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目からウロコが落ちた、心温まる「セリフ」とは? [愛の話]

 「雑音は聞くな。見えないものまで想像するな。目の前の現実だけを見ろ」

 ……師と仰ぐひとに、最近教えられた言葉。

 このセリフは、私の性格を把握してなきゃ言えない言葉でして。
 殿以外では、今のところ、おそらくこのひとにしか言えない言葉のような気がする。
 捉えどころがなく、風のような、空気のような、それでいて存在感のある、飄々としたひと。安心というか信頼というか。実は生き別れの兄妹なのだよと聞かされても、おそらく驚かない。「やっぱり」と思ってしまうかもしれないくらい違和感がない。
 聞き役に徹することが多くて、容易く言葉をくれないけれど、必要なとき、折れそうなとき、心から言葉を欲しているときには、必ず意味のある言葉をくれる。砂漠でオアシスを見つけたときって、こういう思いなんだろうな、といつも思う。
 
 私は非常に「メンドクサイ」性格の人間で(人生の中で一番多く言われてる言葉が「メンドクサイ人~」かもしれない)、頭が固くて許容範囲が狭く、思い込みの激しい性格。おまけに浮き沈みの激しいネガティブ思考。……書いてて思った。負のオーラ満載。どんだけ嫌な人間なのでしょうね。絶対友達にはなりたくないタイプですな(笑)
 結局、こういう人間は他人に迷惑をかけながら生きている……と言っても過言ではないわけで。
 運がいいのか、世の中面倒見のいい人が多いのか、はたまた「珍獣的小動物」がものめずらしいのか(笑)、私の周りには優しい人が多くいる。周りの人の優しさに支えられて、今日も何とか生きてます。
 今回の言葉は、行き詰まりを感じている人間関係についてのヒトコト。
 本日のお題「言葉と同じくらい大切なものは?」です。


 「寡黙な人は、何を考えているかわからない」
 ……と、世間ではよく言われます。
 でも、「寡黙な人は、何も考えてないわけじゃない」のです。
 寡黙なひと、と言えば。最近よく私のブログに名前が登場する「K氏」。師の寡黙さとは似ているけど何か違う気もする。寡黙さに何の違いがあるんだ?と聞かれても、何となく雰囲気でとしか答えられませんが、似てるけど違う。違うけど似てる。……どっちなんだ?!
 ま、「何を考えてるかわからないとか、何も考えてないとか思われていても一向に構わない」、と思ってるところは一緒かもしれませんな。
 それでは。
 「寡黙な人が考えていることを、どうしたら知ることが出来るでしょう?」

 かなり昔の話ですが。
 知り合った当初、師に対して、
 「思ってることは、言ってくれなきゃわからない」と言ったとき、
 「思ってることを、すべて言ったってわからない」と答えが返ってきた。

 ……。
 まるで禅問答です。未だにわかりません。
 伝えようとする手段に「言葉」があるのでは?
 それを「すべて言ったってわからない」とは?
 ???
 謎です。ミステリーです。
 誰か答えを教えてください。
 フィリップ・マーロウになら、この謎が解けるのでしょうか?

 そんな禅問答のような答えを返す師なのですが。
 今回のセリフが響いたのは、今の私に一番必要な言葉だったから。
 心が折れそうな、そんなときにくれた救いの言葉だったから。

 「雑音は聞くな」
 これは理解出来る。私はどうもマイナスの言葉を、より重く受け止めるきらいがあるので、それを諌めてるんだなー、と。
 「見えないものまで想像するな」
 これは、私の性格を深く知ってなきゃ絶対言えない(笑) 
 人の深層心理も頭の中身も覗けるわけじゃないのに、なまじ想像力があり過ぎるとトコトン深くまで掘り下げてマイナス思考に陥り、ひとりで勝手にブルーになる、という被害妄想で爆走するトンデモナイ性格なので、それを的確に表現してる。

 「目の前の現実だけを見ろ」

 これは。
 その人の「言葉」じゃなく、「行動」を見ろってことなんだと思う。
 その人は今何をしてる?
 これから何をしようとしてる?
 何を大切にしてる?
 何を共有してる?
 
 ?はいくつもあって。
 そのひとつひとつの答えはその人の「行動」にある。
 決して「言葉」だけではない大切なことを、見逃さずに見ろ、と。
 お前が欲しがるのは「言葉」だけど、相手はそれ以上のものを「行動」で与えてくれているのだ、と。

 この言葉の意味がわかったとき、目が覚めた気がした。目からウロコが落ちた。
 私は一体、そのひとの何を見てたんだろう?
 日を追うごとに募る不安感の持って行き場がなくて、でも時間は刻々と過ぎて、タイムリミットの音が聞こえるようで、どうしようもなく焦っていたけれど。もちろん、今だって不安はある。それでも心は少し穏やかになりつつある。
 心が落ちているときは、何をやっても手につかない。
 何事も、気持ちから入る。
 解決しないと前には進めないって。ああ、一点集中型の、まさしくメンドクサイ性格……。

 ……で。
 一歩前進して周りを見る余裕が出てくると、私って何てトンデモナイ人間なんだろう……と、別な意味で心が落ちる。(あー、メンドクサイ)
 演劇に関して「感覚なんで、言葉で明確に説明出来ない」と言っておきながら、人には「言葉をくれ」なんて、よく言えたもんだよなーっと、自分の理不尽さに気付いて笑ってしまう。
 伝えたいこと、見せたいもの……。
 演劇は奥が深すぎて、実力も認識も足りなさ過ぎる自分が演出してるという事実が重い。
 最近では、自分に出来ないことを人に「やってください」と命じてる自分が、あまりにも暴君で理不尽な存在に思えてくる。「想い」を、「感情」を伝えるのに、言葉では足りない。ホンにのめりこみ過ぎてもいけない。役者に上手く伝える手段が、なかなか見つからない。


 言葉は大切だけど、それと同じくらい大切なものが確かにある。
 そのひとを見る、というのは、総合的なものだ。
 言葉も、行動も、そのひとが投げかける視線やしぐさまですべて。
 一部分だけを切り取るんじゃなくて、すべてを見なくちゃ、そのひとを表現出来ない。
 そのひとの生き様は、「言葉」じゃなく「行動」なんだ、ということも。

 これは、師が私にくれたセリフから導き出した結論。
 正解かもしれないし、間違ってるかもしれない。
 「合ってますか?」と問うことも出来るけど、おそらくその答えはくれない。
 必要なことしか言葉にしないひとだから。
 だから、たとえ師の言葉の解釈が違っていたとしても。 
 寡黙な人が考えていることを、どうしたら知ることが出来るのか?は、そのひとの「行動」が答えだと信じてる。
 ……そう考えると、いろいろ見落としてたことに気付く。
 そのひとは、いつも「とりあえずやってみる」と言うひとだ。言葉であれこれ言うよりも、体を動かして意味を探すひとだ。そのひとも以前、そういう言葉を私にくれた。
 ひとつ答えが出ると、あとからあとから気付くことがある。
 私は人を見るときは、必ず「目」を見るのに。
 「目を見ればわかる」と言っておきながら、先に目を見なくなったのは私の方じゃないのか? 
そのひとの目は、変わらず優しいものであったのに。
 そのひとの目の奥に宿る強さや純粋さ、誠実さは、出逢った時から知っていたはずなのに。
 言葉がなくなると、心も見えなくなると?
 いや、そうじゃない。
 「寡黙な人は、何も考えていないわけじゃない」と、ずっと昔から知っていた。
 目の前の現実、それは、そのひとが示してくれる行動そのもの。
 目の前にいるそのひとは、限りなく誠実に心を尽くしてくれている。
 言葉はなくとも、考えているからこそ、行動してくれているのだ。

 「行動から相手の本心を見抜け」
 そうだ。
 昔も、似たようなセリフを聞いた覚えがある。
 「すべての所作、行動には意味がある」、と。
 一挙手一投足見逃さず、相手を理解したいと思って見ていたら、言葉がなくとも、おのずとそのひとの輪郭が見えてくる。
 心が曇ると、目も曇る。
 素直に人を見る「目」でありたい、と、師の言葉に改めて思ったのでした。

 それにしても。
 ひとと話すと心が落ち着く。私にとって「ひとと話す時間」というのは、ビタミン剤を補給するようなもの。当然「ビタミン補給」というからには、「栄養」がなくちゃいけない。
 今現在、私と関わってくれてるひとから、私は「元気」をもらって生きている。
 明け方まで続く演劇談義。あーでもない、こーでもないと、次から次へと言葉の応酬。尽きることなく言葉が続くこともあれば、師のように禅問答をするひとから、的確なアドバイスをくれるひと、「大丈夫だよ」と背中を押してくれるひとまで、みんなに感謝しながら生きてます。(ホントですよっ!!)
 
 でも、ふと思う。
 私は、そのひとたちに「何か」を返せてるのかしら?
 ギブアンドテイクという言葉は好きじゃないけれど、私にくれる時間の中に、何か得るものはあるのかしら?
 全世界の人に愛を捧げるマザー・テレサには到底なれないけれど、「ウザイ」「メンドクサイ」だけじゃなく、「何か」伝わるものがあるといいな、と。
 
 もちろん、ひとと話した後は、ひとりになったときに反芻します。(牛か)
 言葉の意味や、シーンでのやりとり、そのひとならではの言葉の選び方使い方や、笑い方や表情、何気ないしぐさまで……。覚えなきゃいけないことはちっとも覚えないくせに、そういう記憶力は長けていて、こと細かく覚えてる(笑)
 師と会話を交わすと、昔の言葉のやりとりが映像シーンで鮮明によみがえってくる。一緒に働いていた場所に立っているときの感覚すら思い出す。

 それではおまけとして。
 師から教わった言葉を数えると「師の金言集」が出来てしまうほどあるのですが(笑)、その中で「オチ」の素晴らしいものをいくつかご紹介しましょう。(……決して漫才コンビを組んでたわけじゃあないですよ)
 その①
 「部分的なところだけを見て、全体がわかった気になるな」、と言われ。
 「1を聞いて10を知る、って良いことじゃないですか?」、と憎まれ口を叩くと。
 「まぁ。ある意味、お前はそういうところもある。(師と、あうんの呼吸で仕事が出来るときもある)せやけど、たいがいの場合、お前がわかってるのは1と10だけで、2から9は全部抜け落ちてる」
 ……。
 ツッコミが鋭すぎて、ボケるヒマもありゃしません。
 最初褒めといて、落とす。……ある意味、「笑いの鉄則」ですな。

 その②
 「すべての所作、行動には意味がある。その意味を、わかって(意識的に)やるのと、わからずに(無意識に)やるのとでは、まったく違う」、と言われ。
 私の行動をじっと見ていた師がヒトコト、「お前には美意識のカケラもない」
 ……。
 それ、全否定ですやん……。

 それにしても。
 昔から、同じようなことを言われ続ける私って、全然成長がないってことなんですかねぇ……。



 それではお茶にいたしましょう。
 最近は、おうちでゆっくりお茶をする、ということもなかなか出来ず……。
 秋の夕暮れ、のんびりとお茶をしたいものです。
 本日は、秋といえば、栗。なので、マロンティーを。
 最近は、フレーバーティーでも出回ってますが、私はブラックティーに栗のお酒をティースプーンに一杯。角砂糖とブランデーのティー・ロワイヤルの変形ですな。
 栗のお酒は、「栗貴酒(リグイチュウ)」というもので、チャイニーズリキュールです。ミルク割りで飲んだり、アイスクリームにかけたりと用途はたくさんあります。マロンティーは、ブラックティーよりも、ミルクティーが合うようです。(私はブラックが好みですが……)
 それではまた次回、お逢いしましょう……♪



2009-10-05 03:10  nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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猫たぬき

こんばんは、はっこうさん^^; nice!ありがとうございます♪
by 猫たぬき (2009-11-19 23:55) 

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