。出産や月経痛も女性特有のもの。それに頭痛持ちも圧倒的に女性の方が多い。私も頭痛持ちのひとりです。天気の悪い日や、寝覚めが悪かったときなど、体調により症状はさまざまですが、月に二、三度、頭痛(もしくは片頭痛)がします。頭痛持ちの方にはわかっていただけるかと思いますが、頭痛って人にわかってもらいづらい病気だと思いませんか? 熱がある、というなら体温計が証明してくれる。お腹を下したなら症状でわかる。しかし、頭痛のように外側に症状のない病気は仮病と思われてしまうこともあります。
 例えば朝から頭が痛かったのだけれど、がんばって出社してみたとする。しかしだんだんと酷くなってくる。座ってるだけでガンガンし、吐き気までしてきた。上司に「頭痛がするので」と言って退社しようとすると、口には出さなくとも「ホントかね?」と疑いの目を向けられたり、「頭痛ぐらいで会社を早退するかねぇ」とあからさまに嫌味を言われたり、そんな経験ありませんか? どうも人間というのは「自分が同じ痛い思いをしたことがないと、真に人の痛みはわからない」生き物らしい。

 我が母は、その昔、私の頭痛に無頓着だった。いや頭痛だけではなく、すべてにおいて無頓着だったかもしれない。ケガをして帰ると「メンタム塗っとけば治る」と言われ、風邪引いたと言えば「熱い風呂入ってさっさと寝たら治る」とか、とにかく寝てれば人間の治癒能力で治る、みたいなひどい民間療法だったような。(よく生きてたな~私)ちなみに、メンタムというのはメンソレータムの略で、関西人は子供の頃ちょっとしたケガはすべてこれを塗っていれば治ると信じ込まされていた。小学校でクラスの子達に聞くと、ほとんどの子供が「オロナイン軟膏」とか「タイガーバーム」とか薬の種類の差はあれど、みんなどんなケガでも塗り薬を塗っておけば治ると信じ込んでいたところが、今から考えるとちと怖い・・・。(クラスの大半がメンタム派とオロナイン派に分かれていて、タイガーバーム派は少数だったように記憶している。私たちの子供の頃は、とにかくクラスの子全員に意見を聞くということが多く「目玉焼きにかけるのはソースか、しょうゆか?」とか「トマトには何をかけるか?」とか、今から考えると実にしょーもないことを真剣に話し合った世代だと思う。これが今の私の理屈っぽさの基になっているのかもしれない)。だから、幼少の頃から「頭が痛い」と訴えても「そんなん気の持ちようや」とか何とか言われ「寝とけば治る」と言うくらいで、ほとんど心配されるということはなかった。しかしこの間里帰りをしたとき、私は頭痛がしてしんどいので横になっていた。「どうしたん」と母が聞く。「頭が痛い」と答えると、母が飛んで来て「あんた、頭痛て、何で? 大丈夫か?」と妙に優しい。私は怪訝な顔で「なんやの、今までずっと寝とけば治るて言うてたやん」と言うと、実はな・・・と母が話し始めた。ちょっと前、酷い頭痛で病院へ行ったというのだ。幸い大変な病気ではなかったらしいが「死ぬかと思った」くらい痛かったので、「初めてアンタの気持ちがわかったわ」と言うのだ(遅いんじゃっ)。自分が痛い思いをして、初めてわかった例である。

 「頭痛」を知らない人は、「頭が痛い人」の痛み(気持ち)がわからない。このカギ括弧の中の部分を言い換えたら、どんな事柄にでも対応できるのではないでしょうか? 例えば「出産」を知らない人は、「陣痛」の痛みがわからない。「失恋」を知らない人は、「失恋した人」の痛みはわからない。「傷つくこと」を知らない人は「傷ついた人」の痛みを知らない・・・。

 「傷つく」とはどういうことだろう? ある彼女は、会社の先輩の知り合いと逢う段取りになった。別に見合いという堅苦しいものではなく、単なる飲み会のようなものだったらしい。そこで相手の人に気に入られ、頻繁に電話やメールが入ってくるようになった。食事でもいかがですか、と積極的に誘ってくるという。「どうすればいいと思う?」と相談されたが、どうすればいいも何も「まずあなたの気持ちはどうなの?」と聞いた。すると、「良い人だとは思う」との返事。「じゃあ食事行けば」と言うと「それは嫌」と言う。何じゃそりゃ? 彼は、別に付き合ってくれとか、結婚してくれって言ってるわけではないのに・・・。「何で?」と聞くと、「付き合う気になれない」と答えた。・・・このやり取りを聞いて、世の女性はどのように考えるのでしょうか?

 私は、彼女の考えをもったいないなぁ~と思う。彼女は、世の男女の関係をすべて「彼氏彼女」でしか考えられないらしい。私は、男女間の友情は成立すると考えているから、これは一種の出逢いである。友達から始めて、もしかしたら付き合うことになるかもしれないし、相手から嫌われることもありうる。しかし、始めなければ関係は何も生まれない。もちろん、自分の好みもあるから、明らかにタイプじゃない人なら話は別なのだが、彼女は彼を「良い人」だと言った。確か良い人というのは「どうでもいい人」という捉えかたもあるから、彼女の言葉を鵜呑みにすることは出来ないけれど・・・。「どうやって断ればいいと思う?」と彼女がさらに聞いてくる。ちょっと待て、と私は思った。断るって、食事をだろ? 付き合ってとも結婚してとも言われてないんでしょ? と突っ込みたかったが、彼女からしたら切羽詰った話なんだろうと思い直し、「どうやっても何も、ごめんなさいって素直に言えば」と答える。彼女は戸惑った感じで「でも、先輩の知り合いやし」「それが?」「断ったら角が立つと思う。それは困る」「・・・」堪忍袋の緒も切れる。だったら、どないせーっちゅーねん!
 「付き合う気になれない」「でも断ったら角が立つから断れない」まさに逆説。パラドックス。この相反する二つの事柄を、彼女はどのように成立させようというのか? 「どうしたらいい?」とさらに聞いてくる彼女に私は答える。「それは人に聞くようなことじゃないし、聞いても何の参考にもならないと思う。自分の気持ちやから。自分がしたいようにするのがいいと思うよ」と。

 私の言い方は、たぶん彼女にとっては「突き放された」と感じたかもしれない。でも、私は彼女ではないし、彼女も私ではないので、そうとしか答えられない。というか、彼女はまだ彼に告白されたわけではないのではあるまいか? なぜにそんなに結論を急ぐのか、私にはわからないのだけれど。
 結局彼女は、お断りしたらしい。(それ以後、そのことに関しての相談はなかったので自分で決めたのか、誰か他の人に相談したのかは定かでない)それからだいぶ経って、彼女に質問してみた。「何で友達からでも始めなかったの?」と。彼女はそのことを思い出して、「ああ、あれ。う~ん、ホントは断りたくもなかった。普通、何回か電話とかメールとかしても、こっちが忙しいとか言うてたら、あ、アカンねんなって気づいてわかってくれるかと思ってた。そしたら先輩に気まずい思いさせなくて済んだから・・・」と答えた。彼女は「自然消滅なら双方傷つくことはない」と考える人らしい。

 この考え方、わかりますか? これが彼女の優しさなんでしょう。「ごめんなさい」と直接断るより、自分の方から「あ、脈なしか」と気づいて去っていく方が傷つかない、と。双方、嫌な思いもせず円満に解決する方法だ、と・・・。でも、本当にそうだろうか? でもこういう考えは、何も彼女に限ったことではないらしい。
 昨今の若者は、別れ方もドライなようで。バイト先で知り合った女の子は、過去に「ポケベル」で別れたことがあるそうな(いや~懐かしい)。彼氏から全く連絡が来なくなり不信に思った彼女が、ポケベルで「別れたいの?」と打ったら「うん」と返事が来たという。「あっけない別れ話」のハシリだった。イマドキの子は、携帯メールで別れ話をするとか聞くし。直接言葉にして「別れよう」と言わないのだから、どっちも傷つかない。傷つけたとすら思わない。そんな付き合い。そんな別れ・・・。果たして、本当にこれでいいのか?

 世の中、自分が「痛い思い」をしてないから、相手が「痛みを抱えていること」に気づかない。そんな感じがするのです。頭痛を知らない人に、いくら「頭が痛いの」と訴えてもわからないように。
 相手に「ごめんなさい」と言うのは悪ですか? 私はそうは思わない。悪だと思うときは、「ごめんなさい」と言う方が何も感じていないときだけです。自分に好意を寄せてくれている人に対して拒絶するときは、自分も同じ痛い思いをするはずです。それには過去、自分が痛い思いをしたことがないとわからない。痛い思いをした経験があるから、同じように相手の気持ちを察知できるのです。
 彼女は女の私の目で見てもかわいい人だから、男からしたらもっと魅力的な人に映るだろう。おそらく今までそんなに痛い思いをしたことがないのかもしれない。もしかしたら、自分なら自然消滅の方が傷つかないと思うから、相手にもそうする方が良いと思っているのかも知れない。

 少し話はズレてしまうかもしれませんが、昨今子供への「虐待」が増えていますね。そして逮捕された親は必ずこう言います、「虐待じゃない、躾だ」と。
 「虐待」と「躾」の違いはどこにあるのか? 私は、そこに「愛」が存在するかどうか、だと思う。子供を叱るとき、叩くとき、親は同じ目線までしゃがんで、同じ痛みで叩かないといけない。叩かれる子供も痛いけれど、叩く親も同じように痛い。子供の頬が赤く染まって火がついたように泣き出すのと同じ分だけ、親は心が痛くなって泣き出したくなる。この「愛」があるから、子供にもそれがわかるからこそ「躾」となるのではないでしょうか? 親が、ただ単に自分のイライラをぶつけるだけで叩いたりしたら、子供は思います「何で?」と。叩かれた行為そのものに「愛」がないから。子供は何にもわかってないと思っているかもしれませんが、子供こそ、人の心を見透かす天才だと思います。人は子供の頃の記憶を明確に覚えているはずです。無意識にでも、表面上は忘れていたとしても。そして心の奥に残った疑問はずっと心に残ります。成長して、自分が親になったとしても。
 もし親の方に、自分でもわからないけれど子供を愛しているのはずなのに叩いてしまうなら、それは心の病気です。子供を救うのと同時に、親も救ってやらなければならないのです。「愛」のある叱り方をされたことがないから、自分では「躾」をしていると勘違いして「虐待」を繰り返しているだけなのです。「虐待」だとわかっていながら、「躾」と体裁を取り繕い弱者に対して「虐待」を繰り返す親とは根本が違うのです。前者は「愛されること」を知らないから、「愛すること」がわからないだけなのです。「愛されること」を知れば、痛みを知らない人よりどれほどいい親になれるか知れません。

 昨今、付き合いも別れも、何もかもが痛みのないものになってしまいがちな世の中だから、通常では考えられないような恐ろしい犯罪、理解しがたい犯罪が増えているように思います。「痛み」は悪いことばかりではありません。「痛み」がわかると、人に優しくなれます(事実我が母も、こっちがビックリするくらい優しくなったのですから)。もし「痛み」がわからないとしても、「痛み」を想像してみてください。殿は、私の痛みを想像してくれたひとりです。私が痛い痛いと苦しんでいるとき、枕元でこう言ったことがあります。「痛いのを半分に分けられたらいいのにな」と。ドラマのセリフではないですが「お前のためなら死ねる」でも「痛みをかわってやりたい」でもなく、「半分こ」というところに私は、真実味があるなぁ・・・と一瞬、痛みを忘れてそう思いました。

 人は痛い思いをする分、心豊かに優しくなれると思っています。周りの友達を見ても、手酷い失恋や痛い思いをしている人がたくさんいます。みんなとても優しい人たちです。子供を産んだ友達は、やっぱり「陣痛」という痛みをくぐり抜けた分、人間が大きくなったなあと感じますしね。
 「痛み」を知っている人は、「痛みを知らない人」にも優しくなれるのです。
 昔、仕事の上司にも、バイト先の師匠にも、いっぱい怒られました。でも全て「愛」のあるものでした。その時はただ悔しくて「ちくしょう、私ばっかり目の仇にしやがって」と思ったこともありましたが、今になって思うと、他人を叱るっていうのは叱る方に愛がないと無理だよな、と思います。誰だって人に嫌なことは言いたくない。嫌な人だと思われたくない。それでも「こいつのためだ」と思うから嫌な役どころも買って出てくれるのです。おそらく上司も、師匠も、たくさんの「痛み」を知っているのでしょう。だから優しくなれる。そんないい人たちに巡りあえた自分を幸せだなと思います。
 こう書いてみると、果たして私は今まで本当に痛い思いをしてきただろうか? と思います。もっともっと痛い思いをしている人はたくさんいるはず。そんな人はきっともっともっと人に優しいはず。自分は、本当に人に優しくなれているのだろうか、と。小泉内閣のおためごかし的な「痛みを伴う改革」ではなく、上司のような、師匠のような「本当の痛みのわかる人間」になりたいというのが、今の私の課題です。

 さてお茶をいただきましょう。今日はそうですね。アッサムを、たっぷりのミルクで濃厚なミルクティーでいただきましょう。ジメジメした梅雨時期で食欲のない方もいらっしゃるのではないでしょうか。この濃厚ミルクティーとバナナで、栄養を摂りましょう。
 それでは、またお逢いしましょう。


2006-06-22 00:31  nice!(2)  コメント(8)  トラックバック(0) 
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コメント 8

kiyo

こんばんわ(^^)今日も興味深く読ませていただきました。
我が母には、「風邪をひいた」といえば、「気合が足りない」。
「頭痛がする」とえいば、「寝すぎだ」。
20年前、まだメジャーでない「花粉症」を発症したときは、「たるんでるからだ」
と、スパルタな教育をされました(笑)
そして万能薬といえば、「ケロリン」←知ってるかしら?
傷薬には「赤チン」←歳がばれる?<笑。
高校の時に、風邪で部活を休んで病院に行く友達がいて、
その時初めて、「風邪って病院に行くんだぁ~~」と驚いたほどです。
子供の頃って、両親の言うことが世界のルールだと思ってるじゃない?
高校生くらいになって、あぁ~うちってちょっと変わってる・・・って(爆)
慣れ親しんだ「しょうゆ焼きそば」は今でもお気に入りです♪
by kiyo (2006-06-22 21:15) 

COLE

こんばんわ また来ました すっかりはまりました 今日も面白い視点ですね

「人は痛い思いをする分、心豊かに優しくなれると思っています」 これは同感します。では、痛みのわからない人に、こちらからのメッセージをどうしても伝えたいというときには、と考えるとどうなりますかね。「自分が痛い思いをしてないから、相手が痛みを抱えていることに気づかない。」 この逆の場合です。
「相手が痛い思いをしてないから、自分が痛みを抱えていることに気づかない。」ときに、相手に気付いてもらうためには、ということです。

答えは半分書いてあるような気もしますが、気が向いたらいずれコラムにしてみてください。 また次回も楽しみにしています。
by COLE (2006-06-23 00:04) 

猫たぬき

こんにちはkiyoさん(^^)20年前から花粉症? すごい流行先取りしすぎですっ。赤チンありましたね~(もしかして同世代?)黄色のヨードチンキもあったの知ってます? ケロリンはパッケージ覚えてます~。うちは「バファリン」飲んだら何でも治ると信じている家庭でした・・・。しょうゆ焼きそば? 焼きうどんならしょうゆ味でしたが・・・。今度作ってみよう♪
by 猫たぬき (2006-06-23 18:22) 

猫たぬき

こんにちはCOLEさん(^^)う~ん難しいですね。私自身昔の上司や師匠に感謝したのも時間が経ってからですから「今その瞬間、人にわからせる」のは難しいかもしれません。それにこれは冷たい言い方と思われるかもしれませんが「人の痛みなんかわからなくても別に困らない」と思っている人はそれでいいのではないか? とも思うんですよ。若いときの苦労は買ってでもしろ、と昔の方は言いますが、苦労を苦労だと思う度合いも人によって違うのだし。私は人に触れることによって、本や人の話から貴重な経験を頂いたり考えさせられたりもしました。でも、同じことをしても何も感じない人もいるのです。「ピアノ」の存在を知らない人の前で、ピアノを弾いてみせるパントマイムをして見せても何も伝わらないように。自分が転んでみて痛さに気づく、というのも人間必要じゃないかな~と思いますから。しかしこれから考えていつかブログに出来たらと思います。私もまだまだ修行が必要ですね。一方通行じゃこういう考えにはなれない。貴重なご意見、いつもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします(^^)
by 猫たぬき (2006-06-23 18:36) 

m_kikuchi

はじめまして!お邪魔しています。
相手の痛みを知っているから、優しくなれるのは真実ですね。我が子でも、苦労してないな~!と嘆きたくなるときが有ります。他人ならほっておけますが肉親はそうはそうはいかないですね。
by m_kikuchi (2006-06-28 10:11) 

猫たぬき

はじめましてあすなろうさん(^^)そうなんですよ。いっぱい苦労したり傷ついたりしている人の方が優しい人になれる。でも昨今、平和で豊かで苦労することが少ない時代だから、それを教える立場の親御さんはもっと大変なんですね。難しい問題だっ!
by 猫たぬき (2006-07-03 10:34) 

kanpanerura

メンタ厶、タイガーバームは日本が豊かになってから。
まず汚いけど唾、次が赤チンが相場。
人の痛みはわからない。
でも、怪我をするとみんなが集まってきて慰め、励ましてくれた。
涙が出てくるのはそういう時。
痛いの痛いの翔んでケー
それをやってくれた母親は好きだ。
by kanpanerura (2006-07-18 22:10) 

猫たぬき

初めましてkanpaneruraさん(^^)そうですね。まずは人の言葉。
痛いのいたいのとんでけ、で、治ったような気がしましたものね。それが一番の薬かもしれません。
ニックネームは、銀河鉄道の夜からですか? 素敵ですね。
by 猫たぬき (2006-07-18 23:06) 

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