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「フランク・マーティン」という男。 [映画の話]

 こんばんは。
 久々に、長~い長~いコラムを書いてみたいと思います。
 これまた久々に、映画のお話。

 しかし今回は、『映画「トランスポーター」を観たことのある』方、ジェイソン・ステイサムファンの方、あるいは「水曜どうでしょう」ファンの方、もしくは活字中毒以外の方は、内容と私のハイテンションについてこられないかもしれません(笑)


 どんなに悩みがあっても朝は来る。
 何もしなければ、何も変わらない。
 気持ちは暗く沈んでいても、せめて何か新しいことにトライしてみようと、私が、去年から新しく始めたことは二つ。

 ひとつは、着付け教室。
 日本人たる者、民族衣装である着物くらい自分で着られるべきである、というのが始めた理由のひとつだが、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんて、着物姿は他人様を外から眺めているには優雅だけど、自分で着付けるのは至難の業。帯を結ぶためには、身体を柔軟にするストレッチが必要だと知ったのは私だけだろうか…?
 着物や着付け教室に関してのお話はまたいずれの機会に。

 もうひとつ始めたこと。それは映画鑑賞。
 …と言っても、映画館に足を運ぶわけではなく、過去の映画をDVDで観る、というもの。毎日一本必ず…は無理だけど、年間に100本が目標。去年は目標達成。結局、130作くらい映画を観た。モノ書きという割に、私は今まであまりにも映画を観ていない。シナリオ学校へ行ってるときは、授業の資料に出てくる昔の映画を観ていたけど、数は全然足りない。
 私は、本屋が好きだが、本屋に入ると、ものすごく寂しい気持ちになるときがある。
 この膨大な量の本を、一生のうちどれだけ読めるんだろう?と思うとき。今回、映画鑑賞をしようと思いついて、レンタルショップやDVDショップを覗いていると同じことを思う。
 一生のうち、果たしてどれだけの映画を観ることが出来るんだろう…?
 だけど。
 去年、書きかけでファイルを閉じてしまったシナリオを、再び書き始めるためにも、刺激を受けるためにも、映画は最適かもしれない。
 千里の道も一歩から、と言うじゃないか。とりあえず、観られるだけ観てみよう!
 好みの映画は?と聞かれれば、ベタな人間ドラマと答えるけれど、好みで選ぶ偏ってしまうから、邦画、洋画、年代、ジャンル問わず、とりあえず何でも観てみることにした。(と、言いつつ、夜中トイレに行けなくなると困るのでホラーだけは除外とする…)
 選ぶ基準はタイトル。本を選ぶときと同じ。惹きつけられるタイトル、中身が気になるようなタイトル、もしくは、逆にタイトルだけは中身が全然思いつかないようなもの、まぁ、つまるところ、誰もが知ってる話題作じゃないものを中心に、内容は何でも、とりあえず観ることにする。(いつまで経っても、こういうところはあまのじゃく…)
 評価は5段階。2時間の間にひとつでも心に響くセリフがあれば、3をつける。これが基準。感動したもの、もう一度観たいと思ったものは、それ以上。何も感じなければそれ以下とする。
 ジャンルを問わず観ていると、気付くことはたくさんある。
 やっぱりミュージカル映画は苦手だ、とか。流行語になった映画の中の主人公のセリフ、「あの映画を撮った監督(もしくは脚本家)は、この映画に傾倒してるのかな」とか、そういうディテールに気付いたり。世の中には、いろんな映画が数多く存在するが、その中で、ものすごく感動したり、涙したりするのは100本観ても、10本あるかないか。つまり1割未満くらいの確率だということも。
 それを実感して当たり前のことに気がついた。
 人生いろいろ。感性もいろいろ。私があくびをしながら2時間やり過ごした映画に感動する人もいれば、目玉が融けるんじゃないか?と思うほど泣いてしまう映画を、つまらないと一蹴する人もいるだろう。
 世の中に、すべての人を感動させる映画はないのだ。
 すべては、好みで決まる。
 映画に限らず、何でもそうだが。

 と、いうことで。
 少しばかり趣向を変えて、感想ではなく「映画から学ぶ人間学」について書きたいと思います。
 もちろん、猫たぬき流に、独断と偏見満載ですがね(笑)

 記念すべき最初のお題に取り上げたいのは、2002年の作品(日本公開は2003年)。
 ジェイソン・ステイサム主演「トランスポーター」です。
 最近観た中で一番好きな映画。特にアクション映画が好きなわけでもなく、マッチョな人が好みってわけでもないんですけどね(笑)
 これ、10年前の映画なんですね。当時、話題になったのかどうかも覚えていないですが、シリーズ物みたいなので、話題作だったのでしょう。(←いい加減な発言)
 そう言えば、最近の日曜洋画劇場で「トランスポーター3」をやってましたね。テレビ放映の吹き替え版より、役者本人の声の字幕スーパーが好みなので、私はDVDで観たい派ですが。

 「トランスポーター」の主人公、フランク・マーティンは、超A級の運転技術を持つ、プロの運び屋。
 寡黙で慎重な性格、屈強な身体、卓越した武術、こめかみに銃を突きつけられてもビクともしない冷静沈着な男。
 運びの報酬は高いが、依頼を引き受ければ、どんなわけありのものでも、確実に届け先まで運んでくれる。
 映画冒頭の依頼主は、強盗。
 強盗たちを、警察の追っ手から逃れ、仲間の待つ安全な場所まで送り届けるのが仕事。
 フランクが、自分に課すルールは三つ。
「契約厳守(契約後は何があろうと変更、再交渉は受け付けない)」「依頼人の名前は聞かない」 そしてもうひとつ、「依頼品の中身は開けない」
 非情なまでにルールに拘り、確実に依頼を成し遂げる。(ただし、そのための手段を選ばないところが、この映画の見どころである)
 二つ目の依頼は、中身が何だかわからない大きな黒いバッグ。
 しかもこの荷物、何やらあやしい。
 ルール厳守のフランクが、禁を犯して依頼品の中を開けた瞬間から、話が展開していく…。

 さて、ここからは猫たぬきの独断と偏見&フェチ満載でお送りいたします。途中「ついて行けんわ!」と思われる方は、早めに脱落のご決断を。最後まで読んで「なんやねん!」と言われても、
当方は一切の責任を負いません(笑)

 まず、この映画の魅力は、何と言ってもジェイソン・ステイサム演じる主人公のフランク・マーティンに尽きると言っても過言ではない!!
 今まで私の理想のひとは「織田信長」「フィリップ・マーロウ」「鈴井貴之」だったのだけれど、新たに「フランク・マーティン」と言いたい!! とってもとっても魅力的。
 普段は静寂を好み、穏やかな優しい瞳をしているが、ひとたび戦闘モードにスイッチが入ると人を殺す勢いの鋭い目に変貌する。(それ、魅力!!その1)、女性及び弱い者に優しい。(それ、魅力!!その2)、常識ではなく自分の信念に従って行動する。(それ、魅力!!その3)。そして、極めつけ、仕事着はスーツ!!(←単なるスーツフェチ♪)
 このジェイソン・ステイサムという役者(実はこの映画で初めて知ったのだけど)、善人にも悪人にもなれる不思議な顔立ち。身のこなしが優雅であり、何より目で感情のすべてを語るので、無駄なセリフがいらない。私が脚本を書くとしたら、ほとんどセリフを書かないだろうなぁと思ってしまう。(そら脚本としてアカンやろ…)
 もちろん、アクション映画なのだから、アクションやカーチェイスがメインで、演出も素晴らしいのだけど、私は何でもない普通のシーンが好き。彼の表情、目の動き、注がれる視線、深く刻まれる眉間の皺、ためらう指先、片方の口元をほんの少しあげる仕草だけで、戸惑いや迷い、セリフに表せない行間や、何が言いたいのか何をどう思っているのかが伝わってくる。この役者が演じる、アクションじゃない話の映画を観たいと思わせる。
 演技が上手いとか、カッコいいというだけでは語り尽くせないのが魅力というもの。
 この「トランスポーター」のフランク・マーティンという男、彼の役をジェイソン・ステイサム以外の役者が演じていたら、これほど面白いと思わなかった。展開に細かな矛盾があるし、話の内容が特別に面白いわけではないし…。(←リュック・べッソン監督ファンの方すいません…。でも「レオン」は大好きなんですよ!!)
 この映画は、話の筋じゃなく「フランク・マーティンという男」を、魅せているわけだ。
 007のジェームズ・ボンドは何代も代わるけど(その都度、賛否両論だけど)このフランク・マーティンは、アクション俳優なら誰でも演じられるとは思えない。
 最近の映画を観て、あまり面白くないなぁ…と思う要素のひとつは、「この役者でなければこの映画は成りえない」と思えるものが少ないこと。
 主役が別の役者でも成り立つんじゃないか? 誰それが演った方が面白いんじゃないか? と、簡単にキャスティングを頭の中ですりかえられるようじゃ、2時間の上映時間、観客を惹きつけておけない。
 この「トランスポーター」のフランク・マーティンは、ジェイソン・ステイサム以外の役者じゃありえない! と、強く思う。(あくまで猫たぬきの独断です♪)

 で。アクション好きじゃない私がこの映画のアクションで一番好きなシーンは、依頼品を送り届けた帰り道、ドライブインで休憩していたところに、依頼主の仕掛けた罠によって愛車を爆破され、戦闘モードにスイッチオンされたフランクの表情から始まるシーン。
 チャイムを鳴らすと同時に、依頼主の屋敷のドアを蹴破ってフランクが派手に乱入。
 カードゲームに興じていた数人の用心棒は一斉にピストルを抜いて撃つが、すばやく壊したドアを盾にして逃れる。
 奴らがカードゲームをしていた卓のテーブルクロスを振り上げ、卓上に置かれてあったピストルが宙を舞い、手元に落ちてくる時間と位置を計算しながら、卓を倒し、クロスで器用に敵をかわす。後ろ手にそれをキャッチしてからはフランクの独壇場。あっけなく用心棒は床の上に転がっているという寸法。
 「奴(ボス)はどこだ?」と、フランクが瀕死の敵に迫ると、敵が後ずさりして姿見鏡によろめき、鏡の角度が変わったことで、後ろから別の敵が狙っているのが映る。
 映像は細かいカット割りで、手元だけ、後ろ向きで足元だけしか映っていなかったりするのだが、鏡には全身が映し出されているという演出がいい。
 その後、フランクはガレージの車を失敬して屋敷を立ち去るのだが、このシーン中に流れていた、およそアクションにそぐわないのん気な曲が、フランクがカーステレオのスイッチを切った瞬間、終わるという演出。何度観てもこのシーン大好き♪

 さて。
 ここまで読んで、「どこが人間学やねん!」と思われた方、ここからが本題です。
 前フリが異常に長くメンドクサイ、猫たぬき本来のコラム復活です。
 フランク・マーティン大好きの前フリから、人間学へと移行させますのでご安心を。
 今回の人間学。テーマは「拘りの美学」かな?

 フランク・マーティンは、非情なまでにルールに拘る男。
 それも、誰かに決められたルールではなく、「自分で自分に」ルールを課す男。
 あなたの周りにもいませんか? やたらと自分に対してルールや決まりごとを作る人。
 もちろん、猫たぬきもそのひとり。
 こういう人間って「融通が利かない」とか、「へんこ(関西弁で頑固者のこと)」とか、「メンドクサイ人」と、言われる。
 まあ、確かにその通りなのですが、それには理由がありまして。
 自分に対してルールを作る、つまり枷をかける人は、非常に感情過多な人間が多いのです。
 フランクも当然、「へんこでメンドクサイ男」なのです。
 感情過多だからこそ、あえて自分で自分にブレーキをかける。
 過去に感情過多のせいで辛い経験をしたのかもしれない。傷つくのが怖いからなのかもしれない。良く言えば繊細、悪く言えば臆病、なのです。

 感情過多な人間は、感情が溢れてしまったら後戻りが出来ない。
 人によっては、「まあいいや」とか、「何とかなるさ」という楽天的なものの考えが出来なくなり、より悲観的になる傾向が強い。だからこそ、先手を打って感情を抑える術を使うわけです。自分の性格をよく知ってる、とも言えるわけです。

 世間一般で例えるなら、恋愛事情が最もしっくりくる。
 臆病な人に限って、相手に対する条件が多かったり、愛するより愛されることを望む傾向にある。
 自分に注文が多い人は、相手に対する注文も多いということ?
 人を好きになることは素敵なことだし、恋愛は幸せなことだけど、好きな相手を手に入れてしまったら、今度は極端に失うことを恐れるようになる。
 本当に愛されてるのか確かめたいから、要求はエスカレートする。
 それが逆効果になると知っているのに、暴走を始めた感情が止められない。それが怖い…。
 男より女の方が恋愛に慎重なのは、女の方が感情過多だからだと思う。(ま、最近は草食男子とか肉食女子などと言われたり、人それぞれの性格にもよるので一概には言えませんがね)
 容姿も性格も悪くない。なのに、何故か巷に独身男女、恋人のいない人が多いのは、出逢いがないわけでも、魅力がないわけでもなくて、男も女も、自分で自分のルールに縛られて、傷つかないよう、感情にブレーキをかけているせいなのかもしれない。
 もうひとつ。映画からご紹介を。
 映画「ニューヨークの恋人」の中で、メグ・ライアン演じる、恋に臆病なキャリアウーマンのケイトが言ってます。「私、恋は失敗ばっかり」
 過去からタイムスリップしてきたレオポルト公爵が答える。「相手が違っていたのかも」
 「恋もサンタクロースと同じでおとぎばなしなのかもしれない」と、ケイト。「飛び下りるのが恋だ」と、レオポルトがケイトを真摯に見つめる。
 ケイトはレオポルトに惹かれながらも、目の前の恋に飛び込む勇気が出せない。「本当の私は弱虫なの」
 レオポルトが言う。「真の勇気とは、たとえ危険でも、恐れず足を踏み出すことだ」
 レオポルトが「本当の相手」とわかっているのに、過去に傷ついたことのある人間は、自分を護ろうとする。
 ケイトのその気持ち、すごく理解出来る。
 しかし、レオポルトの言うように、飛び込んでみなければ、掴めないものもある。
 自分を、自分の人生を、変えたいと本気で思うのなら。

 フランクも、多少不本意ではあるが、自分で決めたルールを破ったことから人生が変わってしまう。
 一見クールで冷静沈着、まるで感情がないかのように思えるフランクは、本当はアツイ男。
 自分を護るために決めたルールを破った瞬間から、感情が溢れ出し、冷静では居られず、内面の情熱や優しさが見え隠れする。
 強盗には、あんなに非情なまでにルールに拘ったのに、ルールを破ってしまった今は、戸惑いながらも非情になりきれない。
 「面倒はゴメンだ」と口では言いながら、女の涙に弱く、弱者を放っておけない。女の涙や面倒ごとが絡むと、スタコラ背中を向けて逃げ出す軟弱男とは比べ物にならない。
 自分の信念がブレない男。タルコーニ警部に対しても言ってます。「自分の法に従うんだ」、と。
 だから、「自分で自分に課すルール」は、必ずしも「弱いから」だけではない。ここまでの拘りを持っていれば、それはもう「美学」と言っても過言ではない。
 映画の中で、「ルールなしでは何も出来ないんだな」とからかわれるが、フランクは意に介さない。
 そのルールは、誰かに決められたものじゃない。自分自身で決めたこと。だからこそ、いざというときは自分の意思で破ることも出来る。そうすることが、自分の信念に従うことであるならば。
 もうひとつ。
 自分で自分にルールを課す人間は、それをどこかで楽しんでいる節がある。おそらく、フランクも。

 フランクに限らず、人は誰でもひとつくらい自分の中でルールや決め事を持っているのではないだろうか?
 「禁酒」や「禁煙」だって、立派に自分とのルール。変り種としては「借金するほどギャンブルにハマらない」とか、「別れた恋人の悪口は言わない」とかね(笑)
 猫たぬきのルール、拘りは、「したくないことは、しない」。
 仕事に関することは別だけど、プライベートでしたくないことは絶対にしない、と決めている。
 食べたくないものは食べないし、嫌いな人とは接しないし、気分次第で動く。
 もちろんルールは、ある意味、枷でもあるから、弊害はある。
 私は天才的に「人を怒らせるのが得意」というマイナスの才能があるらしいので(無意識だから直しようがない)、その上「したくないことはしない」何て言ったら、究極の自己中と言われるし、人から嫌われることも多々ある。
 それはそれで仕方ない。嫌われないようにと人に合わせて生きても、自分がそれを幸せだと感じられなければ意味がない。…と、最近悟りを啓いた(笑)
 自分にとって一番大事なことは何なのか?
 それさえブレなければ、自分で自分にルールを課すのは悪いことじゃない。
 「ルールを決める」のも、「ルールを破る」のも、人生の楽しみのひとつと思わないとね。
 人から言われてルールを破る気はないけど、もし私がルールを破って「したくないことをする」ことがあれば、その方が人生楽しくなると、自分が心底思えたときだろう。

 私の周りには、「ルール(拘り)を作らないことが自分のルールだ」というひとがいる。
 何ごとも、あるがまま受け入れる。
 大木は風に折れる。しかし、しなる柳は折れない。
 投げやりにでもなく、風見鶏のように風に流されるだけなのでもなく、一本筋の通った信念を持ち、しかし、あらゆることを自然体に受け止めることの出来るひと。
 そういうひとが、本当の意味で強いひと。
 そういう拘りも美学。

 「トランスポーター」のフランクは、決して完全無欠のスーパーマンではなく、心に危うい脆さを秘めた、それでいて強く優しい男。だからこそ魅力がある。
 人間の魅力と欠点は表裏一体。
 「フランク・マーティン」のように、自分の中のルールや拘りを美学にまで引き上げて、欠点も魅力だと思わせる、素敵な人間になりたいものですね^^;


 「トランスポーター」をご覧になったことのある方、これってフランス映画だったってご存知でしたか? 
 「アクション映画=ハリウッド映画」は、ベタな発想だったんですね。そういえば、フランクの家は南フランスの海辺でした。
 それにしても、これだけ長い文章を書きながら、まだまだ私は、「フランク・マーティンという男」の魅力を伝え切れてない気がします。伝えたい気持ちだけが空回りして、ああんもう!! という心境です。(どんな心境?)
 語るにしても、まだ1しか観てないですしね…。
 さてさて。「フランク・マーティンという男」を探究するために、さっそく2と3のDVDを探しに行かなければ。
 でも、どうなんだろう? シリーズ物ってやっぱり最初が一番面白かったっていうのが多いよね。
 もし、「トランスポーター」ファンの方や、ジェイソン・ステイサムファンの方がこのページを読んだら、コメントや情報などいただけると嬉しいです^^;


 もうひとつご紹介した映画「ニューヨークの恋人」(2001年作品)は、ある意味ありがちなSFチック、ラブストーリー。
 ただし、NYを白馬に跨ってケイトのピンチを救うレオポルトは必見かも(笑)
 私がこの映画で一番好きなセリフは、主役のふたりじゃなく、脇役のスチュアートのセリフ。
 「僕は、虹を見た最初の犬なんだよ」というくだり。
 人は、荒唐無稽な話を信じない。例え、それが真実だったとしても、ありふれた嘘の話の方を信じる。事の真偽より、現実的な、自分が納得できる話の方を信じる。
 自分の目に見えるもの、信じられるもの、または、信じたいものしか、信じない。
 好きな人に信じてもらえないのもまた、孤独の始まりなのだ。
 興味のある方は、スチュアート目線でこの映画を観ると、感想がちょっと違ってくるかもしれません。

 ではでは。
 次回、心に響く映画に出逢ったら、またこのページでお逢いしましょう♪
 


2012-03-13 03:25  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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