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日本の「城」には情緒がいっぱい。 [城の話]

 どうも、いらっしゃいまし。
お茶を一服いかがでしょうか?

 はぁ~。昨日のブログは小説でしたので、しんどかった。どうも私の日常が「水曜どうでしょう」並みに「ゆるい」もので、いきなり法螺貝鳴り響く戦国時代に自分をワープさせることが難しい。もちろんテレビなんて見ない。音のない中でじーっとパソコンの画面と頭の中の戦国ワールドだけで6時間ほど過ごしてたら、頭がカンカンしてくる・・・。というわけで、今日はぬるいお題で。とはいえ、せっかく歴史的頭構造になったので、織田信長関連にちなんで新シリーズ(いつシリーズ化したのだ?)日本の城ご紹介。今日のお題「岐阜城」でございます。

 前に書いていた「今日もひとりでのんきにお茶を」のブログ、織田信長は、歴代一番イイ男。に少しかぶるところがあるでしょうが、まあご愛嬌。
 私は、関西に住んでいるときは大阪城。それからも転々と引越しするところ、なぜかいつも近くに城ありき。その結果、城フリークになりました。旅先に城があれば必ず見る、と。
 岐阜城も、一人旅をしていたときにふらりと訪れた城でした。信長大好きな人間としては、初回はもちろん「岐阜城」で決まりでしょう。では、ここらへんでちょっと、岐阜城情報なんぞを。

 標高329メートル(たぶん合ってると思う)の金華山の頂上にあった稲葉山城を、油売りから土岐氏の重臣まで成り上がった斉藤道三が、主君である土岐氏を追放し、稲葉山城を改築して、井ノ口城と名を変えます。その斉藤道三は、息子義龍と争い、長良川の戦いに破れ亡くなります。
 その後、道三の娘濃姫の婿である織田信長が、道三の死後、約十年の時を経て井ノ口城を攻略して「美濃」を「岐阜」に改名し、「井ノ口城」を「岐阜城」と改めます。
 岐阜城というのは、信長の時代から呼ばれる名前なんですね。
 井ノ口城を攻略し、最初に天守閣に登ったときの信長は、何を考えていたのでしょう。「譲り状」を書いた道三は息子に討たれ亡くなっていたし、正室である濃姫もおそらく亡くなっていただろうと思われます。二人の故郷を初めて見たとき、信長は、何を考え何を決意したのでしょう・・・? 実際信長は、この城を足がかりに快進撃を続け、本能寺の変で亡くなるまで、ひたすら天下統一の道を駆け抜けていったのです。

 岐阜城には、信長の絵があります。その絵はまるで生きているような絵です。売ってくれるなら、借金してでも買いたいと思いましたよ、信長大好きなワタクシとしましては。
 未来を見据えているような透き通った目は、さすが「織田信長」と思わせる、崇高な絵です。振り返ったら、そこに信長本人が立っているのではないか、と思うくらい生きている絵です。もし岐阜城へお越しの際はぜひご覧ください(岐阜城の回し者ではございませんが・・・)。

 織田信長は、前にテレビの「歴史上一番好きな人物ベスト100」で見事一位だったのですが、信長に関しては、好き派も多いですが、大嫌い派も多いようですね。あの残虐性がどうも許せないとか。独裁者というレッテルも貼られているしね。でも時代を引っ張る人物というのは、どこかそういう破壊的なものをはらんでいるのではないかと思います。小泉政権のぬるい自分本位の「痛みを伴う改革」ではなく、改革というのはそういうものではないかな、と。時代がそうさせた、とも言えるし、信長がいたからこそ、戦国の世を終わらせることが出来たのではないかとも思うし。
 秀吉や家康は、信長の基盤があったがためにあれだけのことが出来たって思ってしまうのは、やっぱり信長贔屓ですか?

 秀吉好きって方も多いですかね。ロマンですか、そこは。農民から成り上がるという。
 信玄好きも多いです。如何せん彼は、生まれつき運がないような気がしますね。京から遠い甲斐に生まれるし、謙信とずっと争ってるし。やっと京へ進出しようとしたら途中で死んじゃうし・・・。
 もし信長と同じ時代に、同じくらいの位置の国に生まれていれば、歴史は変わったのかな。信長が唯一恐れた武将であることだし。うちの殿は私と同じく信長好きですが、武将としての資質から言えば信玄の方が上じゃないか、と申しております。そうなのかな? まぁもとより歴史に「たら」「れば」は禁物ですが。
 もし信長に興味をお持ちになった方は、このブログの中で小説「夢幻」を書いてますので、そちらもどうぞご覧くださいまし。信長と濃姫の淡い恋物語でございます。合戦が好き、って方には向かないですね。あくまでも恋愛小説ですので。

 これからも風の向くまま気の向くまま、ちょこちょこと日本各国の城をご紹介していきます。私が訪れて印象に残った城ってことになりますけれど。城自体も好きですけど、城を持つ周辺の町も好きなんですね。城下町。響きがいい。城の情緒を守るために近代的な建物はなるべく周辺に建たないし。

 岐阜城へお越しの方へ。
 岐阜城は、JR岐阜駅もしくは名鉄新岐阜駅からバスが出ています。岐阜公園で降りてロープーウエーで登ります。歩いて登るコースもあります。ただしハイキングというより登山に近いです。足腰に自信のある方、鍛えたい方はこちらでどうぞ。当時の私は、この歩いて登るコースでした。若かったのね・・・。今なら絶対ロープーウエーだわっ。

 それではお茶にいたしましょう。今日は歴史話をしたので、日本茶を。お供にずんだ団子を添えて。好きですね~。すんだ団子。枝豆にビールも(おおっと)。
 それではまた、お逢いしましょう。


2006-07-20 18:53  nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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コメント 4

itotatu

こんばんは。城シリーズですか。かくいう私も城めぐりは好きで
これまでに20以上はいってるかなと思います。
一応天主が国宝、もしくは重要文化財になっている城が
12あるんですが、それらは全部行きました。
ただし岐阜城は行ってません。ので詳しいコメントはできません。
でも一度岐阜城行ってみたいなぁ。

信玄は城を造らなかったんですよね。なんでも「人は城、人は
石垣、人は堀・・」という考えで家来・人民を最大限に信頼して
いたからだとか。城を造らない代わりに治水事業に
力を入れていたようですね。
城はもともと攻め落とされないためのものなので
地形が厳しいのは当然なんですが、やはり訪れるのには
体力いりますね。これまでで一番大変だったのは
備中松山城でした。さすが日本三大山城、途中までは
車で行けますが、最後はちょっとした登山でした。
その分着いた時の感動はひとしおでしたが。
では続編を楽しみにしています。
by itotatu (2006-07-21 00:11) 

猫たぬき

こんばんはitotatuさん(^^) お帰りなさいませ♪旅行はいかがでした?
20も行ってるんですか?! やばい・・・、負けてるかも(笑)
さすが武田信玄フリークですね! 武田信玄に出てくる諏訪姫ご存知ですか?(史実により名前はいろいろありますが)勝頼を産んだ姫です。自分の父が自刃に追い込まれ、信玄の側室にと望まれたとき、敵にこの身を差し出すくらいなら自ら命を絶つ!と言い放った気丈な女性。私は戦国時代の気の強い女性って好きなんですよね。あの時代で、女が自我を持つってすごいことでしょ? でもまぁこの諏訪姫は結局、勘助に言い含められて側室になるんですけどね。
夢幻の続編を書きましたが、読んでいただけたでしょうか? また感想など聞かせてくださいね(^^)v
by 猫たぬき (2006-07-21 01:43) 

m_kikuchi

信長時代のことをよくご存じですね!
by m_kikuchi (2006-07-21 21:00) 

猫たぬき

こんばんはあすなろうさん(^^) nice!とコメントいつもありがとうございます。
勉強はあまり好きではないのですが、自分が好きなところだけは深く追求するたちでございますので・・・。
これからもちょこちょこ城を書いていくと思いますが、今後ともよろしゅうお願いいたします☆
by 猫たぬき (2006-07-21 22:13) 

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